第57話 メッセージ

 ガサガサと音がして、画面の暗闇が晴れた。


『こんにちは。お兄さん』


 そこに映っていたのは、14歳の若菜だった。


「若菜ちゃん?」


 何気ない様子の、普段通りの若菜。だが、夏樹はそこに何かを感じ取った。何か、強い決意のようなものだ。


 若菜は、いつものように微笑んで口を開いた。


『これをお兄さんが見ているということは……もう、今のボクはみんなには見えなくなっていると思います。さよならを言えなくて、ごめんなさい。だからこうして、動画という形でお兄さんと最後のやりとりを楽しみたいと思います』


「なっ、見えなくなってるって……」


 夏樹の瞠目などお構いなしに、スマフォの中の若菜は続けた。


『まずは、ボクの話です。ボクこと小日向若菜は、治療薬を飲んで元の若菜に戻ることにしました。でも、ボクには消えることに恐怖はありません。だって、ボクは元の若菜の『家族に愛され、家族を愛せる自分になりたい』という、内に秘めた感情の塊なんですから。元の場所に戻るだけです。だから、いつだって会えるんです。だから、悲しまないでくださいね』


『次は、お礼です。今まで、お世話になりました。何度もお家にお邪魔させてもらって、その上いろいろご迷惑をおかけしました。でも、楽しかったです。お兄さんのお陰で、ボクは大切な友人や家族と、大切な時間を過ごすことができました』


『それから、次は謝罪です。あの時、お兄さんに冬陽ちゃんの居場所を教える時に、嘘をついてしまったことを謝ります。ごめんなさい。でも、どうしても冬陽ちゃんに伝えたいことがあったんです。それが、ボクの最後の願いだったんです。一方的になってしまいますが、それも許してください』


『最後は、冬陽ちゃんのことでお話があります。もし、薬が届いて冬陽ちゃんがまだ16歳になっていなかった時、お兄さんは冬陽ちゃんに本当の気持ちを伝えてあげてください。それが、例え冬陽ちゃんの決断と違っていても、です。お兄さんには、その義務があります。いいですか? 絶対に逃げないでください。冬陽ちゃんのことを、本当に思っているのなら、逃げずに彼女に伝えてください。それが、きっと冬陽ちゃんのためにもなります』


『……これで、ボクのメッセージは終わりです。あっ、これは冬陽ちゃんには内緒なんですけど……ボク、結構お兄さんのことが好きだったみたいです。といっても、これが恋なのか、それともお兄ちゃんという存在に対する憧れなのかは、ボクも分からないんですけどね。あと、元のボクに会ったら、今までみたいに可愛がってあげてください。きっと喜びます。それでは、さようなら。夏樹お兄さん――』


 動画は、若菜の微笑みを最後に再生を止めた。


 夏樹は若菜の姿を名残惜しむように見つめると、ようやく声を絞り出せた。


「……いつだ? いつ、若菜ちゃんは……」

「……冬陽ちゃんを見つけた後、その日の深夜に……」


 震える声で、小日向は辛うじて夏樹の問いに答える。


「それじゃあ、若菜ちゃんは自分の最後の時間を使って、俺達を助けてくれたのか?」


 夏樹の問いに、小日向は下を向いたまま頷く。


「若菜は、最後まで二人のことを心配してたよ……。特に冬陽ちゃんのことはね。昔の自分みたいに、傷ついたり悲しんだりしてほしくないって言ってた……」


 小日向の言葉を聞いて、夏樹は若菜に心の底から感謝した。彼女がいなければ、きっと今の冬陽は無かったかもしれない。若菜はただの遊び相手としてはなく、冬陽の良き相談相手でもあったのだから。


 しかし、若菜が消えたことを冬陽が知ったらどうなることか――


「……ん?」


 その時。夏樹は違和感を覚えた。


 そして、ようやく涙を拭って顔を上げた小日向を見つめた。


「な、なあ、小日向。若菜ちゃんが消えたってことは、今日冬陽が会うって約束をしてる若菜ちゃんって……もしかして」


「……うん。元の若菜だよ。これも、若菜の最後のお願いの一つだったの」


 赤い目を擦って、小日向は夏樹に言った。


「そう、なのか。でも、若菜ちゃんはどうしてそんなことを……」

「私も、よくは知らないの。でも、若菜は若菜で冬陽ちゃんの事を心配していたから。きっと、冬陽ちゃんに伝えたいことがあるのかも」

「若菜ちゃんが、伝えたいこと……か」


 夏樹には想像もつかない。もしかすると、クランの人間にしか分からない何かがあるのかもしれない。


 喉が渇いて、夏樹はジュースを一口飲む。


 からからだった喉を、微炭酸のジュースが潤す。


 しかし、その後味は甘くて爽やかなものではなかった。

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