第4話 時間制限、その意味

「それじゃあ、薬の手配が整うまで、冬陽ちゃんの面倒を見てくれない?」

「わかりましたっ! って……は?」


 呆気にとられた夏樹。顔を上げてみると、担当医はニコニコと楽しそうに笑っていた。


「な、治るんですか?」

「治る可能性はあるよ?」

「あのちびっ子状態から、元の冬陽に戻るんですか?」

「戻る可能性はあるね」

「俺がチビ冬陽の面倒を見れば、徐々に症状が緩和されるんですか?」

「それはちょっと違うねえ。言ったでしょ? 薬を手配するまで面倒見てって。ちょっと落ち着いて話を聞いてほしいなあ」


 呆れ気味に担当医が息を吐く。


「まず、クラン症候群には特効薬がある。でも、その特効薬は地球上でも微量にしか存在しない鉱石の成分を含んだものなんだ。だから精製に時間がかかるし、お金も莫大だ。その特効薬、保険の対象外だからさあ」


 白衣のポケットからガムを取り出すと、担当医はおもむろにガムを包み紙から出した。


「それじゃあ、俺の両親が出張に行ったのって……」

「まあ、費用を稼ぐためだけじゃないよ。問題はね、君と冬陽ちゃんが二人で生活しなくちゃいけないところなんだ」


 担当医はそう言うと、ガムを口に放り込んだ。


「さっき、冬陽ちゃんが君のことをお兄ちゃんって呼んでいただろう? あれ、元の冬陽ちゃんも、三歳頃君のことをそう呼んでいたのかい?」

「いいえ、多分……違うと思います」


 自分と冬陽は同い年だ。むしろ、誕生日で考えると冬陽の方が早生まれになる。


「だろうね。今までのクラン患者のデータを見ても、家族なんかの近しい人の記憶はちゃんと保持しているんだけど、君と冬陽ちゃんの場合は齟齬がみられるんだ。その場合、君以外の人間が近くにいると、戻る記憶も戻らないか、何らかの不具合を残してしまう可能性がある。だから、ご両親には少しだけ遠出してもらうように言ったんだ」


 ガムを噛みながら、担当医は続ける。


「そこで、金銭的な面は君には解決不可能だから、冬陽ちゃんの面倒をみてもらおうって話なんだ。君でも、子守くらいはできるだろう?」


 ガムを噛みながら笑う担当医の様子は、すごく不謹慎に見えた。しかし、夏樹は出そうになる非難の言葉を辛うじて飲み込むと、不安を告げた。


「でも、冬陽は病人じゃないんですか? もし、また倒れたりしたら、俺には何も……」

「あー。それは大丈夫だよ。彼女、超健康体だから。クラン症候群は、さっき説明した通り自己防衛として精神と肉体が幼児化する病気だから。別に発熱や昏倒なんて症状はでないよ。けど、あんな姿じゃ学校生活は無理だし、友達に会うことはできないけどね」


 医師から改めて言われて、夏樹は少し安心した。冬陽が倒れるところは、もう二度と見たくはなかった。


 しかし、担当医は胸を撫で下ろしていた彼に忠告する。


「でも、油断は禁物だよ? この病気には時間制限があってね。ある時期を過ぎると、特効薬が効果を失ってしまうんだ」

「せ、制限時間……?」


 不穏な言葉に、夏樹は身を強張らせる。担当医は続けた。


「うん。今言った特効薬は、今の冬陽ちゃんが元の冬陽ちゃんの年齢……つまり、16歳になるまでに処方されなかった場合、その効力を失ってしまうのよねえ」


 真剣な面持ちで担当医は告げた。だが、夏樹にはその忠告が必要以上に怖がらせようとしているふうにしか聞こえなかった。


 ここで、夏樹は初めて笑った。


「ははっ、脅かさないでくださいよ。確か、今の冬陽は3歳でしたよね? だったら、あと13年あります。クラン症候群が5年前に見つかった病気なら、それを治した特効薬も5年以内に精製できるってことですよね。なら、十分間に合いますよ」


 なんだそんなことかと笑う夏樹を、しかし担当医は神妙な様子で見つめていた。


「あのさ、安心してるところ申し訳ないんだけど、この病気は――」

「先生! 大変です! 秋月さんが、また……!」


 そんな時。先ほどまで小さな冬陽と遊んでいた看護婦が血相を変えて担当医の元に駆け込んできた。

 担当医は心配する看護婦に頷くと、くるっと振り返って夏樹に言った。


「おいで、夏樹君。君の予想が如何に楽観的か教えてあげるよ」


 不穏なことを言って、担当医が歩き出す。その後ろを、夏樹は眉を顰めながら追った。


 担当医が向かったのは、中庭の中央にある噴水の近くだった。そこで、小さな冬陽が地面に倒れて悶絶していた。


 一瞬、夏樹の脳裏に二週間前の光景が過った。しかし、担当医は「あららー」と声を上げると、しゃがんで倒れた冬陽を起き上がらせた。


「どうしたの? こけちゃったのかな? 痛くない?」


 涙ぐむ冬陽は、担当医の腕を振り払うと、バッと夏樹に向かって駆け出した。


「兄ちゃんーっ!」


 ガバッと。涙声の小さな冬陽が夏樹の腰に抱き着いた。どうやら、担当医より夏樹の方がいいらしい。どれ、少し頭でも撫でてやるとかと夏樹が手を伸ばそうとしたその瞬間。


「――あれ?」


 違和感が夏樹を襲った。


 気のせいか、先ほどよりも小さな冬陽のつむじの位置が、高い気がした。

 それだけじゃない。先ほどは太ももにまわされていた手が、今は自分の腰辺りにまで高くなっているのだ。


 恐る恐る、夏樹は小さな冬陽を自分の太ももから引き離す。そして、不思議そうに自分を見上げる冬陽の様子をまじまじと見つめた。


 膝下だったワンピースのスカートの長さが、いつの間にか膝上になっている。手足が伸びたような気もする。一体どうなっているんだ。


 夏樹が混乱の極みに達している中、立ち上がった担当医が口を開いた。


「ねえ、夏樹君。今の冬陽ちゃんに歳を訊いてくれるかい?」


 担当医の発言に、夏樹は言われるがままに従う。


「な、なあ。冬陽。今、いくつだ?」

「ふゆひ? ふゆひねー、6さい!」


 無邪気な冬陽の声に、夏樹は気が遠くなりそうだった。

 えへへー。と無邪気に笑う冬陽。その背後に、担当医が立つ。


「御覧の通り、冬陽ちゃんはものすごい勢いで成長する。スパンにばらつきはあるものの、ある日急に成長する。それがクラン症候群の特徴なんだ。いつ成長するか、それは私たちにも予測できない。だから、楽観視はできないって言ったのよ」


 絶句する夏樹。もし、担当医の話や冬陽の言葉を信じるならば、この30分で彼女は3年分成長したことになる。


 否定したかった。ありえないと言いたかった。だが、目の前には確かに先程より大きくなった冬陽がいる。紛れもない事実が、自分の目の前にいる。


「……薬の手配はしたよ。あと1か月はかかるそうだ。それまで、彼女が16歳にならないことを祈るしかないね」


 担当医の言葉は、夏樹の心を再び崖っぷちにまで追い詰めた。

 目に見えない時限爆弾が冬陽に巻き付いている。夏樹はそんな錯覚を覚えた。

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