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『保葉ちゃんへ。結婚して一緒に行こうなんて言ったけど、やっぱり、迎えにはいけません。私にはあなたの人生を背負う覚悟はありませんでした。ごめんなさい。
でも、志穂乃と別れて生きるのも辛いです。私は弱い人間です。耐えられません。だから、私は一人で行きます。ごめんね。最後にかっこ悪いところ見せちゃって。
○○駅のトイレ横のコインロッカーの○○番の中の物は保葉ちゃんにあげます。私にはもう必要ないので、自由に使ってください。暗証番号は○○○○です。
あなたは私の分まで生きてください。私からの最後のお願いです。
本当に、ごめんなさい』
画面に表示された無機質な文字が頭の中に入っては消えて、また入っては消えてを繰り返す。言葉は読めるのに、言葉の意味がわからない。頭が理解するのを拒否している。
わたしの口からは「あ? ……えっ? ……ん?」と間抜けな単音だけが何度も漏れた。
冗談、だよね? 大人でもこんな趣味の悪い冗談言うんだ。ふざけるにしては不謹慎な内容だと思うよ。ナオさん。
いくら現実から目を背けようとも、じわじわと頭は理解してきてしまう。恐ろしい考えが頭の中を真っ黒に塗りつぶしていく。こんな趣味の悪い冗談をナオさんが言うはず無いのを、わたしは知っている。
心臓がバクバクとありえない動きをしている。喉がうまく開いてくれなくて、息を吸うのが苦しい。答えを求めてキョロキョロとあたりを見回すけど、わたしの部屋に誰かがいるはずがない。
頭が全ての答えを出してしまう前に、わたしは立ち上がり走り出していた。
ガタガタと音を立てて階段を降り、転がるように玄関から飛び出す。すれ違う人々が驚いて注目しては目をそらしてゆく中を、わたしは全力で腕を、足を振って走る。頭が何も考えないように、全力で身体を動かす。真実から逃げるように。
どこに行けば良いのかなんて分からない。分からないけど、止まりたくない。ただ、逃げて、逃げて。
私はどこに行けばいいですか? どこまで走れば良いですか?
教えて下さい。ナオさん。子供のわたしには分からないんです。大人のあなたなら、知ってるんでしょう?
ねえ、ナオさん。答えてよ。
♯♯♯
駅には沢山の人達が集まって、めいめいに騒がしくしていた。
ただ事故現場を見学したいだけの野次馬。スマートフォンで写真を撮ってSNSにアップロードをしている人。迷惑そうにぼやきながら立ち尽くす人。誰が死んだかなんてよく知らないくせに「バカだ」「死ぬ必要なんて無いだろう」なんて無責任な言葉を放つ人。約束に遅れたのは同責任をとってくれるんだと、駅員に詰め寄る人。
こんなにも沢山の人が居るのに、被害者の死を悼んでいる人なんて一人も居ない。
わたしは無性に腹が立ってきて、大声で叫んで手足をがむしゃらに動かして暴れたくなった。手に持っているボストンバッグを振り回し、周りの人たちの頭をぶん殴っていきたくなった。
けれど、そんなことをしても、ナオさんは返ってこないし、喜んでもくれない。
無力感にも似た、やるせない気持ちを抱えたまま、わたしは肩から下げたボストンバッグのテカテカした表面を撫でた。
あの夜、教会の前で触れたナオさんの身体とは違って、温かみも柔らかさも少しの震えもない。何も返ってこない、無気質な手触り。
ナオさんの痕跡は、どこにもない。
メッセージアプリに表示されていた指示通りに駅のコインロッカーを開けると、この真っ赤でテカテカの、ほとんど汚れのない真新しいボストンバッグが入っていた。中身はテレビでしか見たことのない、封をして束ねられたいくつもの札束だった。
コインロッカーが暗証番号でロックされているとはいえ、普段からこんな無防備に大金を入れておくなんて考えられないから、恐らくわたしに渡すためにコインロッカーに入れたんだろう。
札束に紛れた一枚の紙を見つけて、わたしはそれを手に取った。
紙には大きく結婚資金と書かれていた。
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