第三章 さまよえる鎧武者

第17話 怪異遭遇、陣屋幸恵の場合

 ここだけは、なるべくなら通りたくない。でも――

 鳴城城址なるしろじょうし大手門おおてもんの前、降りしきる雨の中で陣屋じんや幸恵さちえは傘の柄を握りしめた。

 時刻は夜の10時を回っている。田舎の夜道の例にもれず、辺りは暗く人気はない。

 塾が終わるのが思ったよりも遅くなってしまった。せめて雨じゃなければ自転車が使えたのだが。梅雨時は仕方がない。

 塾長の真田さなだの『よかったら車で送っていくよ』という誘いをやんわりと断ったのを、少しだけ後悔する。けど、誘いに乗るのは怖かった。

 真田にはよからぬ噂があるのだ。真田は、気に入った塾生をストーキングするらしい。しかも、年齢や男女問わずに。

 実際、休みの日にどこどこにいたでしょと言い当てられた塾生が何人もいる。みんな決まって整った顔立ちをしていた。

 陣屋は、自分の容姿が際立って良いとは思わない。同じクラスの1-5で1番と評されている中条なかじょうと比べたら明らかだ。学校1と色々な意味で話題の遠見塚とおみづかいさなとは、比べるのもバカらしい。この前遠見塚に呼び出されて夢がどうたらとかわけのわからない質問を受けた時、近くで見て実感した。オーラすら感じた気がした。性別問わず人を魅了する輝きだ。どこか陰のある遠見塚だからこそ、その輝きは一層際立つ。

 彼女たちと比べたら、自分は『普通』だ。

 けれども、自意識過剰かもしれないが、最近、真田の自分を見る目が粘ついている気がする。

 格好のせいだろうか。

 お堅いイメージがある特進科女子の中で、くだけた格好をしているという自覚はある。だが、隙は見せていないつもりだ。

 生徒手帳のイラスト通りの格好をしている大多数の特進科女子を馬鹿にするつもりは毛頭ない。むしろしっかりしていてすごいと思う。

 ただ、自分は型にはめられるのが嫌なのだ。特進科女子なんだからこうなんでしょというレッテルを貼られたくないのだ。

 髪を染めるのも、制服を着崩すのも、メイクするのも、全部自分の個性を出したいからで、決して真田みたいな変態に目をつけられるためではない。

 できれば塾を変えたいが、鳴城で1番の塾という評判通り、真田の教え方はうまかった。

 だから、我慢するしかない。いい大学に行くための、1番の近道なのだから。

 陣屋は嘆息すると、大手門を見上げた。この門を潜れば鳴城城址で、神社やグラウンド、公園などがある。陣屋が通う鳴高も近く、体育の授業で城址のグラウンドを使ったりしている。

 そんな城址内の砂利道を通るのが、陣屋の家に帰り着くのに1番近い。

 なのに、陣屋がためらうのには理由がある。単純に暗くて足元が悪いというのと、もう1つ。

 鳴城城址には、出るらしいのだ。


 ――鎧武者の亡霊が。


 鳴城に伝わる7不思議の中でも有名な話で、たぶん鳴城市民の8割くらいは知っているはずだ。大抵は小学生の時に聞いて、記憶に強烈に刷り込まれる。陣屋も小学生2年生の時に同級生の男子に無理矢理聞かされた。鼻くそほじりの石谷、あいつは生涯許さない。人を怖がらせるのが無駄にうまいやつだった。

 否応なく、陣屋は鎧武者の話を思い出してしまう。

 曰く、抜身の刀をぶら下げた鎧武者の亡霊が、夜な夜な城址をさまよっている。鎧武者が出現するときには街灯が消え、今は使われていない石灯籠に火が灯るという。

 シンプルだが、ありうるかもしれないと思わせる魔力が夜の鳴城城址にはあった。

 街灯の光に照らされた大手門は、異界の門のようにも見える。戦国時代から残っている重要文化財だかなんだか知らないが、夜に見るとありがたさより先に怖さが来る。潜ったら別の世界に迷い込みそうだ。

 陣屋は迷信深い方ではないが、怖いものは怖い。

 陣屋は携帯端末を取り出すと、時刻を確認した。もうすぐ10時半だ。いつまでも迷っていられなかった。両親はまだ仕事中で家は無人だろうが、1分でも早く帰宅したい。ここを通れば20分は短縮できる。

