第10話 初料理
充満する焦げた臭い。炭化した白身を衣のように纏って、焼き過ぎてミイラのように萎んだ食パン。その食パンは短冊切りにカットされていた。
皿に盛ったソレを見て、夏樹が最初に抱いた感想は……
「……なんか、写真と違わないか?」
違和感だった。
夏樹がスマフォで画像を確認すると、そこにはふわっと膨らみ、きつね色に焼けたフレンチトーストが四つに切り分けられていた。勿論短冊切りではない。
ここまで来ると、謎の自信に満ち溢れていた夏樹も慄く。
「ま、まあ写真と違っても味がしっかりしていればいいんだ! まずは試作品一号、味見してみるか」
いくら見た目が悪くても、味さえしっかりしていれば問題ない。なんせ、食パンを浸して焼いただけの料理だ。こんな簡単なもの、作れない方がおかしい。
夏樹はフォークを用意すると、猜疑心に襲われつつも干しイモのようにしおしおになったフレンチトーストに齧りついた。
――ジャリッ。と、不穏極まりない音がした。
「もぐもぐ……ん、ぺっ。た、卵の殻が入ってた……」
フレンチトーストといえば、とろっとした食感に広がる甘味と牛乳のまろやかさが印象的だ。しかし、夏樹のフレンチトーストに最初に広がるのは生のままのパンの食感と、後からくる焦げた白身の苦み。なんというか……その――
「――て、丁寧に焼いた食パン?」
大失敗だった。
「苦みはすぐに消えるけれど、その後一切味がしないのは……もしかして、シナモンが少なかったからか? それかもしくは、ちゃんとパンに味が染みてなかったからか? くそーっ、とにかく全部食べて、新しく作り直さないと……!」
再び闘志を燃やした夏樹は、食パンの袋に手を伸ばして……そして瞠目した。
「そうだった……さっきのが最後の一枚だった……っ!」
何故ちゃんと買っておかなかったんだ! と、心の中の自分が吼えた。
ふと外を見ると、既に日は昇って夜の気配はどこにもなかった。
冬陽が起きてくるまで、あまり時間は残されていない。夏樹は財布をポケットに入れると、急いで近所の24時間スーパーへ駆け出した。
※
リビングの扉が開く音が聞こえたのは、午前7時を過ぎた頃だった。
「兄ちゃんおはよー……」
冬陽が目を擦りながらリビングへとやって来る。絹のような黒髪が、四方八方にハネていて、その毛先が歩く度にふわふわ揺れていた。
夏樹は机に突っ伏した状態で、辛うじて顔だけを上げた。
「お、おう……冬陽。おはよう」
「兄ちゃん、朝から何してんの? なんか変な臭いするー」
冬陽は嫌な顔をして鼻を摘まんだ。その様子だけでもひどく傷ついた夏樹だったが、そこは残された力を何とか使って答えた。
「あ、ああ。朝飯をな……作ったんだよ」
夏樹がテーブルに置いた皿へと視線を向ける。その目線を追って、冬陽もまたテーブルに置かれた盛り皿を見た。
そこには、きつね色になった四つ切のフレンチトーストが乗っていた。表面はこんがりとしたきつね色で、仄かに甘い香りも漂ってくる。
眠そうだった冬陽の目がぱあっと明るくなった。
「うわーっ! すごーい! これ兄ちゃんが作ったの!?」
目を輝かせ、身体を乗り出す冬陽に夏樹は親指を立てた。
「も、もちろん……。余裕だ、こんくらい」
ここに至るまでの苦労は語るまい。夏樹は辛うじて笑顔を作って心に決めた。
食パンを買ってきて、作り直すこと十三回。もちろん費用は自分の財布から。失敗したパンは全て責任を持って自分の胃袋に放り込んだ。腹が限界まで膨れ、フラフラになりながらもパンが足りずにもう一度買い足しにスーパーへ向かい、再度チャレンジもした。
その甲斐あってか、なんとかフレンチトーストとしてまずまずのものが出来上がった。
冬陽は早速フォークを握って、フレンチトーストに突き刺した。口を大きく開けて「あむっ」っと頬張る。
なんだかハムスターみたいだな。と夏樹は思った。
しかし、フレンチトーストを頬張る冬陽の表情は徐々に輝きを失っていき、最後には不満そうに皿を睨んでいた。可愛い眉が八の字を作っている。
「……全然甘くない。まずいぃぃ……」
ぽっきりと、夏樹の中の何かが折れた音がした。
「あぁ……あぁぁぁぁぁ」
風船の空気が抜けていくように、再び夏樹は項垂れてしまった。まだこれから学校だというのに、もう徒労感で立ち上がれそうにも無かった。
一体、何がいけなかったんだ?
「兄ちゃんなにこれー。甘い匂いがするのに全然甘くないよー」
上から聞こえてくる冬陽のコメントが、夏樹に甘みが少なかった原因を教えてくれた。
フレンチトーストに良い香りをつけるために、夏樹は牛乳と卵を混ぜる際にシナモンをかけた。しかし、シナモンというからにはきっと甘いのだろうと思った夏樹は、シナモンを大量にふりかけて、逆に砂糖を少なめに入れてしまった。
結果、ほとんど甘味の感じないフレンチトーストになってしまったのだ。
「く、くおぉぉぉぉぉ! 俺の、俺のいい加減な性格がああああっ! ばかあっ!」
夏樹は頭を抱え込んでじたばたする。そんな夏樹の様子など気にも留めず、冬陽は無慈悲にもフォークを置くと盛り皿を流し台に持って行った。
「ふゆひこれいらないー。もうごちそうさま――」
と、流し台に皿を置こうとした時。冬陽の目に、夏樹の努力の跡が映った。
表面にいくつもの焦げ跡ができたフライパン。
IHコンロに飛び散った、シナモンの粉末やカピカピになった溶き卵。
まだ少し残っている、牛乳と卵を混ぜた薄黄色の液が入ったボウル。
そして、大量の焦げが詰まった水切りネット。
冬陽はそれらをぐるっと見渡した後、自分の手に持っている皿に乗ったフレンチトーストを見た。
「……ねえ、兄ちゃん」
「く、食わないなら置いといてくれ……。あとで、俺が食べとくから」
「ううん。どうせ他に食べるものないんだもん。食べないとばちあたりだもんね」
「えっ……?」
夏樹が思わず顔を上げる。丁度、皿を持った冬陽と目が合った。
「えへへー、兄ちゃん大好き!」
冬陽の明るい笑顔は、まさに冬場に顔を覗かせる陽光のようだった。
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