第41話 担当医の真意

 その日、夏樹と冬陽は担当医を問いただすために県立医療センターへ向かった。

 受付を済ませて待合室で待つこと15分。看護婦から「番号札一〇五番。秋月冬陽さま。15号室にお入りください」と声が掛かった。


 討ち入りする赤穂浪士のような気分で、夏樹と冬陽は15号室のスライドドアを開けた。


 いつもの個室。左にベッドがあり、簡単なドラムチェアのような椅子と医師の机。その机の横に――


「やあ。また大きくなっちゃったのかな?」


 ――あの医者はいた。


 夏樹は飄々とした担当医の態度に惑わされることなく、言い返した。


「俺が言いたいことは、あんたならよく分かるだろ?」

「んー、その台詞を聞くのも二回目だねえ。まっ、そんなに殺気立ってないで、早く座っちゃいなよ。ほら、冬陽ちゃんも――いや、もう冬陽さんかな?」


 楽しそうに笑う担当医に、冬陽も敵意を露わにする。


 とりあえず、冬陽はドラムチェアのような椅子に。夏樹は奥の壁に畳まれて立てかけてあったパイプ椅子を広げて座った。


 担当医は、二人が着席するのを確認すると、ゆっくりと息を吸った。


「ええっと、そうだね。まずは強引な手段を講じたことを謝ろうかな。ごめんね」


 突然の謝罪に、夏樹と冬陽は怪訝そうな視線をより強くした。


 その反応も予想済みなのか、担当医は二人の反応を無視して続ける。


「夏樹君に、元の秋月冬陽さんと今の冬陽さんを比較する日記を書いてもらったのは、今の冬陽さんに自分が何者であるかを正しく認識させるための方法だったわけだ」


 さも当然のように言う担当医に、冬陽が声を上げた。


「正しく認識って、もっと色々方法があったんじゃないの!? あんたのせいで、わたしがどれだけ傷付いて、お兄ちゃんがどれだけ辛かったか!」

「いやいやそう言うけどね? でも、もし私が夏樹君にあの日記を書かせなかったら、君は多分永遠に自分が『秋月冬陽の側面』であることに気付かないままだったよ?」


 担当医の言葉に、冬陽は「それは……っ」と黙り込んでしまった。


 そう。夏樹は隠していた。本当の事を知らなければ幸せでいられると思って、冬陽に真実を隠していた。

 黙り込む二人に、担当医は人差し指を立てた。


「ねえ、二人とも。インフォームドコンセントって知ってるかな?」

「「インフォームドコンセント?」」


 冬陽と夏樹の疑問のおうむ返しがシンクロする。


「うん。インフォームドコンセント。医療行為の対象者。つまり冬陽さんを治療する上で、私が正しい説明をして、十分理解してもらった上で治療方針に合意することを言うんだ。今の医療ではそれが必須でね。そのために日記を書いてもらって、わざとその日記内容を患者に教えることで、冬陽さん。君に病気を認識してもらったの」


 淡々と話す担当医に、今度は夏樹は反論の声を上げた。


「でも、だったらどうして、俺に日記の本当の使い道を教えなかったんですか? というか、そもそも初めから俺に本当の事を話していれば、こんなことには――」


「だからそれはさっき説明したよね? そんなことをしたら、君は絶対に冬陽さんに病気のことを伝えなかったでしょ。病気発祥直後の冬陽さんは3歳。とてもこの病気を理解して決定することは出来ないよね? その場合、保護者に決定権が移るんだ。今回の場合、冬陽さんの保護者である春野夫妻は、事の発端となった夏樹君の意見を尊重すると言われた。だから、発症当時は君が決定して良かったんだ。でも――」


 ここで担当医は、一度言葉を切った。


「――当時の君は『元の冬陽さんに戻す』方法を選んだ。そして、今の冬陽さんにそれを知らせないことを選んだ。そこで問題になるのは、今の冬陽さんの『未来を得る権利』なんだ」


 担当医の言葉に、冬陽は思案顔になる。


「……未来を得る、権利?」


「そそ。これが、急激に心身が成長するこの病気の難しいところでね。冬陽さんを人間扱いする以上、冬陽さんにも『生きる権利』が生じるわけ。普通なら、治療の決定権は保護者の同意で行うんだけど、この病気って薬を一度飲むか飲まないかしか治療法がないからね。しかも、薬を生成するのに時間がかかるから、その間に患者が成長して自己決定が行える歳にまで成長することもあるし」


 担当医は続ける。


「だから私は、君が自己決定できる年齢になるまで待たなくてはいけなかった。日本のガイドラインでは、大体12歳くらいからインフォームドコンセントが行えるんだ。だから、12歳を越えて自己決定ができるようになった冬陽さんに、私は日記を見るように言ったの」


 冬陽が日記を見たのは13歳の時だ。もう十分に生意気で、自分のことは自分で決められる年齢だった。


「何故かこの病気の患者は、私の口から事実だと説明しても絶対に信じてくれないんだよね。少し惨いとは思うけど、事実この病気の患者は、この方法でしか病気のことを認知しないんだ。真実を近しい人から告げられないと、気付けないんだよね」


 お伽噺か何かだと勘違いしてしまうんだ。と、担当医は付け足した。


 担当医の言ってることは最もだと夏樹は思った。もし、この医療センターでこの説明をしても、冬陽は信じなかっただろうし、たとえ信じても今回の日記騒動のような事態は避けられなかったかもしれない。


 冬陽は黙って話を聞いた後、ゆっくりと口を開いた。


「もう、いいわ。日記のことは大体分かったし、そうしなくちゃいけなかったって納得も出来た」

「そう? なら、ここから改めて説明するね」


 担当医はカルテを手に取ると、クラン症候群の説明を始めた。

 何らかのショックで肉体と精神が後退してしまうこと。それが夏樹の告白にあること。


 治すには薬の精製が必要で、出来上がるのには時間がかかること。

 それらの説明を、冬陽は黙ったまま真剣な表情で聴いていた。

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