第5話 事件

 真っ白に支配された船内をエリはひとりで歩いている。

 電力消費を抑えるため通路の光源は常時消灯されており、エリがセンサーの範囲に入ると同時にパッと光が先を照らしていく。光は自然光に似せた色合いで、白い船内をほんわりと木漏れ日のように彩った。それは、宇宙船という閉鎖空間の中にあって、わずかながらも心を落ち着かせる効果が感じられた。

 トレーニングによって萎えた足腰を働かせて船長の船室の前まで来たエリは、扉横の呼び出しボタンを押して呼びかける。

「船長~? 中にいますか?」

 しかし、少し待っても船長からの返事はなかった。

「あれ、部屋にはいないのかな?」

 レイナは食堂とメインコンソール室を探したが船長は見つからなかったと言っていた。この時間、トレーニングルームは女性専用となっているため船長は入ることが出来ない。そうなると残されたのは船長の自室くらいしかなかった。

 いつもならすぐに返事が返ってくるんだけど……そう思いながら、エリは扉の表示に目をやる。睡眠中であれば機械がバイタルを測定して自動で部屋が「スリープモード」となり、外部からの通信を一時的に保留するのだが、扉にそのような表示は出ていない。それとは別に、扉にロックをかけることで「プライベートモード」となるのだが、船長の部屋はそのどちらでもなく、それはいつでも来客を受け付けていることを意味していた。

「どうかしたのかな……」

 エリはその様子を不審に思った。

「もしかして、中で倒れてたり……」

 その場合も、通常であれば機械が異常を検知して船員に緊急通信が送られるのだが、この時のエリはそこまで考えが至らなかった。

「船長、入りますよ? 失礼します……」

 最後にもう一度呼びかけを行うと、それからエリは扉を開いた。

 中に入ると、部屋の左方に置かれたベッドのふちに、背中をこちらに向けて腰掛ける船長の姿が見えた。

「良かった」

 胸を撫で下ろしエリは息をつく。

「船長、いるんだったら返事を……――」

 言いながら船長に歩み寄るエリの脚が止まった。肩越しに、船長の端末に映るものに目が止まった。端末の中で身体を重ねる男女の姿に、エリの手てから壊れた端末が床に落ち、ガシャンと大きな音を立てた。その音に、船長が首を後ろに回した。

「なっ……」

 床に落ちた端末を、そのそばに立ってこちらを見つめるエリを見、船長の目は大きく見開かれた。

「なんで、ここに……あ」

 どうしてエリが部屋にいるのか。その理由を問おうとして、船長は自慰を始める前に部屋にロックをかけていなかったことを思い返し、うかつな数十分前の自分に舌打ちをした。

「あ、あの……私は、レイナの端末が故障したっていうから、交換、してもらおうって……それで……」

 中途半端に通信の知らせをオフにしていたのもマズかった。普段なら忘れないであろうことを、このときの船長は忘れていた。半年に渡る宇宙旅が、眼に見えない形で彼を蝕んでいたのかもしれない。

「ご、ごめんなさいっ……私、船長がこんなことをしてるだなんて、その、考えてもなくって……」

 エリはその場に固まったまま、どうしたらいいのかわからずただ狼狽えていた。その様子を目にして、行為を中断されて萎えかけていた船長のモノは再び固さを取り戻し始める。

「…………」

 船長はそれを感じると、危険な思考が自分の中にあることに気がつく。船長は目の前の少女に欲情していた。シャワーを浴びて艶やかな髪と肌、服から伸び出た健康的な四肢に船長の目は釘付けになっていた。船長は己の衝動を抑えることができなくなっていた。

