第58話 遺してくれたもの

「……なあ、小日向。小日向は、どっちの若菜ちゃんに残ってほしかったんだ?」


 言ってから、夏樹は目を赤く腫らす小日向を見つめた。


 きっと冬陽がいたら、デリカシーが無いだの、無神経だの言ってくるのかもしれない。


 でも、訊かずにはいられなかった。


 同じ境遇に立つ友人は、どう選んだのか。どう、クランの子を支えたのか。


 小日向は目尻に残る涙を指で拭うと、夏樹に目線を合わせた。


「……私は、正直言うとね……クランの若菜に、残ってほしかったの」


 自虐的な笑みで、小日向は「えへへ」と笑った。


「酷い話だよね。元の若菜の、唯一のお姉ちゃんなのに。でも、元の若菜がどれだけ苦しんでいたかも知らなかった私は、若菜の薬が届いた時に言っちゃったの。『私は今の若菜がいい。消えてほしくない』って。それは、若菜がいなくなった今でも、少し思うの」


 冬陽から聞いた、元の若菜の話を思い出す。


 素行が悪く、夜歩きだけでなく万引きなどの犯罪も犯す少女。しかし、それは不良に虐められていたが故の行動で、彼女は元来引っ込み思案の少女だった。


 小日向は、そんな若菜の真実を知らなかったからこそ、消えてほしくないと言ってしまったのだろう。


「若菜は、そんな私に本当の事を話してくれたんだ。虐められていたこと、それを言い出せなかったこと、それからプレゼントのこと……。全部聞いて、最後に担当医さんから聞いた話をもう一度私に説明してから、こう言ったんだ。『ボクは、元の若菜に家族を愛する気持ちを渡したい。彼女に家族を愛する大切さを教えることが、ボクの生きた証だ。だから、お姉ちゃんの気持ちは嬉しいけど、ボクはここに残るわけにはいかない』って。フラれちゃったんだよねぇ、私」


 えへへーと、小日向は寂しそうな笑みを作る。


 その瞳に、再び涙が溜まっていく。


「……結局、私は自分の事しか考えてなかったんだ。若菜がどうするべきかじゃなくて、私がどうしてほしいか、それしか考えてなかった。バカだよねぇ。若菜が、その答えを出すまでどれだけ悩んだかも知らないで、そんなこと言うんだから……」


「バカじゃねえよ」


 夏樹は、小日向の自虐を一蹴した。


 小日向が瞠目する中、夏樹は真剣な眼差しで小日向に伝える。


「小日向は、自分の気持ちを伝えただけだろ? 一緒にいたいって、若菜ちゃんに言っただけだろ? 若菜ちゃんは、きっと嬉しかったと思う。それに、こうも思ったはずだ。たった一か月そこらの関係だった妹を大切に思える姉ちゃんなら、元の若菜も幸せにしてくれるって」


 夏樹は毅然とした様子で言いきった。


 小日向は、夏樹の言葉に感じるものがあったのか、その場で大粒の涙を流した。


「はるっ、春野……くん!」


 泣き崩れ、小日向はその場で顔を伏せてしまった。肩だけが押し殺した泣き声に合わせて微かに震える。


 夏樹は、出る前にエチケットとして冬陽に持つように言われたハンカチを思い出した。それをポケットから取り出し、泣き崩れる小日向に渡した。


 小日向は顔を上げることなく、ハンカチを受け取って夏樹から見えないように涙を拭きとる。


「……ありがとう、春野くん」

「いいって。ハンカチくらい」

「そうじゃなくってぇ……。若菜の事で悩んでた私のこと、励ましてくれてたでしょ? う、嬉しかった」


 小日向は、今度は頬を赤く染めて俯いてしまう。


「それこそ、構わないよ。それに、礼を言うのは俺の方だ。若菜ちゃんのメッセージと、小日向の言葉。そのおかげで、迷っていた気持ちに整理がついた。ありがとな」


 選び、そしてその道を歩むと決めた二人の姉妹。


 その選択が、夏樹の迷いを吹き飛ばしてくれた。


 ニコリと、夏樹は小日向に微笑みかけた。白い歯を見せて笑う夏樹の笑みには、まだ子供っぽさが残る。そんな微笑に、小日向の頬の赤みは最高潮に達した。


 ぷいっと、小日向が夏樹から顔を逸らす。


「……冬陽ちゃんが羨ましいよぅ」

「ん? 羨ましいって、何が?」

「な、なんでもないよっ!」


 最早、背中の壁を見る勢いで小日向が顔を背ける。


 夏樹は、そんな小日向の奇行に、一体何をしてるんだと首を捻る。そんな時だった。


 ――ブーッ、ブーッ。


「ん? 携帯が鳴ってる……。冬陽か?」


 夏樹は壁に向かって何かをしている小日向がしばらく戻ってきそうにないことを確認すると、急いで携帯を開いた。


 非通知の電話。しかし、どこか見覚えのあるような番号だ。


 ひとまず、通話ボタンをタッチする。


「はい、もしもし?」


 電話に出たのは、最早慣れたあの声だった。


 夏樹は、嫌な予感を覚えつつ用件を聞く。そして、一通り連絡が済んだのか、夏樹は携帯の通話終了ボタンをタッチして、今度は席を立った。


「ごめん、小日向。ちょっと冬陽に電話してくる」

「えっ? あ、うん。わかった」


 向き直って首を傾げた小日向を置いて、夏樹はハンバーガーショップの外へと出た。


 夏樹は電話のアイコンをタッチすると、自宅の電話番号を打ち込む。


 確か、冬陽が元の若菜と会うのは11時からだったはずだ。現在時刻は10時45分。ギリギリだが、元の若菜がやって来るまでに用件を伝えられそうだ。


 家の電話番号を携帯に打ち込む。その手は、彼の意志とは反対に震えていた。


 電話のコールに合わせて深呼吸をする。そして、四回目でコール音が途切れた。


『はい、もしもし。秋づっ――ええっと、春野ですが?』

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