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 このお金はナオさんが将来の結婚相手と一緒になるために、頑張って貯めたお金なんだと理解した。そして、その結婚相手は私じゃなくて、シホノさんだということも。


 それから、線路への飛び込みニュースはナオさんのことを報じていて、もう彼女はこの世には居ないんだと確信した。


 ナオさんはわたしにあげるとメッセージを残していたけど、シホノさんのために貯めたお金を持っていく資格はあるのかとバッグを見つめながら考えた末に、わたしはバッグを持っていくことにした。


 それが今、わたしの肩から下がっているバッグ。


 このバッグの中のお金をどうしようかと悩んみながら騒がしい人達を眺めていると、ふと一人の女性が目に入った。その女性は多くの人が居る中でただ一人、流れ続ける涙を何度も手の甲で拭っていた。


 ナオさんの死を悲しんでくれる人もちゃんといるんだ。不謹慎だけど嬉しくなって、わたしはその女性に駆け寄った。


「あの……」


 声をかけると、女性は強めに目元を拭ってからこちらに振り返った。


 女性の顔を見た瞬間、わたしの口からは「あ……」と声が漏れていた。


 見覚えのある顔。地味だけど可愛らしい大人の女性。あの日、学校の屋上でナオさんが落とした写真に写っていた人。ナオさんの好きな人。そして、ナオさんを裏切った人。


 この人がナオさんを受け入れていれば……。


 一度は収まりかけていた怒りが、またふつふつと湧き上がってくる。さっきは沢山の人に分散していた怒りが、この人ひとりに集まる。


「あなたは……」


 彼女が言い終わる前に、わたしは持っていたバッグを思い切り彼女に押し付けた。不意打ちによろめいて、彼女はお尻を強か地面に打ち付けながら座り込んだ。わたしが見下ろしながら睨みつけると、彼女は何も分からない困惑した表情で、視線をキョロキョロと忙しくバッグとわたしの顔に移している。


「これは、ナオさんがあなたのために貯めたお金です。あなたと一緒に生きるために。だから、受け取ってください。それが、あなたを最後まで想って、あなたのせいで死んだナオさんの願いです」


 できるだけ彼女が悲しむであろう言葉を選んで、口調に悪意を乗せて伝えた。


 その呪詛の言葉を聞くと、彼女はさっきまでよりも更にボロボロと涙を流し始めた。大雨の中の濁流のように泣き崩れた。


 ざまあみろ。


 彼女は何一つ悪くない。幾ら誰かを好きで仲が良いからと言って、結婚となれば話は別だ。一生を添い遂げるなんて生半可な覚悟じゃできない。それが同性婚となれば殊更。彼女が普通。ノーマル。


 それでも、わたしは彼女にナオさんの死を悔やんで、悔やんで悔やんで、罪を背負って生きて欲しかった。あんな素敵な人を追い詰めたんだから、当然だと思った


 これがわたしの理不尽な怒りで、愛する人を傷つけるような真似をナオさんが望むはずない。誰も幸せにならない身勝手な行為だとは理解していた。そのうえで、溢れ出した怒りを止められなかった。


 わたしのわがまま。最低だ。


 人目も気にせず泣き続ける彼女に背中を向けて、わたしは逃げるように歩き出した。徐々に足の動きが早くなる。無意識に奥歯を噛み締め、痛いくらいに拳に力を込めていた。


 後ろからは、いつまでもシホノさんの嗚咽が聞こえていた。


♯♯♯

 

 家に帰る気になれなくて、宛もなく駅近くの街をフラフラと歩く。


 ナオさんは死んだのに、街をゆく人たちは何事もなかったように歩いている。誰もシホノさんを責めたりはしないし、わたしを慰めてもくれない。ただ、いつもどおり生きている。


 歩行者用信号が赤色に変わり、横断歩道の前で足を止める。みんな足を止めて信号が青に変わるのを待っている。


 みんな生きている。


 五月の湿気に太陽が照りつけて、蒸し暑さにわたしの頬を汗が垂れる。喉が渇く。


 わたしも生きている。

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