第51話 そんなことない
「ぶっちゃけ、好きって言ってたかどうかです」
ぶふっ!? と、白飯を口に入れた直後の小日向が盛大にむせた。
「げほっ、けほっ――ええと、でもここには春野くんもいるし――」
「いいんです。むしろ、お兄ちゃんにも聞いていてもらいたいんです」
どうしたらいいものかと、赤面しながら小日向が狼狽える。隣にいる夏樹も、冬陽がここまでストレートに話題をぶつけてきたので顔が赤くなってしまう。
しかし、冬陽の本当の気持ちを知りたい。夏樹は、思い切って口を開いた。
「……頼む、小日向。本当の事を教えてくれ」
真っ直ぐ小日向を見つめると、彼女も夏樹の視線からは逃げられなかったのか、やがて「……元の冬陽ちゃんには内緒だよ?」と諦めて口を開いた。
「冬陽ちゃんからは、何度か春野くんのことで相談されてたんだ。どうしたら仲直りできるのか。とか、元の関係に戻るにはどうすればいいかって」
「仲直りって、別に仲違いしたわけじゃ――」
「お兄ちゃんが拒絶してたんだから、元のわたしとしては似たようなもんよ」
隣の冬陽にぴしゃりと言われて、ぐうの音も出ない。
二人のやり取りに苦笑しながら、小日向は続ける。
「冬陽ちゃんって里子でしょ? だから、独りになってしまうのが怖かったみたい。誰かが自分から離れていくのが、どうしようもなく辛かったみたいで……。それに、春野くんが冬陽ちゃんから距離を取ったのは自分のせいだって思ってたみたい」
「そんなことない! 俺は自分の意志で――」
「工業高校の受験に失敗したのも、中学時代にクラスの厄介者扱いされたのも、元々の原因は元のわたしなんだから、そう思っちゃうのも無理ないわよね」
隣に座る冬陽の発現が、いちいち夏樹の耳に障る。
「……お前なあ、ちょっと黙っててくれるか?」
「黙らない」
短く宣言すると、冬陽はむすっとしたまま視線で小日向に続きを促した。
「え、えっと。それじゃあ続きなんだけど、冬陽ちゃんがクランを発症する前の週くらいに、冬陽ちゃんは春野くんと仲直りしようとして私に相談してたんだ」
「相談――」
「うん。でも、春野くんと仲直りするってことは、多分今のクラスメイト達との関係を壊すってことだから、相当の覚悟が必要だったと思うの。だって、冬陽ちゃんは独りになることを一番怖がっていたから」
「祀り上げられた
「……お前はどこポジションで意見してんだよ」
「もちろん、もう一人の秋月冬陽として、よ」
夏樹と冬陽の掛け合いに苦笑しつつ、小日向は続ける。
「でも、そんな時に現れたのが――水橋先輩だったんだ。あの人は、ようやく春野くんとの距離を縮めようとした冬陽ちゃんを地獄に叩き落とした。この前は春野くんと和解したいって息巻いてた冬陽ちゃんも、クラン発症の数日前には意気消沈で食事も喉を通ってなかったみたい」
「そりゃ、あの呪いのメッセージを大量に受け取ったらそうなるわね。クラスでの立ち位置を捨てても、お兄ちゃんが振り向いてくれるか分からないし。それどころか、自分がお兄ちゃんを不幸に陥れてしまうと考えたでしょうね。独りになることを怖がっていたのなら、あの呪いは効果覿面よ」
「そうみたい。実際、冬陽ちゃんは春野くんのことを大切に思ってみたいだよ。里子になって春野家に預けられた時、一番傍にいてくれた人だって言ってたもん。……もしかしたら、春野くんは冬陽ちゃんにとって特別な人だったのかも」
「だったかもって、それじゃあ楓さんも元のわたしの本当の気持ちは知らないんですか?」
意外そうに目を開いた冬陽に、小日向は顔を朱色に染めた。
「ご、ごめんね。冬陽ちゃんは恋愛自体に良い印象を抱いていなかったから――ほら、告白されて断る度に、本人も傷付いていたし。その冬陽ちゃんの気持ちを私も理解してあげたくて、あんまりそう言った話はしてこなかったんだ」
申し訳なさそうに眉を八の字にして俯く小日向に、夏樹は頭を横に振った。
