第9話 事故

「――よし、これで」

 それからしばらく、ルークは惑星探査に向けた宇宙船の準備を終えた。惑星への到着予定時刻は約五時間後と表示されていた。燃料を噴射して船の速度を上げれば到着を早めることもできたが急ぐ必要もなく、慣性移動を維持した。

 これであとは着陸までを機械が自動で行ってくれるため、ルークがコンソールの前に張り付く必要もなくなった。メインコンソール室を出ると、ルークは自室へと向かい惑星探査用の装備の準備を始める。

「まずこれは必須だろう」

 手始めに容易したのは酸素と窒素ボンベ。降りる際は当然宇宙服を着込むにして、予備のボンベは欠かすことができない。それぞれ数本をバッグに詰め込んだ。

 次いで飲料水と水質チェックキット。植物が存在が確認出来たということは水があるのだろうが、それが人間の身体に適したものかは分からない。そのためのキットと飲料水だった。

 その他、携帯食料に応急キットなど。最低限必要だと思える物資を可能な限りバッグに詰め込む。

 それから部屋を出るとルークはある一室へ向かった。そこはある物が保管された部屋だった。ルークはその部屋に並べられたものから1つを手に取る。

「結構重いものなんだな……」

 ルークが手にしたのは拳銃だった。それは黒く輝き、ルークの手の中でその重さを持って存在を主張していた。容易く生物の命を奪うことが出来るそれは、手にしただけでルークの鼓動を早めた。

「念の為……そう念の為だ」

 船が取られた映像の中に生命体らしきものは見られなかったが、だからといって安心は出来ない。ルークは銃火器を携帯することに嫌悪感を抱いたが、背に腹は変えられないと拳銃を2丁ほど持ち出した。 

 全ての準備を終えた頃にはおよそ2時間が経過していた。思い付く限り必要な物資が詰め込まれた彼の背嚢は準備を始めるまえとは見違えるほどに膨れ上がっていた。

 そろそろエリもトレーニングを済ませて交代の頃合いだろうと、ルークも着陸前の準備運動を行っておこうとトレーニングルームへ向かった。

 


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 ルークが発見された惑星への着陸準備を進める最中、エリはトレーニングルームへと足を向けていた。本来ならば彼と一緒に準備を進めるべきなのだろうが、彼女には機器の設定に関する知識が乏しく、余計な事をして作業の邪魔をしないようにと大人しくその場を去った。

 ただ事態を悲観していただけの自分と違い、先のことを考えて準備を進めているルークには頭が上がらない思いと、何もできない自分への悔しさがあった。今彼女に出来ることは、せめて邪魔をしないようにするだけだった。

 トレーニングルームに着き、エリは更衣室でトレーニングウェアへと着替えるとトレーニングを開始した。これから降り立とうとしている惑星の環境がどのようなものかは分からない。だからこそ、身体を動かして未知の環境へと備えておくことが必要とされる。

 軽いストレッチから始まり、徐々にトレーニングの強度を上げていく。

 トレーニングルームは複数人が同時に使用することを想定して、他の部屋と比べても広く作られていた、そしてそこには、特定の部位を鍛えることに特化したマシンが並べて置かれている。しかし、今となってはそのほとんどが使われることなく表面をうっすらと埃が覆っていた。

 それを横目に、マシンに腰掛け沈みそうになる心を奮い立たせんとエリは脚に力を込める。

「いつまでもっ……立ち止まってるわけには、いかない……!」

 ガシャンと音がしてマシンの重りが持ち上がる。それから今度はゆっくりと力を抜き、重りを下げていく。

「それにもうっ、怯える必要なんか、ないんだからっ……」

 2回、3回と、力の続く限りその動きを止めない。10回に届こうかと言う頃になると彼女の身体は悲鳴を上げ、限界だと告げる。しかし、それでもエリは止めなかった。

「あと、もう1回……っ!」

 残された力を振り絞り、プルプルと身体を震わせながら重りを引き上げる。だが、重りの上がる速度は遅々として、それが余計に負荷を掛けた。

――どうしてこんな苦しい思いをしなければいけないのか。9回でも10回でも大した違いはないじゃないか。誰かが見ているわけでもないのだから、ここで終わりにしてしまえばいい。

 エリの頭の中にそんな言い訳が湧いて出る。

 しかし、彼女は脚に込めた力を抜くことはなかった。

「こんなことで……ううん。こんなことだからこそっ!」

 大きく息を吸い、そしてゆっくり吐き出す。

「……よしっ!」

 レバーを握り、今一度しっかりと身体を固定する。

「まずは……ここから、少しずつ変わっていくんだっ!!」

 決意を口に出して自分自身を鼓舞すると、再び脚に力を込め始める。

「うぅぅぅぅんっ!」

 呼吸がどうだとか、回数がどうだとか、そんなことはもはやエリの頭にはなかった。自分自身と向き合い、限界に挑戦する。ただ、それだけしか頭になかった。

 脚を、全身を震わせながらゆっくりと重りを引き上げる。ゆっくりと、しかし確実に重りは地面を離れていく。何秒が経過したのか。そのわずかな時間が永遠にも感じられた。そして、遂にエリは重りを完全に引き上げることができた。

