第44話 その男の名は……
夏樹と冬陽は別々のタイミングで教室に入った。その方が変な詮索をされないという夏樹の判断だった。
昼休みだったクラスは、ほぼ一か月ぶりに登校してきた冬陽のせいでお祭り騒ぎだ。冬陽はクラスメイト達から次々に話しかけられる。今の教室は、まるで転校生がやって来たかのような高揚感に包まれている。
「冬陽ー! 久しぶりじゃん! 元気になってよかったな!」「冬陽ちゃーん! おひさー」「秋月さんー。病気はもう大丈夫なの?」「元気そうで何よりだよー」「みんな心配してたんだよー?」「でも、秋月が戻って来てくれてよかったな!」「そうだねー!」
「あ、あはは。みんな、久しぶり」
冬陽は自分を祭りの神輿のように担ぎ上げるクラスメイト達に混乱しつつ、控えめに笑顔を作る。どうやら、初めての学校生活とクラスの異様な盛り上がりに気圧されているみたいだが、その反応がまさに元の冬陽らしく映っていた。
その様子を、夏樹は窓際一番後ろの席からぼーっと眺める。
冬陽はクラスの中心だ。不良も根暗も、運動部も文化部も、男も女も関係なく、冬陽は人を魅了する。理由は分からない。ただ、不良は冬陽をからかって楽しみ、男は冬陽の姿を見て魅了され、女子は羨望の眼差しを冬陽に向ける。そして、そんな冬陽を皆が持ち上げる。まるで、偶像のように。祀り上げるように。
夏樹は、それが面白くなかった。
中学時代のことだ。冬陽に課題のプリントを見せてほしくて話しかけたことがある。その時の冬陽の取り巻き達の『一緒に住んでいるからって調子に乗るな。面白くない』といった表情は、今でも忘れられない。
それ以降、夏樹は友人以外のクラスメイトから白い目で見られ続けた。冬陽の近くにいる存在というだけで、夏樹はクラスメイト達から嫉妬の目を向けられていたのだ。
だから、進路も男子校である工業高校を選んだ。結局は失敗したのだが。
それ以降、夏樹は学校で冬陽に近付かなくなった。クラスメイト達から向けられる視線が怖くて、冬陽に近付けなかった。そしていつのまにか、学校での距離感が家にまで浸透してしまい、夏樹は冬陽と話せなくなってしまったのだ。
今の彼にできるのは、こうして遠目から冬陽を眺めるだけだった。
冬陽は、たどたどしくクラスメイトと喋っていたが、いよいよ息苦しくなってきたのか、ちらっと夏樹を見た。
二人の視線が、一瞬だけ交錯する。冬陽の『助けてお兄ちゃん!』というヘルプの視線は、夏樹が顔を背けることによって一蹴されてしまった。
夏樹はスマフォを取り出してメッセージアプリを起動する。アプリのトーク一覧の一番上に表示されているのは小日向楓の名前だ。しかし、返信は未だ帰ってきていない。
小日向は学校に来ていなかった。もしかしてこの前の雨が原因で風邪を引いてしまったのかと心配してメッセージを送ったが、そのメッセージは既読すらつかない状態だ。
やっぱり、無理させ過ぎてしまったのではないか。放課後にでもお見舞いに行こうか、そんなことを考えていると、教室引き戸が勢いよく開け放たれた。
大きな音に、クラスメイト達が一斉に引き戸の方を見る。苦笑していた冬陽も、スマフォを弄っていた夏樹も、その引き戸から出てきた一人の少年に釘付けになった。
少し明るい茶髪の少年だった。整えられた眉に、少しキツめの三白眼。そして、何故か左の頬に貼られたガーゼ。学ランの下に赤いTシャツを着た少年は、ずかずかと教室に乗り込んでくると、クラスメイトの海を割って冬陽の前に立った。
ぎょっとした冬陽の上半身は、少し後ろに引いている。ふと、一瞬だけ冬陽が顔を夏樹に向けた。
冬陽が視線で訴えてくる。
(こ、この怖そうな人は誰!?)
(お、俺も知らん!)
謎の少年の登場に、二人の混乱はピークに達する。
少年はじっと冬陽を見下ろす。身長は夏樹と同じくらいで、今の冬陽より頭一つ高い。
一方、冬陽は完全に少年の雰囲気の飲まれて固まってしまっている。
無言の空間が、一体どれだけ続くのか。廊下の喧騒がどんどん遠ざかって、二人の耳に届かなくなり出した、その時。
「冬陽――っ! 会いたかったよ、オレのマイハニーっ!」
ガバアっと、急に少年が冬陽に抱き着いた。
「ひィっ!?」
冬陽だけでなく、夏樹もこれには瞠目した。
「おっと、どうしたんだい? そんな声を出して……? まさか、まだ快復していないのかい? まあ、オレもまだガーゼが取れないんだが……お互い、満身創痍だな」
頬を掻く少年。しかし、冬陽は少年の腕の中で石のように固まってしまっていて、何も聞こえていないようだった。
一方、それを見ていた夏樹の思考も混乱の極みにあった。
「なんだよあいつ……。冬陽に彼氏がいるなんて知らないぞ?」
夏樹も初めての事実に慄いていた。しかし、いないと否定するだけの情報を、夏樹は持ち合わせていなかった。
夏樹は冬陽の私生活をほとんど知らなかった。小日向とは中学からの仲だから知っているものの、高校での交友関係や色恋沙汰に関しては全く関与していない。
だからこそ、この事実に夏樹は愕然とし、同時に思い至った。
冬陽が倒れてしまった理由に……。
「……まさか、冬陽はあいつに身も心も捧げてたから、俺の告白にショックを受けてしまったんじゃ……」
愕然とした夏樹は、ガクンと項垂れる。
丁度その時、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「おや、もうこんな時間か。それじゃあ、また会いに来るよ冬陽。放課後は、空けといてくれよ?」
少年はウインクをしてそう言い残すと、石化した冬陽を残して教室から去って行った。
彼が去っていくのを確認したクラスメイト達は、次々に冬陽に詰め寄る。
「秋月さん、あの水橋先輩と付き合ってたの!? 羨ましいー!」
「いいなあー。あたし、水橋先輩狙ってたんだけどなー」
「美男美女でお似合いのカップルだなっ! なあ、付き合ってどのくらいなんだよー」
盛り上がるクラスメイト達の喧騒から離れた席で、夏樹は授業が始まるまで呆気にとられて固まっていた。
その日の授業は、一切頭に入ってこなかった。
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