第37話 自分が生まれた理由(ワケ)
「ええっと、それよりも冬陽ちゃん。好きな人を想うって、どんな感じなの? ちょっと教えてほしいかなあ、って」
慌てて若菜が笑顔を作ると、冬陽は頬を膨らませてそっぽを向きながらも、少しずつ話してくれた。
「えっと、なんというか……温かい? 気持ちになるというか。うわーってなるというか。えーっと、なんか上手には言えないけど、好きって気持ちがどばーっと湧き上がってきて、まるで自分が自分でないみたいな気持ちに――」
ん? と、冬陽は一瞬疑問に思った。
夏樹のことを考えると、自分が自分でないみたいに感じる?
それって……
「それだよ」話を聞いていた若菜が言った。
「それが、冬陽ちゃんが一番身近に感じる元の冬陽さんなんだ」
若菜が、人差し指を立てて言った。
冬陽は、その意味が一瞬分からなかった。愕然としたまま、若菜を見つめた。
「えっ。それじゃあ、この気持ちは……わたしのものじゃないの?」
「そうじゃない! お兄さんが好きという、冬陽ちゃんの気持ち。それが、冬陽ちゃんと元の冬陽さんを繋ぐ、大切な感情なんだ。二人の冬陽は、お兄さんを好きだって気持ちで繋がっている!」
確かな確信を持って、若菜は冬陽に告げる。
だが、冬陽は到底信じられなかった。
頭を振って、冬陽は若菜に反論する。
「なによ、それ。どうして、若菜さんにそんなことが分かるの!? お医者さんでもないのに! それに、元の冬陽はお兄ちゃんに告白されて、この病気になったんだよ!? それなのに、お兄ちゃんが好きだなんて信じられ――」
「元のボクも、そうだったから」
寂しそうに、若菜は冬陽に伝えた。
突然の告白に、冬陽は瞠目してしまう。
「どうしてボクがクラン症候群になったか、言ってなかったよね。元のボクは、家族に捨てられたと思ったんだ。だから、自分の代わりに愛される存在を作った。それが、今のボクなんだ」
ジャリ……っと、若菜の履いたスニーカーが土管の丸底に残った砂を擦った。
「元のボクは、両親に『お前なんて産まなきゃよかった』って言われて倒れたらしいんだ。丁度、警察に万引きの容疑で補導された後、警察署でね。元から素行が悪くて、危ない人とも交友があったらしいよ。でも、それには理由があったんだ」
「……理由?」
「うん。元のボクは、本当は気の小さい女の子だったみたい。でも、素行の悪い連中に目を付けられて、パシリみたいな役目を強要されていたようなんだ。断ることもできなくて、なし崩しに夜歩きや万引きを繰り返した。その度に両親に怒られたんだって。姉さんも、そんな妹にどう接したらいいか分からなくて、距離を取ってしまっていたみたい。でも、本当はそんなことしたくなかったんだ。本当は、両親や姉さんと仲良くしたかったんだよ」
若菜は、まるでそれを見てきたかのように話す。きっと、小日向や両親から元の自分の話を聞いたのだろう。
冬陽は、少し寂しくなった。夏樹は、それを黙っていたのだから。
若菜は続ける。
「ある日。ボクは元のボクの部屋に入ったんだ。小日向若菜という人物を知りたくてね。そこで、未開封のプレゼントを三つ見つけたんだ。それは、父の日、母の日、それから姉さんの誕生日に渡すはずのプレゼントだった。それを見て、ボクは確信したんだ。元のボクは、家族が大好きで、何よりそんな家族を悲しませている自分が大嫌いだったんだって。だから両親からあの言葉を聞いた瞬間、病気になったんだって」
あの言葉。『お前なんか生まなきゃよかった』という、ナイフのような言葉。
それが、元の若菜の心に深々と突き刺さった。だから、クラン症候群になった。そして、今の若菜が生まれた。
じゃあ、自分は? 冬陽は自身に問いかける。
元の冬陽は、どうして大好きだった夏樹に告白されて倒れたのだろうか? そして、どうして自分なんかを生み出したのだろうか?
