第3話 理由と、その代償

「ふゆひね? あきづきふゆひっていうの! さんさいなんだっ!」


 ガンッ! と、ハンマーで殴られたような衝撃を夏樹は感じた。


 何を言っているのか、数秒は理解できなかった。だが、夏樹はこの幼い少女の挨拶で先程の違和感の正体が分かった。いや、分かってしまった。


 ……似ているのだ。目の前の少女が、自分の記憶にある3歳の秋月冬陽に。

 いや、似ているなんてものじゃない。これじゃあ、まるで……


「……昔の冬陽そのものじゃないか? とか思ってない?」


 そう言ったのは、夏樹の後ろで楽しそうに口角を上げる担当医だった。


 ほぼ反射的に、夏樹は振り返って担当医を見つめた。


「これは、一体……」

「それがクラン症候群さ。秋月冬陽さんはね、精神的ショックから心だけでなく体まで幼児退行してしまったのさ」


 逃げようのない事実が、担当医から告げられる。


 冬陽が、小さくなっていた。



 五月の暖かい陽射しが降り注ぐ中庭を、冬陽は楽しそうに駆け回っている。


 膝下まで届く白のワンピース姿で、ショートカットの黒髪を靡かせながら、三歳の秋月冬陽は付き添いの看護婦さんを追いかけている。


 その様子を、夏樹と担当医の二人は日陰に設置された喫煙スペースから眺めていた。


「診察室で言っても良かったんだけど、きっと信じてもらえないと思ってね。こうして実際に冬陽ちゃんを見た方が、君も納得するだろう?」


 担当医の言葉に、夏樹は呆然としたまま頷くしかなかった。


 未だに信じられない。目の前で芝生を駆け回る小さな女の子が、自分の幼馴染にして想い人である秋月冬陽だなんて。


「クラン症候群を患った患者はね、基本的な記憶を保持したまま子供の姿に戻る。戻る年齢は個人差があるけど、冬陽ちゃんの場合は三歳だった。これは秋月夫妻が事故で亡くなった時の冬陽さんの年齢であり、同時に君と冬陽ちゃんが家族になった年でも――」


 両親から色々と訊き出したのか、担当医はスラスラと話す。


 しかし、そんなことは今の夏樹にはどうでもよかった。気になるのは――


「……どうして、こんなことになったんですか。治せないんですか?」


 呆然としたまま、焦りを含んだような夏樹の声音に、担当医は言葉を切った。


「……物事には順序っていうものがあるんだけど、今回は仕方ないかな。うん、まずクラン症候群に罹ってしまった原因についてなんだけど、これは救急車の中で君から事情を訊いた情報から推察すると……クラン発症の原因は、君の告白だよ」


 夏樹の胸に、鋭い刃が突き刺さったような痛みが走った。


 自然と、目の前ではしゃぐ小さな冬陽の姿を目で追ってしまった。


 ……自分が、冬陽をあんな姿にしてしまったのか。


 彼女の気持ちを考えることもせず、身勝手な告白をしてしまった。それが、彼女の心だけでなく身体までも壊してしまったのだ。


 ぱくぱくと、酸素を求めるように口を開閉する夏樹は、辛うじて言葉を絞り出した。


「……治せるんですか?」

「ん?」

「先生はクラン症候群を治せるんですか!? 俺、なんでもします! だから、お願いします先生! 冬陽を、冬陽を助けてください!」


 担当医に向き直って頭を下げる。すると、新緑を感じる芝生が目に入った。その上を、担当医の黒い靴が踏みつけた。


 日陰から、担当医が一歩日向へと足を踏み出す。すると彼は、その場で踵を返して頭を下げる夏樹を睥睨した。


「ん? 今、何でもするって言った?」


 まるで夏樹を値踏みするかのような言い方だ。


「はい……。冬陽を助けるためなら、なんでも――」

「そっかー。……覚悟はできているみたいだね」

「はい!」


 臓器を渡せと言われれば渡す。致死量の血を輸血しろと言われれば喜んで差し出す。自分の命なんてどうでもよかった。ただ、自分が想いを寄せる冬陽がこのままいなくなるのだけは嫌だった。


 担当医は「ん……」と息を吐くと、容赦なく夏樹に言い放った。


「それじゃあ、薬の手配が整うまで、冬陽ちゃんの面倒を見てくれない?」


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