「エリ……」

「は、はい……」

「こっちに来なさい」

 動揺して判断能力を失いかけていたエリは言われるがままベッドに近づき、そこではじめて船長の下半身が露出していることに気がついた。

「えっ……な、何を」

「そんなの、言うまでもないだろう」

 船長は立ち上がると、屹立した自身のモノをエリの目の前に晒した。

「エリ。君が邪魔をしたせいで私はとても苦しい。ほら、見なさい。今にも爆発してしまいそうだ」

 ピクンッピクンッと船長の肉棒は小刻みに震える。船長がついさっきまで自分の手で慰めていたおかげで濡れているそれは、室内照明の下で卑しくもその存在を主張していた。

「代わりに、君が私を慰めてくれ」

 エリは初めて見る勃起した男性器の恐ろしさに圧倒され、何も言うことが出来ずにいた。

「……ほら、黙ってないでその手を――」

「い、いやっ! 汚い!」

 船長がエリの手に触れると、彼女は我に返ってその手を振り払った。

「近づかないでっ!」

「……近づくもなにも、君が勝手に入ってきたんだ。だというのにその言い様はひどく身勝手じゃないか? 私はただ自分の部屋で自慰行為をしていただけだというのに」

「それは……けど部屋に鍵がかかってなかったから……」

「鍵をかけなかった私に非があると?」

「私は、そんなふうには……」

 船長が詰め寄ると、エリは逃げるように一歩後ずさる。

「鍵がかかってなければ他人の部屋に勝手に入ってもいいと。プライバシーなんてあったもんじゃない。それはひどく自己中心的な考えじゃないか」

「違う、私は……」

「そういえばね、ちょうどついさっき皆で話し合って、子供達にはちゃんとした性教育が必要だといくことになったんだ。心も、体も成熟しつつある君たちには今後のために節度ある行動が必要だと」

「性、教育……?」

「ああ、そうだ。君は男というものを知らなすぎる。他の男たちが君のことをどういう目で見ているか、考えたことはあるか?」

「皆が……私のことを見る目?」

 エリは船長の顔を見上げる。エリのことを見つめる船長の目つきは、子どもを見る大人のそれではなかった。

「君は誘蛾灯だ。男の目を引いて、惑わせ、誘惑して……それでいて自分のことを知らない。だからこうして、不用意に男の部屋に入りこむ。そう……だから君は知る必要がある」

「な、何を……」

「男、を」

 エリは船長の瞳の色が変わるのを見た。

 その瞬間、危険を感じ取ったエリは部屋を出ようとするが、船長がそれを許さなかった。

「い、痛っ」

 エリの腕を船長が掴んで逃がさない。

「は、離してっ。船長、お願い! 離してください!」

「ダメだ、離さない。私はもう、限界だ。今まではこの気持ちを押し殺してきたがもう出来ない……エリ、君が欲しい!」

「いや、いやぁっ! おねがい、やめて!」

 船長の息は荒くなり、掴む手によりいっそう力が込められる。エリは苦痛に声を洩らす。

「……教育。そう、これは教育だ。まだ男を知らないうぶな少女への教育。これも大人の役目というもの。そうだろう?」

「あやまる、あやまりますから! 勝手に部屋に入ったこと、あやまります! だから、やめてお願いだからっ、手を離してぇ!」

 船長の手から逃げようとエリは必死にもがく。がむしゃらに振り回された彼女の左手が、船長の顔をひっかいた。

「いてぇ! くそっ……暴れるんじゃねえ!」

 逆上した船長は、エリを掴むのとは逆の手で彼女の頬を張った。彼女の口から鋭い悲鳴が洩れる。

「これ以上痛い思いをしたくなかったら大人しくしてな。そうすれば優しくしてやる」

「……っ」

 赤く頬を張らしたエリは涙のにじんだ目で静かに船長を睨む。しかし、痛みを身体に植え付けられた彼女はそれ以上の抵抗はもう出来なかった。

 エリのその様子を見、船長は舌なめずりをすると目を下に移す。暴れたせいか、エリの衣服は乱れ、下着の肩紐が肩口からのぞいている。四肢には汗がにじみ、室内照明を艶やかに照り返している。

 船長はゆっくりと片手をエリの肉付きのよい脚へと手を伸ばしていく。指が肌に触れると彼女は恐怖に身を震わせ、船長のモノは快感に激しく震えた。

「うっ……」

 船長の指は線を描きながら、少女の身体を上へ上へと這って進んでいく。シャツの裾を巻き込み、やがてシャツの下に隠れていた彼女の下着を露わにさせた。船長はその上からエリの胸を鷲掴みにした。