「いいんだ。ありがとうな、小日向」
「えっ、そ、そんなのいいよぉ。少しでも力になれたのなら、私は十分だから」
えへへと笑う小日向。しかしやはり、その笑顔にも少し陰りが見える。
夏樹は少し俯くと、弁当の卵焼きに箸をつけた。
水橋の呪いも、確かにクラン発症の要因の一つではある。しかし、直接の原因は自分の唐突な告白にあった。
どれだけ冬陽が怯えていたのか知らずに、自分の気持ちだけを考えて……。
「でも、そっか。やっぱり俺の告白は、結局のところ冬陽を追い詰めただけだったのか」
「そんなことない!! 絶対そんなことないんだから!」
反射的に立ち上がった冬陽が、大きな声で夏樹の言葉を否定した。それが、先程から少しずつ冬陽に対する不満が募っていた夏樹に火を付ける。
「……なんだよ、なんでお前がそんなこと分かるんだよ」
いつもより低い声で、夏樹は隣に立つ冬陽を見上げる。
「分かるもん! だって……だってわたしは――わたしの、この気持ちは――……」
最後の方は、声が小さくて夏樹たちには聞き取れなかった。
夏樹は立ったまま俯く冬陽を見上げると「はぁ」と溜息を吐いた。
「もういい。結局、元の冬陽の本心は憶測の域を出ない。俺たちがいくら話し合っても、出てくる結論は、言うなりゃただの妄想だ」
「妄想なんかじゃないっ!」
ふーっ、ふーっ、と。興奮した猫のように息を吐く冬陽に、苛立ちを募らせていた夏樹も面をくらった。
「な、なんだよ冬陽。お前どうしたんだよ……」
「うっさい! だったらお兄ちゃんはどうなのよ!」
「は、はあ? どうって――」
「お兄ちゃんは、どうして元のわたしのことを好きになったの!? どうして、何年も話してない女の事が気になってるのよ!?」
「なんでって、そりゃあ――」
その先の言葉が、何故か夏樹には出てこなかった。
そう言えば、何故自分は冬陽の事を好きになったんだ? 確かに、血の繋がらない可愛い少女が一緒に住んでいれば、気になるのも当然だ。月日と共に少しずつ沈殿していく気持ちが、やがて冬陽に対する好意であると気付いたのも覚えている。
だが、始まりは? 恋というビンの底に、最初の好きが積もったのはいつの頃だ?
いや、違う。本当は分かってる。本当は覚えている。
でも、それを受け止めてしまうと、情けなさで心が欠けそうになる。
数十年に一度の寒波。吹き荒ぶ風。暴力のように襲い掛かる吹雪。
靴の中はぐしょぐしょで、吹雪のせいで一寸先も見えない。
でも、かくれんぼの時、いつもその子はそこに隠れていた。
その子は弱い子で、すぐに泣く癖があった。俺が何とかしないと。俺があの子を救ってあげないと――
『おれが、ふゆひをまもるよ』
「……なんでよ。どうして、思い出せないのよ」
「……違う。違うんだ」
うわ言のように呟く夏樹に、冬陽は髪を逆立たんばかりに怒鳴った。
「そんな軽い気持ちで今まで元のわたしのことを好きって言ってたの!? 信じられない!」
「……」
冬陽の叫びに、夏樹はただ俯くことしかできなかった。
何も言い返さない夏樹に、冬陽は小さく零すように呟いた。
「そう、なんだ。お兄ちゃんの好きって気持ちは、その程度なんだ。わたしは、こんなにお兄ちゃんのことを想ってるのに、お兄ちゃんは――」
切れ長の瞳に涙をいっぱい溜めた冬陽は、強く拳を握ると扉の前に立って鍵を開けた。
「お兄ちゃんなんか――大っ嫌い!」
捨て台詞のように叫ぶと、冬陽はスライド式のドアを開け放った。バアン! っと、凄まじい音を立ててスライドドアが開かれる。
小日向がビクッと肩を震わせる。その間に、冬陽は走り去ってしまった。
夏樹は、その後を追おうともしなかった。
走り去っていく足音が、喧騒の中に紛れて消える。
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