第5話 冬陽の親友

 翌日。夏樹は学校で昼休みを迎えていた。

 購買で買ったメロンパンは一口も進んでいない。昨日の出来事のせいか、食欲も湧かず、ぼんやりとしていることが多くなった。


 昨日、冬陽がクラン症候群という奇病を患ったことを知った夏樹は、冬陽が急に大きくなった場面を目撃し、覚束ない足取りで医療センターを後にした。


 冬陽が小さくなって、そして一瞬で歳を重ねた様子は、悪い夢でも見ているんじゃないかと思うほど現実味が無かった。


 自分の身勝手な告白が、好きな女の子をあんな姿にしてしまった。そして、今度は自分のせいで好きな女の子の存在が消えてしまうかもしれないのだ。


 夏樹は、ふと口の付いていないメロンパンに視線を落とした。

 ああ、早く食べないと。なんとなくそう思って、口を動かす。メロンパンは甘く、ぱさぱさして美味しいなんてとても感じられない。


 そんなセミの抜け殻のようになってしまった夏樹の席に、一人の女子生徒がやって来た。


「は、春野くん。今ちょっといい?」


 声をかけられ、夏樹はぼーっと彼女を見上げた。

 校則通り長い髪を二つにくくった少女。目は垂れ気味でおっとりとした雰囲気を醸し出し、綺麗な唇がもごもごと何か言いたげに動いていた。肩を狭めて、きゅっと手を前で握る。そのせいか、彼女のでっかいおっぱいが更に強調される形となった。


 小日向楓。それが、このおっぱいの大きな少女の名前だ。


 普段なら夏樹も思わずちらっと見てしまうでっかいおっぱい。それを前にしてもなお、彼は心ここに非ずといった様子だった。


「……ああ。小日向か。いや、ちょっと考え事しててさ。何? 何か用?」


 小日向と呼ばれた少女は、少しだけ言い淀むと、形の良い眉を八の字にする。


「……えっと、春野くん、昨日冬陽ちゃんの面会に行くって言ってたでしょ? 冬陽ちゃんの容態が気になって……。その、実は私も面会に行ったんだけど、家族以外は面会謝絶って言われちゃって。だから、冬陽ちゃんが元気なのか教えてほしいなあって……」


 小日向は今にも泣きそうな濡れた声で夏樹に訊いた。


 夏樹は思案しながら、ちらりと他のクラスメイトを見やる。普段冬陽を取り囲んで祭りの神輿のように祭り上げているクラスメイト達は、小日向のように彼女のことを心配している様子はなかった。


 腹の中で苛立ちが沸き上がった。

 冬陽はクラスの人気者でアイドル的存在だ。だが、こんな時に冬陽の事を心配してくれるのは、中学時代から冬陽の親友である小日向楓だけなのだろう。


 だからこそ、今の小日向に冬陽の容態をそのまま告げるのは憚られた。小日向を変に混乱させたくない。それが、冬陽を思ってくれる親友なら尚更だ。


 夏樹はクラン症候群であることを伏せて、当たり障りのない情報を彼女に伝える。


「ああ。昨日面会に行ったよ。今は元気で命に別状は無いし、多分もうすぐ退院するはずだ。家で生活する分には大丈夫なんだが、学校にはしばらく来られそうにない。友達と会うのも、医者に止められてる」


 結局、冬陽の親友である小日向に説明できることは、あまり多くはなかった。

 小日向は夏樹の説明に対して何か言おうとして、すんでのところで口を噤んだ。


「……そっか。寂しいけど、会えないなら仕方ないよね」


 悲しそうに、小日向が二つくくりの髪を揺らす。


「まだ心配だけど、とにかく冬陽ちゃんが無事でよかったあ……」


 小日向は、どうやら冬陽が元気であるというだけで安心したようだった。それほどまで冬陽のことを案じていてくれたのか。それが、夏樹には嬉しかった。


「ねえ、春野くん」

「ん?」

「……じ、実は、私の妹も自宅療養ってことで学校に行ってないから。もしかしたら、何か力になれるかも、なんて」


 夏樹を元気づけようとしているのか、小日向はさっきとは逆の方に眉を傾けて言ってくれた。その心遣いが、これから一人で冬陽の面倒をみなくてはいけない夏樹には染みた。


「……うん。ありがとうな、小日向。それじゃあ、何かあったら相談してもいいか?」

「い、いいよ! 私、こんなだけど冬陽ちゃんや春野くんの役に立ちたいもん」


 とろんと小日向が微笑む。彼女の笑顔を見ると、これから自分が一人で冬陽の面倒を見ていかないといけないというプレッシャーが、少し和らいだような気がした。

 夏樹がそう感じていると、クラスメイトの女子が小日向を呼んでいた。


「おーい楓ぇ。今日日直でしょー? 日誌書かないのー? 昼休み終わっちゃうよー?」

「あ、うん。書くよぉ。それじゃあ、またね春野くん」

「ああ。心配かけて悪いな」

「いいんだよっ。それじゃあねー」


 ひらひらと小日向は手を振ると、自分の席へ戻っていった。夏樹も思い出したかのように、手にしていたメロンパンに口を付ける。


「――ん?」


 気のせいか、さっきよりメロンパンが美味しくなったような気がした。


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