第42話 泉におっさんもおつなものでは?

 人魚を探していたら、おっさんをみつけた。


 なんて意味のわからないことが起きたのだけど、この後いったいどうすればいいのかわからない。


 もしかして、このおっさんが人魚なのか? いやいや、だとしたら目撃証言からずいぶんと異なる。見目麗みめうるわしい女とおっさんをどうしたら見間違える?


 俺が混乱していると、おっさんは、ちらりとこちらを向いた。



「ん? 誰だ? おまえ?」



 いや、おまえが誰だと思ったが、それはお互い様かと思い直し、俺はおずおずと名乗った。



「俺は、ルスームの町のエドガーだ。あんたは誰だ?」


「俺は、そうだな、カラスだ」


「カラス?」



 ふざけているのか? いや、その見た目からの渾名あだなだろうか。彼はここいらでは珍しい黒髪をしていた。だから、明らかに町の者ではないとわかった。あんな髪色の男がいれば噂になる。



「カラスは、こんなところでいったい何をしている?」


「見てわからないのか? 温泉にかっている」



 それは見たまんまなんだけど。



「こんな森の奥にまで温泉に浸かりに?」


「あぁ、そうだ。土地勘がないからな。けっこう迷ったよ」


「ははは、そいつはおもしろい冗談だ。だったら、東の火山には登ったか? あっちの方が熱いお湯に浸かれるぜ。まぁ、そのまま燃えちまうだろうがな」


「知っているよ。あいにく溶岩には耐性がまだなくてな。だが、いずれは攻略するつもりだ」



 何言っているんだ?


 しゃべりはしっかりとしているが、相当頭がおかしいようである。こんな森の奥の温泉に浸かっているのだから、まぁ、当然のことともいえるが。



「何をぼーっと突っ立っている? おまえも温泉に入りに来たのだろ。だったら、さっさと入ればいい」


「いや、俺は」


「違うのか? 温泉に入る以外にこんな森の奥に来る理由なんて思いつかないが」



 その理由こそ俺には思いつかなかったのだけど。


 

「じゃ、おまえは何しにこんな森の中に来たんだ?」


「それは……」



 言えるような理由ではない。死に場所を探しにきたと言って、このおっさんが何か言うとも思えないが、堂々と話すような内容ではないだろう。



「別に。散歩していただけだよ」


「こんな森の奥に? 頭大丈夫か? 医者にてもらった方がいいと思うぞ」


「ぐっ!」



 確かにそうだけど、こんな頭のおかしそうなおっさんに言われたくない!



「まぁ、何でもいい。温泉に興味がないのならば、さっさと去れ。本来、このには近づかない方がいいんだ」


「歌姫の湯?」



 名前がついているのか。とすると、冒険者の間では有名だったりするのか? いや、待てよ。歌姫って。



「人魚の泉か?」


「何だ。知っているんじゃないか」


「まさか、ここが!?」



 いや、泉っていうか、温泉じゃん。これも想像していたのとちょっと違うんだけど。


 

「じゃ、人魚が、ここに?」


「それは自分の目で確かめろ」


「む」


「そして、風呂はながめるものではなく、その身で味わうものだ」


「何の話だ?」



 どうして、そんなに風呂をすすめてくるのだろう。しかし、確かに入ってみたくはある。人魚のいる温泉。ちょっと趣旨しゅしは違ってくるが、昔から来てみたかった場所。


 ごくりと息を飲んでから、俺は服を脱いだ。どうせ死ぬ気でやってきたのだ。その前にやってみたいことはやっておいた方がいい。


 俺は、おっかなびっくりで足を突っ込んだ。少し熱めだが、夜の冷たい風の中ではちょうどいい。少し粘性ねんせいがある液体は、俺の身体にからみついてきて、じっとりと腹の奥へと熱を伝える。


 

「はぁ」



 気持ちいい。


 そもそも温泉に入ることなんて、滅多めったにないのだけど、想像していた百倍の気持ちよさである。


 何だろう。温泉って、こんなかんじだっただろうか。身体の中に熱となった生命力がそのまま流れ込んでくるような、そんなダイレクトな快感。


 これならば、カラスとかいうおっさんが、この温泉のためだけに、森の奥にやってきた理由もわかる。


 一度肩まで浸かってから、俺はふと思い出す。温泉は想像以上に気持ちがいいけれど、そうではない。ここは人魚の泉。肝心かんじんの人魚はどこにいるのか。


 

「おい、エドガーと言ったな。温泉に入るのならば、その前に身体をけ。マナーだぞ」


「ん? あー、すまん」


「それと、どちらの腕でもいいから、この縄を結んでおけ」


「縄? 何で?」


「おそらく言ってもわからん。だが、死にたくなかったら、黙って結べ」



 いや、死にに来たのだけど。


 などとも言えず、俺はわけのわからない縄を腕に結んだ。もしかして、新手の強盗か何かで、このまま捕獲されて、身ぐるみはがされたりするのだろうか。まぁ、すでに何も着ていないのだけど。


 一抹いちまつの不安にかかれつつも、俺は温泉を堪能たんのうしていた。死ぬ前にこんな気持ちのいいところに来れてよかった。欲をいえば、人魚も見てみたかったが。


 その願いが通じたのかどうかはわからないが、ふと、歌が聞こえてきた。カラスの汚い鼻歌などではない。もっと上品な、女のきれいな声。


 背筋をなでるかのようなゾッとする歌声は、あまりに美し過ぎて、この世のものとは思えず、よもや冥界めいかいに訪れてしまったのではないかと錯覚させる。



「さぁ、おでましだぞ」



 カラスの声が、歌と俺の意識を現実へと引き戻す。


 湯気の中から聞こえてくる歌。そして、湯気越しに浮かび上がってくるのは黒い影。人、である。岩に腰をかけているのは、若い女。髪が長く、頭は小さく、胸は大きく、けれどもすらりと細く、遠目で美人とわかる。


 湯気が薄れ、視界がはっきりとしてくると、彼女の肌が露わになった。服を着ていないのである。その白い肌は、透き通るようで、まるで天使かのように思われた。


 いや、天使ではないだろうが、少なくとも人外であることは確かなようだ。


 彼女の下半身は人ではなかったからだ。


 魚。


 はじめスカートか何かかと思ったが、よく見れば、うろこがあり、尾ひれがあり、気持ちよさそうに温泉の水面をでていた。


 その姿はまさに。



「人魚……!?」



 俺は自分の目が信じられなかった。しかし、湯気の奥に確かに彼女の姿が見える。おっさんでも幻覚でもない。おとぎ話の中から飛び出てきたかのような幻想生物がそこにいる。


 人魚は歌う。天上のハープを撫でたかのような、美しい音色ねいろかなで、温泉を色付かせていく。


 天国。


 というものがあるのだとしたら、きっとここだろう。俺は、できることなら、このまま死んでしまいたい。そう思えてしまった。


 俺が、温泉と人魚の歌声に酔っていたところ、カラスの不穏な声が邪魔をした。



「エドガー、耐えろよ」



 ?


 耐える? いったい何のことだ?


 あまり興味はなかったが、一応カラスにたずねようとしたときだった。俺は、彼の言葉の意味を理解する。


 身体が、動かない!?

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