第52話 最低だ……
夏樹は静かに立ち上がると、開け放たれた扉をそっと閉めた。再び、喧騒が遠ざかる。
「えっと、その……春野くん、冬陽ちゃんを追いかけなくていいの?」
取り残された小日向が、おどおどした様子で夏樹に問いかける。
夏樹は小日向の方へ振り返ると、座っている彼女の隣に移動した。
「……小日向。一つ、頼まれてくれないか?」
「ふぇっ? う、うん。いいけど……」
「俺を――俺をぶん殴ってくれ!」
「え、ええっ!? そんなことできないよぉ!」
二つのおさげがピンと逆立ちそうなほど驚く小日向に、夏樹は頭を下げた。
「頼む! 誰かにぶん殴ってもらわないと、俺は冬陽を追えない!」
夏樹の言葉に、小日向はただただ目を白黒させる。
「俺は最低なヤツだ! 俺が、俺が冬陽を守るって約束したのに!」
始まりは猛吹雪の12年前。両親を失い、心を閉ざした冬陽を預かってすぐのことだった。
家に馴染めず、冬陽は吹雪の中家出をした。それを、4歳の夏樹は救い出した。
その際、約束していたのだ。冬陽を守ると。絶対に一人にしないと。
「それなのに、俺は――!」
一緒に過ごして時は経ち、いつしかその記憶も薄れた。けれど、その頃から芽生えていた冬陽への想いは、思春期に入って更に強く膨れ上がった。
そして、気持ちだけが宙に浮いたように残った。
「俺は、中学に入ってから自分の事ばっかり考えるようになった。自分が白い目で見られるのが嫌だったから。冬陽から距離を取ったんだ。だって、冬陽はクラスの人気者だったから。俺はもう傍にいる必要が無いんだって、勝手に思って――」
――ペチン。
突然、夏樹の頬に小日向の手の平が当たった。
「……それは、私に言うべき言葉じゃないよ。それは、冬陽ちゃんに会って言わないと」
小日向は柔らかく微笑むと、申し訳なさそうに眉を八の字に曲げた。
「――ごめん。頼まれたけど、私にはこれが限界だよぉ」
ひーんと、小日向は泣くようなリアクションを取る。
夏樹は、しぱしぱと目を瞬かせた後、こくりと頷いた。
「ああ。ありがとう、おかげで目が覚めたよ」
夏樹は小日向に礼を言うと、踵を返して準備室を出た。
冬陽の背中が消えたのは左だった。夏樹は廊下を左に曲がって走った。
昼休みはまだ始まったばかりだ。校舎内には多くの生徒がいて目につく。夏樹は東館から西館を繋げる渡り廊下を渡ると、廊下から外を見た。
外は駐輪場で、この時間だと人影はない。そう思っていたが……その駐輪場を横切る影があった。
冬陽だ。彼女は息を切らしながら駐輪場を横切っていた。しかし、遂に体力が尽きたのか、駐輪場の真ん中あたりで膝に手をついて立ち止まってしまった。
ここは三階。今から急げば冬陽に間に合う。そう思った夏樹は、一目散に階段へ向かって走り出した。
階段を駆け下りて昇降口を抜け、玄関を通過して左に曲がる。そして、先ほどの西館をぐるっと曲がって駐輪場に辿り着いた。
すると、長い髪を背中に垂らして息を整える少女がいた。
「冬陽っ!」
名前を呼ばれて、冬陽の背中がビクッと揺れた。彼女はゆっくりと振り返る。何故か、その顔には怯えの表情が刻まれていて――
――冬陽の背後に、見知った三白眼の少年が立っていた。
「――っ、水橋!?」
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