第33話 あるはずのない、記憶
ずぶ濡れの冬陽は、とある公園の遊具の中で膝を抱えていた。
マンションから五分ほど歩いた先にある大きな公園。その中にある土管で作られた蒸気機関車の形をした遊具の中で、冬陽は何度目かの身震いをした。
この公園は、一度だけ若菜と一緒に来たことがある。夏樹や小日向に内緒で一回だけ外に出た際に訪れた場所だ。その時は色んな遊具で遊んだ。この蒸気機関車を模した土管もその一つだ。
でも、そのはずなのに冬陽には違和感があった。
初めて来るはずなのに、何故かこの公園で遊んだ覚えがあったのだ。ブランコで靴飛ばしをした思い出が。シーソーでお尻を痛めた思い出が。滑り台を逆から登りきった思い出が。経験していないのに、何故か確かな思い出として心に残っていたのだ。
今思えば、それが元の冬陽の記憶なのかもしれない。そう思うと、吐き気がした。
自分というものが不確かになる。自分が内側からぐずぐずに腐っていくような、そんな気さえしてしまった。
「……寒い」
五月とはいえ、今の冬陽はずぶ濡れであることに加え夏物のワンピース姿である。濡れた体が徐々に熱を奪っていく。人肌が恋しい。
しかし、家に帰ることだけは絶対に嫌だった。
冬陽は夏樹が好きだった。ちょっと無神経でデリカシーが無いけれど、優しくていつも自分のことを案じてくれる優しい兄。そう、冬陽は夏樹のことを思っていた。
けれど、真実はそうではなかった。夏樹が優しくしていたのは、もう一人の冬陽のためであり、薬が完成したら、その薬で自分を消そうとしていたのだ。
最初は信じられなかった。あまりにも突飛過ぎて、何かの冗談かと思った。けれど、夏樹と話してみて、それは確信に変わった。夏樹は、自分よりも元の冬陽を好いている。あの時、夏樹が自分を選んでくれなかったことが、何よりの証拠だった。
「これから、どうしよう……」
自分に行く宛など無い。自分にとって、あの家こそが全てだった。若菜を頼るという案もあったが、自分は彼女の居場所どころか家の住所すら知らない。それに、もし若菜と出会えても、きっと連れ戻されるに違いない。それは嫌だ。
だから、こうして公園の遊具で雨宿りしているのだ。
この遊具に黙って隠れていると、知らないはずの記憶が蘇る。
今みたいに寒い日。しんしんと雪が外に積もっていく中、ここで自分は今と同じような気持ちで膝を抱えていた。
何か大切なものを失って、独りぼっちになって、帰る場所もなくて。そんなどうしようもない不安と孤独感で押し潰されそうになっていた、その時だった。
『やっぱりここにいた。安心してね。おれが、ふゆひをまもるよ――』
「――やっぱり、ここにいた」
「えっ?」
雨の音の中で、聞き覚えのあるアルトボイスが冬陽の耳に入った。
思わず顔を上げる。一瞬だけ、自分を呼ぶ少女が知らない記憶の中で見た少年に見えた。
「わ、若菜、さん?」
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