第54話 解決へ

 冬陽と小日向、そして夏樹の三人は、その後職員室で今回の事件を教師たちに説明した。


 水橋のストーカー行為と、その被害を素直に報告すると、教師たちは水橋のあまりの異様さに言葉を失った。確かに水橋の執念は異常であったが、それよりも夏樹が驚いたのは冬陽の泣き真似だった。


 それはもう迫真の演技で、ペタンと床に座り込んで滂沱の涙を流す冬陽はどうみても、悪質なストーカーによって心を壊されかけた薄幸の美少女にしか見えなかった。


 それを見た夏樹たちの担任は、これ以上冬陽に事情を追及することを危険と判断したのか、「今から先生たちは職員会議を開くから、秋月は二人のうちどちらかを付き添いにして保健室で休んでいろ」と言って三人を解放した。


 職員室を出た夏樹は、ふと壁に掛けられた時計を見上げる。気が付けば、とっくに午後の授業は始まっていた。


「それじゃ、私は先に教室に帰ってるね」

「ああ。色々とありがとな、小日向」

「ううん。いいんだよぉ。春野くん。冬陽ちゃんのこと、よろしくね」


 そう言い残すと、小日向は踵を返して教室へと戻って行った。


 残された夏樹は、傍に立つ冬陽の顔を見る。


「それじゃ、保健室に行くか」

「……うん」


 ぽてぽてと歩く冬陽の横を、夏樹は寄り添うように歩く。保健室は職員室から、応接室と校長室を挟んだ先にある。そんなに距離はない。


「しかし、お前の泣き真似はすごかったな。まさに迫真の演技だった」

「……まあね」


 冬陽は先ほどの演技のせいか、声が少し枯れ気味だ。そんな冬陽を労わりつつ、夏樹は保健室に辿り着き、その扉を開けた。


 しかし、中には誰もいなかった。夏樹はひとまず冬陽をベッドで横にしようと思って、一番窓際にあるベッドに移動した。


 冬陽は枕元に腰かけると、自分の隣を手でぽんぽんと叩いた。


 一緒に座れという意味だろうか。夏樹は首をかしげつつ冬陽に問いかける。


「どうしたんだ冬陽。横にならなくていいのか?」

「……何言ってんのよお兄ちゃん。お兄ちゃんってば、まだわたしに説明してないことがあるじゃない」


 唇を尖らせる冬陽を見て、夏樹は冬陽と喧嘩したままだったことを思い出す。


 慌てて、冬陽の言う通り彼女の隣に腰を下ろす。


 ギシッと、一人用のベッドが軽く軋んだ。


「……すまん、冬陽。俺は、あいつを――元の冬陽を守りたかったんだ。独りで辛そうにしてるあいつを助けてやりたい。それが、俺があいつを好きになった瞬間だった。なのに、俺は中学に入ってから自分と周囲のことばっかり考えるようになって、いつの間にか好きになった理由も忘れて、好きだって気持ちだけが宙に浮いてるようになった」


 夏樹の言葉を、冬陽は俯きながらただ黙って聴いていた。


「それが、冬陽がクランを患うきっかけだったんだ。本当に悪いのは水橋じゃない。冬陽を守らなかった俺のせいなんだ。約束したのに。……公園の土管の中にいた冬陽を見つけた時、俺は心に誓ったのに……って、どうしたんだ? そんなに驚いて」


 夏樹が顔を上げると、冬陽は目を丸くして夏樹を見ていた。


 何か変なことを言っただろうかと首をかしげようとした時、冬陽は柔らかく微笑んだ。


「そっか、そうなんだ。……だったら、いいよ。だって、お兄ちゃんはさっきわたしを守ってくれたじゃない。かっこよかった」


 可愛い顔でそんなこと言うな、反則だ。夏樹は顔が熱くなって顔を冬陽から背けた。


「おっ? どうしたのお兄ちゃん? もしかして照れてる?」

「て、照れてねえよ。いい加減なこと言うなよ」

「うりうりー。だったら顔見せてよ。照れてないならできるでしょ?」


 腕で顔を隠そうとする夏樹だったが、冬陽がその腕を冗談交じりで引っ張ってくる。


 若干しつこいから話逸らさねば。そう思って夏樹は話題を変える。


「そんなことより、お前の方もすごかったぞ。あの水橋を相手に呪いを返すなんてな」


 あれはまさに、元の冬陽が受けた呪いの意趣返しだった。あの冬陽の言葉は、水橋の心を完膚なきまで叩き潰しただろう。


 冬陽は「それほどでもないよー」とおどけて言った後、再び先ほどの柔らかい笑みを浮かべた。


「でもね、あれはお兄ちゃんのおかげだよ。お兄ちゃんが傍にいてくれたから、わたしは頑張れたんだ。お兄ちゃんが、わたしを守るって言ってくれたから、わたしはあの時一歩前に出られた。元のわたしの敵を討てたんだ」


 開け放たれた窓から心地良い皐月の風が入り込んできた。それが、二人の髪を靡かせる。


 満足そうに、冬陽の横顔は晴れやかに笑っていた。


「ねえ、お兄ちゃん。さっきも言ったけど、元のわたしは、絶対にお兄ちゃんのことが好きだよ」

「お前ずっと言ってるよな。自信があるってことは、もちろん確信があるんだよな?」


 しょうがないやつだと言いたげな夏樹の問いかけに、冬陽は「にひっ」と答えるように悪戯っぽく笑った。


「もちろんっ! だって、わたしはお兄ちゃんのことが大好きだもん。わたしがお兄ちゃんを好きなら、元のわたしも好きに決まってる! だって、わたしも元のわたしも同じ秋月冬陽なんだからっ! この気持ちは、きっと一緒だわ!」


 向日葵のような燦々とした笑みが、断言する。


 そんな横暴な。そんな確証なんてどこにもないだろう。


 そんな捻くれた考えも、隣に座る美しい少女の自信に溢れた笑みを見ていると、どこかに飛んでいってしまう。


 思わず、夏樹は笑ってしまいそうになった。


 今の冬陽を見ていたら、そんな気がしてしまって仕方ないのだ。


「……ああ。お前に言われたら、俺もそんな気がしてきたよ」


 夏樹もそう言って微笑んだ。それから二人は、窓の先に広がる青空を見上げた。


 心地よい風が夏樹の短い髪を、冬陽の長い黒髪を、ふわりふわりと靡かせていた。

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