分からない。冬陽は助けを求めるように若菜を見上げた。
「……ん? どうしたの?」
冬陽の視線に気付いた若菜が、小首を傾げた。優しく微笑むその様子は、面倒見のいい姉のようだった。
その笑みを見た冬陽は、自然と自分の気持ちを吐露してしまった。
「わたしは、どうして産まれてきたのかな……」
自分が生まれてきた
自分は元の冬陽と夏樹にとって、どんな存在なのか。
若菜は濡れた冬陽の頭を、そっと撫でた。染みる程、その手は温かかった。
「それを知る手掛かりは、君のお兄さんと元の冬陽さんが握ってる。だからさ、冬陽ちゃん。もう少し、元の冬陽さんを知ってみたらどうかな。消える消えないっていうのは、その後に決めてもいいんじゃない?」
そう言って、若菜は土管の中から外を見上げた。その若菜の視線を目で追って、冬陽はハッとした。
雨が、上がっていた。
「もう、雨宿りの必要はないね」
若菜は土管の遊具から出ると、中にいた冬陽に手を差し伸べた。
冬陽は、その手に掴まって遊具の中から出た。
ふと、空を見上げた。分厚い曇天は割れ、その中から太陽の光が差し込んでいる。その光は橙色。もう夕方だった。
空を眺める冬陽の横で、髪を靡かせる若菜。彼女もまた、雨上りの空を仰いでいた。
「……でも、最後に会えてよかった」
「えっ?」
不吉な言葉に、冬陽が若菜の方を再び見た。それと同時に、遠くから聞きなれた声が冬陽の耳に届いた。
「……おーい! 冬陽ぃ!」
住宅地の向こうから公園に向かってくるのは、びしょびしょに濡れた夏樹と、傘を持った小日向だった。
冬陽は急に落ち着かなくなって、ついつい地面を見つめてしまう。大口叩いて出て行った手前、どんな顔をして会えばいいか分からなかったのだ。
ぬかるんだ公園の土を踏む足音が、どんどん近づいてくる。それに合わせて、冬陽の心臓の音も大きくなっていく。
なんて言われるだろう。冬陽は怯えていた。勝手なことを言って家を飛び出して、心配ばかりさせたのだ。怒鳴られるかもしれない。叩かれるかもしれない。そう思うと、冬陽の全身から嫌な汗が流れてきた。
乱れる息が、俯く冬陽の前から聞こえる。やがて、冷たい何かが顔を包んだ。
「――心配したんだぞっ!」
ずぶ濡れの夏樹が、冬陽を抱きしめたのだ。
冬陽は、驚きのあまり喋ることを忘れてしまう。
「……ごめん、冬陽。ずっと本当のことを黙ってて。俺、冬陽のことを傷付けたくなかったんだ。だから、ずっと黙ってた。知らなきゃ、冬陽は幸せなままだと思ってたから」
「……お兄ちゃん」
「でも、本当は怖かったんだ。冬陽が本当の事を知ってしまうことが。結局、冬陽のためとか言っておきながら、俺は自分のことしか考えてなかったんだ。だからごめん」
夏樹が、濡れた冬陽の頭を優しく撫でる。一度、二度と撫でられる度に、冬陽の気持ちが揺れて、何かが溢れてきた。
「……ごめん、なさい」
それは、大好きな人を困らせてしまったという、後悔の気持ちだった。
「……心配ばかりかけて、ごめんなさい」
涙と一緒に、冬陽は言った。
冬陽の急な謝罪に、夏樹は面をくらった。てっきり冬陽が激怒するとばかり思っていたからだ。
夏樹はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
言わなくてはいけない。もう、先延ばしたり見ないふりをするのだけは、嫌だった。
「……冬陽。家を飛び出す前にお前が言った言葉に、ちゃんと答える。俺は――」
「いいっ。言わなくていい!」
「へっ?」
今度こそ、夏樹は瞠目した。
自分の胸の中で「えっぐえっぐ」と泣く冬陽。彼女は、自分を選んでくれない夏樹に激怒して飛び出したのではなかったのだろうか。
驚いたまま、夏樹は冬陽の奥で微笑んでいる若菜を見た。
若菜は、にこにこと微笑んだまま二人を見守っていた。
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