第7話 先輩の気遣い
「冬陽ちゃんもクラン症候群だって聞いた時は、すっごい驚いたよぉ」
春風が入り込む冬陽の病室。小日向と夏樹は、その窓際で二人の少女がじゃれ合う様子を眺めていた。
一人はワンピース姿の冬陽。こちらは6歳で、髪を振り乱して追いかけっこに興じていた。その姿は、元気な小型犬のようにはつらつとしていて、なんだか微笑ましい。
もう一方は、少し明るい栗色の髪をショートカットにした少女だった。活発そうな瞳をした少女は、追いかけてくる冬陽からつかず離れずの距離を保って逃げ回っている。年齢は冬陽より上のようで、大体――
「12歳。元の年齢は……15――あっ、私の妹の話だよ? 私の妹、名前は若菜」
話す順番がおかしいことに気付いたのか、慌てて小日向は訂正する。
「分かってるよ。にしても、小日向の妹さんもクラン症候群だったのか。びっくりした」
夏樹はポケットに手を突っ込んで窓際にもたれかかったまま、小日向の妹である若菜を見た。
もう、ずいぶん大きい。話によると、先月からクラン症候群を患っていたと聞く。
「なあ、小日向。若菜ちゃんは、病気にかかった時……何歳だった?」
夏樹の問いかけに、小日向は記憶を掘り起こすように、人差し指を顎に当てて右上の方を見上げる。
「んんと、確か2歳くらい……だったかな。まだ呂律もまわってなかったし」
「そっか。それに、急にデカくなるって聞いたんだけど、どんな風に大きくなるんだ? まさか、目の前でムクムクって感じ?」
「いやいや、そんなんじゃないよ。目を離した隙に、っていうのかな? 朝起こしに行ったらとか。トイレから戻ってきたら、とか」
「おいおい。寝てるのはともかく、トイレの間にデカくなったら、少なくとも本人は普通気付くもんだろ?」
「それが気付かないんだよ……。なんでも、クラン症候群の患者は自分が急に大きくなることについて疑問を持たないんだって」
「なんだよそれ……その間の記憶はどうなってんだよ。例えば、3歳から6歳になった時の空白の記憶とか」
「う、ううっ。わ、私もお医者さんじゃないから分からないようぅ。でも、急に大きくなっても、それで起こる弊害は全然気にしなかったよ? 訊いても『よく覚えてない』って言うだけだし……」
困りきった様子の小日向を見て、夏樹は問い詰める相手をはき違えていることに気付き、黙った。担当医は別の患者がいると言って部屋を出ている。
「ごめん、小日向。他にも訊きたいんだけど、若菜ちゃんは、どれくらいの期間でどのくらい成長してるんだ?」
成長には個人差があるとはいえ、訊いておきたい事柄だ。そうすれば、いざ冬陽が急成長した際にも冷静さを失わずに済むかもしれない。
「えっとね、はじめは2歳だったんだ。それから一週間で5歳。その四日後には7歳になって、二週間後には11歳。それで、先週から12歳って感じかなあ。本当に少し目を離すと大きくなってるから、こっちもびっくりだよぉ」
「バラバラだな。どれだけの日数でいくつ年を取るかってのは、予想できそうにない」
そう言いながら、再び夏樹はクラン症候群を患った少女たちの追いかけっこに視線を戻した。
無邪気に走り回る冬陽。それに付き合いつつ、冬陽がへそを曲げないように駆け足で、尚且つ周囲にぶつからないよう注意している若菜。その様子は、まるで本物の姉妹のようだ。
「でも、ちょっと嬉しいな」
小日向がそう言った。夏樹は隣に立つ小柄な少女に視線を向ける。
「どういうことだ?」
「あっ、別に変な意味じゃなくてなくてね? 確かに冬陽ちゃんがクラン症候群にかかってしまったのは辛いけど、でもクラン症候群なら私にも冬陽ちゃんが快復する手伝いができるから……」
そこで言葉を切ると、小日向は肩に下げていたショルダーバッグからメモ帳を取り出した。
さらにボールペンを取り出して筆を滑らせる。小日向はサラサラと何かを書き込むと、メモ帳を千切って夏樹に手渡した。
気のせいか、小日向の頬が赤くなっているような気がした。
「えっと、私のアドレスと電話番号……なんだけど。もし何かあったら連絡してね。何でも相談に乗るから。た、頼ってほしい……かも」
顔を真っ赤にする小日向。夏樹の視線は顔から細い腕へ向かい、そしてアドレスと電話番号が書かれた紙へと辿り着く。
不安だった気持ちが、少しずつ薄らいでいく。
全てを一人で乗り越えないといけないと思っていた。その重圧が、嘘のように肩から消え失せていた。
「ありがとう。嬉しいよ」
「えへへー。……一緒に冬陽ちゃんを助けようね」
トロンとしたような笑顔から一転。小日向は力強い視線で言った。
一人じゃない。ここに、力強い味方がいる。そう思うと、これからの生活も乗り越えられるような気がした。
「ああ。必ず冬陽を助ける。約束だ」
夏樹は力強く言ってのけた。
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