第67話 告白
冬陽が退院したのは、それから二日後の事だった。
冬陽はクラン症候群に自分が罹っていたこと。そして、もう一人の冬陽が一か月夏樹と生活し、どんなことがあったか。それらを全て理解した上で、無事退院した。後遺症なんてものはなく、いつも通りの日常が戻ってきた。
退院した翌日。夏樹は冬陽と共に学校へと向かっていた。
夏樹の隣を、儚い印象の冬陽が歩く。まさか、こんな日が来ることになるとは、クランに罹った冬陽を見た時からは想像もできなかっただろう。
これも、すべてはもう一人の冬陽のお陰だ。あいつに感謝しないと。夏樹は思った。
一方、冬陽は顔を俯かせながら、おずおずと口を開いた。
「ねえ、夏樹。水橋先輩のことだけど……」
「ん? ああ。それならもう心配ないぞ。前にも説明した通り、俺ともう一人のお前が見事に撃退した。それに、何かあっても、俺がお前を守る」
あの日、約束した通りにな。と、夏樹は心の中で呟く。
一方、冬陽の方は頬を赤らめて地面を見つめながら――
「……うん。ありがと、夏樹。わたしを、助けてくれて」
――小さく微笑みながら言った。
夏樹は、不意に『可愛い』と思った。ドクンと心臓が高鳴る。
「あ、当たり前だろ。だって、俺はお前を――……」
――好きなんだから。そう言いかけた夏樹は、慌てて口を噤んだ。
今度、小日向姉妹を連れてどこか食べに行くか。などと考えていると、隣を歩く冬陽が小さく笑った。
「それにしても、今でも少し不思議かな」
「何だ? クランの事か? まあ、確かに貴重な体験だったよ」
「そうじゃなくて。……ほらね、こうやって、夏樹と一緒に学校に行くのが、今でも少し不思議なの」
柔らかな笑みを浮かべて、冬陽は楽しそうに言う。なんだか照れくさくなって、夏樹はそっぽを向いてしまう。
「……そっか。俺は、全然嫌いじゃないぞ? 今のこの感じ」
「えっ。そっか。そう、なんだ……」
冬陽も耳まで真っ赤にして俯いてしまった。お互い、無言のまま通学路を歩いていく。
国道を出て、その歩道を二人で歩く。車やバイクの行き交う喧騒に沿って、無言の少年少女はそわそわしながら学校へ向かう。
夏樹は、言い出すなら今しかないと思った。今日まで先延ばしにしてきたが、ようやく冬陽と二人で話せる機会が巡って来たのだ。この時まで、病院では担当医や看護婦がいて、家では中東から帰ってきた父親が話し相手になれと絡んできて、冬陽と二人だけで話す機会なんて無かったのだ。ここは腹を括るしかない。
「……なあ、冬陽。あの日の返事が、聞きたいんだけど……」
何気ない風を装って冬陽に訊いてみると、彼女は俯いていた。前髪が垂れて表情が読み取れない。
だが、耳だけは真っ赤だった。
「改めて言う。俺は秋月冬陽が好きだ。俺は、絶対に冬陽を不幸になんかさせない。必ず、俺は冬陽を幸せにしてみせる」
「……っ!」
冬陽は肩を少し震わせた。そして、口元を手で覆うと、すんすんと泣き出してしまった。
だが、夏樹は動揺せず、静かに冬陽が口を開くのを待った。
もし、もう一人の冬陽が、今の冬陽の秘めていた感情を呼び起こしてくれたのなら。
もし、もう一人の冬陽が、自分たちを繋ぐ天使なのだとしたら。
「……本当に、わたしは幸せになってもいいの?」
冬陽が、縋るような声で零した。
それは、水橋に植え付けられた呪い。誰かを愛することを悪と言われた冬陽の、心からの問いかけだった。
だが、その呪いも今はもうない。夏樹ともう一人の冬陽が、危険を顧みず打ち消したのだから。
「ああ。約束する。俺は必ず、秋月冬陽を幸せにする」
真摯な態度で夏樹は告げる。すると、冬陽は夏樹の胸に顔を埋めた。
驚いた夏樹だったが、その後ゆっくりと冬陽の頭を撫でた。
胸の中で小さく泣く冬陽は、ややあって口を開く。
「……夏樹。今、わたしはとっても幸せだよ。何年も想っていた気持ちが、ようやく通じたんだから」
「奇遇だな。実は俺もだ」
頬を掻きながら、夏樹は白い歯を出して苦笑した。
冬陽は夏樹の胸の中から顔を出すと、涙を気にせず笑った。
「お兄ちゃん、大好――って、あれ? な、なんでわたし、夏樹のことお兄ちゃんだなんて呼んじゃったんだろ――」
口に手を当ててあたふたする冬陽を見て、夏樹は咄嗟に吹き出してしまった。
「わ、笑わないでよ……。なんでか分からないけど、咄嗟に出ちゃったんだもん」
頬を膨らませる冬陽に「わるいわるい」と謝りながら、夏樹は思った。
ああ、あいつは確かに、今もここにいる。
そう思えただけで、夏樹はとても嬉しかった。
「そ、それじゃあ言い直すからね? え、えっと……や、やっぱり恥ずかしい――」
「なんだよそれ。早く言わないと遅刻するぞ?」
「あっ、そうだった! え、えっとね夏樹? わたし、えっと……夏樹のことが」
「ん? もうこんな時間か。おい、冬陽! 急がないと間に合わないぞ!」
「えっ? あ、ま、待ってよ夏樹! わたしも、夏樹のことが――大好きなんだけどー!」
「知ってたよ! んじゃま、これからもよろしくな!」
「ゆ、勇気出して言ったのに、そんなあっさりした返事なんてないよー!」
軽やかな足取りで、夏樹は慌てる冬陽に背中を向けて走り出した。
ただ、毎日をだらだらと生きていた自分。それが、この一か月で変わった。
とある少女のお陰で、何もかも変わった。夢も持った。好きな子とも相思相愛になった。自分の進む道と、共に寄り添っていくパートナーを得たのだ。
――ありがとな、冬陽。
夏樹は、いなくなった少女に改めて礼を述べると、後ろで涙目になっている冬陽の手を取って学校へと向かって走った。
晴れ渡った空は、一組のカップルを祝福するかのように心地よい風を吹かせた。
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