 陣屋はつばを飲み込むと、意を決して大手門を潜った。 

 正面は苔むした石垣で、道は右にゆるくカーブしている。道なりに歩いていくと、正面に昭和からそのまま営業しているような雑貨屋が見えた。駄菓子も置いているので小学生御用達だ。小さい頃、陣屋も何度か利用した記憶がある。今は当然閉まっていて、自販機だけがぼんやりと光っていた。

 お堀で鳴いているウシガエルの声がうるさいが、今は自分の他に命の存在を感じられるのがありがたい。

 雑貨屋の手前で道は二手に分かれる。右に進むとお堀がある通りで、左は公園やグラウンド、神社に通じる道だ。

 ここに来てまだためらいがあったが、陣屋は左に足を踏み入れた。少し歩くと左手にグラウンド、右手に公園が見える。一直線に伸びている砂利道の両脇は桜並木で、間には一定の距離を置いて古めかしい石灯籠が点在している。石灯籠に火は灯っておらず、代わりに頼りない街灯が砂利道をほのかに照らしていた。

 桜のシーズンはたくさんの花見客でにぎわうが、普段はあまり人がいない。朝夕の登下校の時間帯に鳴高や鳴城女子高等学校の生徒を見かけるくらいだ。

 夜ともなるとこの通り、人っ子1人いなくなる。

 砂利道の中ほどまで歩いたところで、陣屋はつい、石灯籠に目を向けてしまった。当然、中は真っ暗だった。


 ――鎧武者が出るときには、街灯が消えて石灯籠に火が灯る。

 

 ぞくりと、なめくじみたいな悪寒が背筋を這いあがった。

 いや、だいじょうぶだ。雰囲気に呑まれて、自分で勝手に怖くしているだけだ。亡霊なんているはずがない。そもそも自分には霊感がない。ないから、仮に亡霊がいたとしても見えない。見えないなら、いないも同じだ。観測しない限り亡霊の存在は確定しない。つまりシュレディンガーの亡霊なのだ。以上QED、証明終わり。

 陣屋が自分にそう言い聞かせた瞬間だった。

 街灯が、ちかちかと瞬いた。示し合わせたように、一斉に。


「――は?」

 

 間の抜けた声が、自然と口からもれた。

 途端、街灯がふっと消えた。辺りが真っ暗になった。同時に、今まで聞こえていたウシガエルの鳴き声がぴたりと止まった。ただ雨が傘を叩く音だけが静かに響いていた。

「うそ、でしょ」

 わざわざ口に出したのは、現状を認めたくなかったからだ。これではまるで怪談通りではないか。

 陣屋の声がきっかけになったのか、石灯籠に一斉に火が灯った。灯篭の火に照らされて、辺りがぼんやりと明るくなった。葉を落とした桜の木が、全部こちらを見ている気がした。

 肌が粟立った。

 桜の木の下には死体が埋まっているとは誰が言ったのだったか。今ここにある桜の木の下全てに死体が埋まっているのだとしたら。

 そんな益体もない想像をして、自分で余計に恐怖をあおってしまう。

「やだ……やめてよ」

 泣きそうだった。陣屋は自分が置かれている状況を理解できない。いや、理解しているが、感情に落とし込みたくない。

 作り話、迷信の類だと思っていた怪談の登場人物になど、なりたいはずがなかった。

 ずしゃりと、重厚な足音が背後から聞こえてきた。

 後ろに何かいる。

 確認せずとも、後ろにいるのは何か、もはやわかりきっていた。

 振り返ってはいけない。振り返らず、傘を捨てて、濡れるのも厭わずに全力で逃げるのが正解だ。

 恐怖に塗りつぶされそうな頭の中で、陣屋のかろうじて残っている理性はそう告げている。

 それは間違いではないと思う。

 だが、それでも。

 陣屋は振り返らずにはいられなかった。

 そして、見た。

 

 抜身の刀をぶら下げた、鎧武者の姿を。

 

