第42話 担当医の提案

 クランの説明の途中、冬陽はスッと手を挙げた。


「ねえ、先生。一つ訊いてもいい?」

「うん。どうぞ?」

「結局、わたしは一体何者なの?」


 クランという病気がどういったものであるかは、冬陽自身理解したようだった。しかし、病気の結果生まれた今の冬陽は、一体どういう理由で生まれたのか。それが、彼女は訊きたかったようだった。


 担当医は、ヒゲを撫でるとカルテを見た。


「んー、はっきりとしたことは分かってないんだけどね? 私の仮説では、どうやらこの病気で生まれる人格は、元の人格が秘めていた感情の塊であるとしてるよ」

「秘められた、感情?」

「そうそう。元の秋月冬陽さんが、したくても出来なかったことや、心の内に溜め込んでいた感情。そういったものを表に出せる人格。それが、今の秋月冬陽さんだと、私は考えているんだよねぇ。夏樹君なら分かるかな? 彼女、元の冬陽さんとは正反対の性格だったでしょ?」


 夏樹は担当医に言われて、首を縦に振る。そう感じたことは、一度や二度ではない。


「そうですね。やっぱり、今の冬陽は元の冬陽に比べてかなり生意気――おぉん!」


 ――ドンッ! と、冬陽が振り返らずに裏拳を放った。それが夏樹の太ももにクリティカルヒットする。


「……ではなくて、活発なところがありました。でも、その行動は冬陽らしくないのに、何故か懐かしい感じがしたんです。だから、俺は今の冬陽が元の冬陽と全く違う存在だとは感じられなくて……」


「うん。そういうことなんだ。つまり、今の冬陽ちゃんと元の冬陽ちゃんはコインの表裏のような存在なんだよね。今の冬陽ちゃんがいるのは元の冬陽ちゃんのお陰なんだけど、今の冬陽ちゃんがいるからこそ、元の冬陽ちゃんは今まで自分という人格を保持できていたんだ」


 夏樹の予想は当たっていた。今の冬陽は元の冬陽から生じたもので、別人なんかではない。冬陽は、冬陽なのだ。


「元のわたしの、表せなかった感情……それって――」

「そればっかりは分からないかな。でも、冬陽さん。君なら何か感じているんじゃないかな? 言葉だと言い表せない何かを。溢れ出てしまう何かを」


 担当医の言葉に、冬陽は黙り込んでしまう。しかし、自分の胸に手を当てると、冬陽の表情は少し和らいだ。


 きっと、自分の中にある『何か』を感じ取ったのかもしれない。

 そんな時。「そういえば」と夏樹が担当医に質問した。


「どうして先生は、俺に『精神だけでなく肉体までも変わってしまった存在は、果たして本物の秋月冬陽といえるのだろうかね?』なんて言ったんですか?」

「ああ、あれね。ああでも言わないと、あの時の夏樹君は今の冬陽ちゃんを一人の人間として見てあげられないと思ってね。でも、大抵の保護者は気が付くんだよね。不思議だよね、これが絆とか愛とか、そういうものなんじゃないかな?」


 ニヤリと笑う担当医に夏樹は複雑な顔をする。

 やがて、説明がひと段落すると、担当医はギシっと椅子を軋ませて前かがみになった。


 冬陽と担当医の顔が、少し近くなる。


「さて、説明は一通り済んだところで、今度は自己決定の質問だよ。秋月冬陽さん。もし薬の精製が間に合った場合、君は投薬治療を受けますか? それとも受けませんか?」


 その問いかけに一番身を強張らせたのは、二人の奥にいた夏樹だった。

 夏樹は、今の冬陽に全ての選択を任せると決めておきながら、未だに心の底で元の冬陽に会いたいと思う矛盾を抱えている。


 冬陽がどんな選択をするのか……。固唾を飲んで、彼女の返答を待つ。

 夏樹からでは、冬陽の後ろ姿しか見えない。彼女がどんな表情で担当医の問いに対しているのか分からない。


 冬陽は、ゆっくりと口を開いた。


「……まだ、返事はしないわ。もし、わたしの年齢が17歳になるまでに薬の精製が間に合ったら、その時はちゃんと返事をさせてちょうだい」


 毅然とした声音で、冬陽は担当医に言った。

 担当医は、ゆっくりと自分の顎を撫でた。


「ふむ。それは迷っている、ということかな?」

「そうね。でも、わたしは元の冬陽のことを全然知らない。だから、彼女がどんな人で、どんな出来事があってわたしを生み出したのか。それが知りたい」


 冬陽がそう言うと、担当医は「ふむふむ」と頻りに頷いた。


「それが君の決定なら、医師はその決定を尊重するよ。治療しようにも薬はないんだ。決定を急ぐ必要もない。返事を保留するのも、君の意志だよ」


 担当医の言葉を訊いて、冬陽は心なしか元気よく「はいっ」と返事をした。

 夏樹はほっと胸を撫で下ろした。そして、胸を撫で下ろした自分に嫌悪感を感じた。


 そんなことには気付かずに、担当医は「おっ。私良いこと考えちゃったー」と不穏なことを言い始めた。


「良いこと?」冬陽が首をかしげる。

「うん。冬陽さんは、元の冬陽さんのことを知りたいんだよねぇ?」

「ええ。まあ、そうだけれど」

「だったらさぁ」


 担当医が、悪戯を思いついた小学生のような意地の悪い笑顔を作る。

 夏樹は嫌な予感に身を震わせた。


「冬陽さん。夏樹君の通う学校に行けばいいんじゃないかな?」


 爆弾級の発言を投下したのだった。


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