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「どうして自分が死んだ後の残された人の悲しみは分からなかったんですか? どうして、わたしを連れて行ってくれるって約束は破ったんですか? わたしを不幸にしないんじゃなかったんですか? どうして、どうして……」


 震える声で月に向かって言葉を投げかけ続けるけれど、月まで言葉は届かない。月は何も答えてくれない。


 気づかないうちにわたしの頬を涙が伝って流れ落ちていった。手の甲で拭っても、拭っても涙は流れ続ける。この涙はナオさんが悪いの。絶対に、そう。またわたしは彼女を言い訳にして、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。


 数分間。ひとしきり泣いてから、手の甲でゴシゴシと強めに瞼を擦り、立ち上がった。涙はまだはらはらと流れ落ちている。ひっく、ひっくとしゃくり上げながら、屋上の鉄柵に向かって歩く。


 鉄柵に体重を預けながら、身体を前のめりにしてはるか下の地面を覗いた。


 心臓がキュッと絞られたように縮み上がり、バクバクと鼓動する。鉄柵を離すまいと無意識に手に力が籠もる。背中のあたりがゾクゾクと震える。


 怖い。わたしにはここから飛び降りて自殺するなんて出来ない。そんな恐ろしいことをする勇気はない。


 ガクガクと震えながら縺れる足に力を込めて、転ばないように堪えながら鉄柵から退く。離れてからもしばらくは、身体の震えが止まってくれなかった。


「ごめんなさい。やっぱり、わたしはまだ死ねそうにありません」


 まん丸から少し欠けた月に向かって、わたしは語る。


「これからも、生きます。きっと、進学をして、どこかに就職をして、まだ想像もつかないけど、どこかの誰かと結婚をして、子供を産んで育てて、順風満帆ってわけにはいかないだろうし、幸せになれるかどうかも分からないけど、わたしなりに精一杯、生きてみます」


 瞼を手の甲で、これまでで一番強く拭う。


「そうしたら、いつかまた、わたしと会ってくれますか?」 


 月は何も答えない。だって、月はナオさんじゃないから。ナオさんはもう居ないんだから。


 涙はもう流れていない。


「ああ、そうだ。これは貰っておきますね」


 言いながらわたしはショルダーバッグの中の物を、落とさないように気をつけながら取り出した。


 わたしの手には紙の帯でしっかりと封をされたお札の束が五つ。五百万円。シホノさんにボストンバッグを渡す前に抜きとっておいたものだ。


「わたしにあげるって言ったのはナオさんなんですから。今更、やっぱりあげないって言っても返しませんよ」


 あの日、ナオさんの鼻を明かしたくて結納金を要求すると、ナオさんは分かったと即断してくれた。冗談だったのかもしれないけど、自分にはその大金と同じ価値があるんだと思えて、嬉しかった。


 これはナオさんが認めてくれた、わたしの価値。


「結婚もしなかったのに結納金ってのはおかしいですよね。なら、慰謝料ってことにしておきます。婚約者を置いていったんだから、当然です」


 このお金の使い途は決めていない。簡単に使い途を決めて良いはずがない。またナオさんに会うまで使わずに取っておいて、彼女に返すのが正しいのかもしれないとすら思える。けれど、わたしが本当に困った時には、ナオさんに助けてもらおうと思う。


 札束を折り曲げないように気をつけながら、大事にショルダーバッグの中に仕舞った。

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