「いっ……」

「久し振りの女の身体……たまらない。まだ途上ではあるが、それもまた。さて、そろそろ……」

 腕を引っ張り、船長はエリをベッドの上に押し倒す。彼女はその場に留まろうと脚に力を入れるが、抵抗はまるで意味を成さなかった。仰向けに横たわるエリの身体を船長が上から押さえつける。それから船長の手はエリの下半身へと向かっていく。

「お願い……それだけは……それ以外なら、いいからっ……」

「その反応……やっぱり処女か」

 言いながら船長の手は彼女の穿いた下着にかかる。

「優しくすると言ったが……破瓜の痛みはどうしようもないな。まあ、いずれは経験することだ。我慢しなさい」

 そして、エリの下着をずり下ろそうとしたところで。

「お前っ! 何してるんだあっ!?」

 そう声がしたかと思うと、エリの上に被さっていた船長の体が突き飛ばされて床に転がった。

「大丈夫、エリ!?」

「ミサキ……」

 部屋の入り口からミサキが姿を見せると、ベッドの上のエリへと駆け寄った。

「よかった。間に合った……」

「通信があって来てみれば……まさか、こんな」

 エリは船長に気づかれないうちに、船員に向けた音声通信を密かに開始していた。それを聞いて、部屋に駆けつけたのはミサキだけではなかった。部屋に入り、現場を目の当たりにしたミレイは信じられないといった様子で頭を抱えている。他の子どもや大人たちも、皆それぞれが驚愕に顔を歪めていた。

「このっクソ野郎が! よくもエリに! ぶっ殺してやる!」

 真っ先に部屋に駆けつけ、エリを襲おうとする船長を体当たりで突き飛ばしたのはジョージだった。彼は床に転がった船長に馬乗りになると、力任せに両手を彼に向かって振り下ろしていた。

「やめろ! 落ち着くんだジョージ!」

 それを見たシンディは、ジョージを羽交い締めにして船長から引き剥がす。

「離せシンディ! このクソ野郎を庇う気かっ、くそ!」

「違う! ガイっ、手を貸せ」

「ああ」

 ジョージは大人二人の手で強引に船長から遠ざけられていく。

「このっ、離せ! クソ、おい! こいつら、大人たちは船長を庇う気だ!」

「……!?」

 わめき散らすジョージの言葉に、その場にいた子どもの耳がピクリと動く。しかし、ミレイは、

「違うわ、ジョージ。庇ってるわけじゃない」

「じゃあなんで俺の邪魔する! そいつはエリを犯そうとしやがったんだぞ!? そんなやつ、死んで当然だ!」

「ジョージ。船長のことを許せない気持ちはわかる。けれど、だからといって、船長を殺していい理由にはならないのよ。私達には法がある。今後のためにもししっかりと法規にしたがって……」

「そんなのどうでもいいっ! 俺はそいつが許せない!」

「止めろ、ジョージ! ……男子たち、ジョージを落ち着かせるのを手伝ってくれ。その間に僕は船長を独房へと運ぶ」

 シンディが後ろで見ていた男子たちへ呼びかけると、戸惑いながらもガイと協力して子どもたちはジョージを押さえるのに協力した。

「なにすんだお前らっ、おい! ユラン、ドニ、ルーク! このっ……放しやがれ! 船長の野郎をぶっ殺してやる!」

 なおもわめき散らすジョージの声は次第に遠ざかっていく。

「……行くぞ」

 それを見届けると、シンディは床に転がったままの船長に声をかけた。船長はその声にむくりと起き上がると、一切の抵抗を見せることなく、シンディに言われるがまま独房へと歩いていく。女子たちの近くを過ぎる際

「……信じられない」

「今まで私たちをそういう目で見てたんだ……」

「ジョージの言うとおり、死んじゃえばいいのに」

 彼女たちの口から洩れ出た侮蔑に満ち満ちた言葉に、ピクリと船長は反応を見せた。だが、ほんの少し頭を動かした程度にとどまり、それ以上の反応を示すことはなかった。

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