 鎧武者は、鳴城資料館で見たことのある大鎧を装着していた。身分の高い武士が着けるような、立派な鎧だ。

 兜の中は真っ暗で顔は見えない。だが、怨嗟の眼がこちらをにらんでいる気がした。

 鎧武者が一歩前に出る。何かを求めるように、刀を持ってない方の手を差し出す。

 悲鳴は上げなかった。喉を通って口から出てきたのはかすれた吐息だけだった。傘が手から零れ落ちる。冷たい雨が身体を叩く。それが合図になった。今、自分がすべきことは明確だった。

 陣屋は鎧武者に背中を向けると、全速力で走り出した。

 300メートルくらいの直線を駆け抜け、正面に大淵おおぶち神社が見える場所まで来る。一瞬神社の境内に逃げ込むことも考えたが、とにかく早く城址から出たかった。

 心臓が今にも破裂しそうだったが、速度は緩めず左に曲がる。足が滑って子どもみたいに派手に転んだ。なりふり構わず砂利に爪を立てて立ち上がる。走り出す。

 視線の先、狭い道路の向こうに鳴高の裏門が見えた。

 普段通っている学校という日常の一端を垣間見て、安堵の気持ちがこみあげてくる。

 もう立ち止まって、後ろを確認してもいいだろうか。

 一瞬そんなことを考えて、慌てて気を引き締める。

 まだだ。油断してはいけない。何事も最後に気を抜くと、大体ろくな目に合わない。

 そうして陣屋は一気に砂利道を走り抜け、城址を出た。

 出た途端、限界が来た。もう無理だ。小走りになり、やがて歩きとさほど変わりない速度になり、ついに陣屋は足を止めた。走った距離は1キロにも満たないだろうが、体感10キロを駆け抜けた気分だ。

 膝に手を置き、荒い呼吸を繰り返す。目の前がちかちかする。頭が痛い。足が震えている。ありえないぐらい心臓が脈動している。苦しすぎて、自分はこのまま死ぬではないかとすら思う。

 ――死。

 今この瞬間、後ろから鎧武者に斬りかかられたら自分はなす術もない。

 怖いので確認したくない。でも、確認しないともっと怖い。

 どのみち必要な行為なのだ。ならば早い方がいい。

 数秒の逡巡しゅんじゅんの末、恐る恐る、陣屋は振り向いた。

 後ろには何もいなかった。一気に脱力する。よかった。振り切った。

 安堵のあまり涙がこぼれた。メイクが崩れるがもう構わない。どのみち雨でぐしゃぐしゃだ。

 あの道はもう2度と使わないと心に固く誓い、陣屋はとぼとぼと帰路に着く。雨に濡れた制服が重い。転んだせいで汚れてしまった。帰ったら洗濯して乾燥機にかけなくては。

 お気に入りの傘を置いてきてしまったが、回収する気にはもちろんなれない。鎧武者が拾っているかもしれないし。

 もしかしたら、そのまま使っていたりして。

 女物の赤い傘をさしている鎧武者を想像して、思わず吹き出す。

 そんなことを考えられるくらいには、気持ちが回復していた。あるいは、恐怖の反動でハイになっているのかもしれない。

 そこでふと疑問に思った。

 あの鎧武者は、何のために出現したのだろう。

 反射的に逃げてしまったが、こちらに襲いかかってくるような素振りはなかったと思う。

 いや、でも、抜身の刀を持っていたし、やはり害意があったのだろうか。

 わからない。

 陣屋はわからないものをそのままにしておくのが我慢ならない性格だ。勉強にしてもそうで、答えがわかってもどうしてそうなるのか納得できなければ先に進めない。

 こういうのは誰に相談すればいいのだろう。両親や友達は絶対だめだ。信じてもらえないのが怖い。

 そういえば、と陣屋は思い出す。

 鳴高校舎3階の郷土資料室に、奇妙な張り紙が貼られていたと友達が言っていた。なんでも、怪異を引き受けるとか。

 話題に事欠かない遠見塚とおみづかいさなの仕業で、陣屋と同じクラスのたちばなも一枚噛んでいるらしい。

 怪異とはつまり怖いことで、自分が遭遇した鎧武者は怪異そのものなのではないか。

 今日の夜の出来事は、両親や友達には話したくない。

 でも、遠見塚や橘にだったら?

 信じてくれるだろうか。疑問を解決してくれるだろうか。

 胡散臭いとは思う。けど――

 相談してみるのは、ありかもしれない。

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