「じゅっ……か、い……」

 彼女が力を抜くと、ガシャンと音を立てて重りが落ちた。

「でき、た……」

 彼女は満身創痍だった。脚の固定を外すのも忘れ、全身をマシンに預けて天井を見上げた。

 エリが行ったことは、ただ大腿筋のトレーニングメニューを規定回数こなしただけにすぎない。けれど、今の彼女にとってはそれ以上の意義があった。

 達成感と疲労感、そして絶望しかなかった現状に見えた希望という安らぎからエリはいつの間にかマシンの上で眠りに落ちてしまっていた。

 それからしばらくして、寝苦しさから彼女は目を覚ました。一瞬自分がどこにいるのか分からず周囲を見回して、自分がトレーニング後そのまま眠りについてしまったことをおぼろげながら思い出した。

 変わらずトレーニングルームには邪魔にならない程度に陽気な音楽が流れ続けている。軽く伸びをして彼女はマシンから降りた。

「……汗臭い」

 流した汗を拭かずに眠りについてしまったせいで不快な臭いが鼻をつく。エリはマシンを軽く拭くとシャワールームへと向かった。更衣室で汗の染みこんだウェアを脱いで洗濯機に放り込む。それからタオルのみを持ってシャワー室へ。

 眠気覚ましにと、ほんの少し冷たいと感じられる程度のぬるま湯を頭から浴びる。汗と眠気が一緒くたに流れ落ちていく気がした。

 その後は温かい湯に切り替えてゆっくりと身体を暖める。髪と身体もしっかりと洗う。十分に汗を洗い落とすとシャワーを止め、掛けておいたタオルで身体を拭う。それからエリはその姿のままシャワー室を出た。

 このとき、彼女は油断していた。本来であれば彼女がトレーニングを開始してから終えるまでの間は彼女に割り当てられた時間帯で、彼女は通常であればその時間内で十分にトレーニングを終えられるはずだった。しかし、彼女は途中で眠ってしまったせいでそのことを失念していた。結果、彼女がシャワーを浴びている間に彼女の持ち時間は過ぎてしまっていた。

 だから、エリがシャワー室から戻った先で更衣中のルークと鉢合わせてしまうのは驚くべきことではなかった。が、二人にとっては思わず声を上げてしまうほど想定外の事であった。

 

 最初に相手の存在に気がついたのはルークだった。

 ウェアに着替え終わったところで、ふいにドアの開閉音を耳にしたルークはその方へと目を向けた。そして、開いたドアの向こうから現われたエリの姿を目の当たりにして彼は叫び声ともとれぬ大声を上げた。

「え、エリっ!?」

 その声でエリもルークの存在に気がつく。

「えっ……ルーク……? どうして……」

 今はまだ自分のトレーニング時間のはず、なのにどうしてルークがいるのだろうか。そう思って時間を確認し、エリは自分の思い違いに気がついた。

「あ……そっか私眠っちゃってたから……ご、ごめんね。すぐに出て――」

「――ごめんっ!!」

 エリが自分の間違いを謝ろうとするより早く、ルークはまたも大声を上げて更衣室を出て行ってしまった。

「……え?」

 その様子をエリは呆気にとられて見送った。

――どうしてルークの方が謝って出て行ったのだろうか? 間違いをしてしまって謝るのは自分のはずなのにどうして彼はあんなに慌てた様子だったのか。もしかしたら彼は気を回してくれたのかもしれない。ルークがいることで私が取り乱してしまうのではないかと。……けれど私は多少なれど変わったんだ。現にこうしてふいに顔を合わせても平静を……

「あっ……」

 そうして自らの胸に手を当てて、エリはそこで気がついた。自分が今シャワー室から出てきたままの姿で、一切の布を身に纏っていないことに。

 途端に全身がカッと熱くなり、手のひらに伝わる鼓動が大きくなる。

「ああ……」

 やってしまった……と、エリは羞恥に全身を朱に染めてその場に思わずしゃがみ込んだ。

 それから鼓動が収まると服を着て、こっそりと更衣室を出た。トレーニングルームでトレーニングを行うルークの姿を捕らえると、顔を合わせないようにそそくさとその場を立ち去った。

 一方、逃げるようにトレーニングへ走ったルークはとりあえずマシンに座って身体を動かした。しかし、彼の網膜に焼き付いたエリの若く瑞々しい裸体は消え去ることなく、呼吸やフォームはブレにブレ、およそ意味のあるトレーニングを行う事はできなかった。

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