第18話 氷魚の長い1日①

たちばなくん、ちょっといい?」

 1時間目終了後の休み時間だった。氷魚ひおが自分の机で次の授業の準備をしていると、左隣の席の陣屋じんや幸恵さちえが話しかけてきた。猿夢に捕まっていたクラスメイトの1人だ。

 生徒手帳に載っている愛想とセンスのないイラスト通りにきっちり制服を着ている生徒が多い特進科女子だが、陣屋は例外だ。夏服のブラウスの胸元を、下品になりすぎない程度に崩して着ている。スカートも短めだ。髪はぎりぎり注意されないくらいの濃さの茶色に染めていて、メイクも派手ではないがばっちり決めていた。

 いつもにこやかな陣屋だが、今日はなんだか疲れた顔をしている。

 氷魚とは隣の席という以外あまり接点がないが、何の用だろうか。猿夢の件にしても、陣屋は捕まりこそすれ被害を免れているし、そもそも夢自体覚えていないはずだ。

 不思議に思いながら、氷魚は口を開く。

「うん、いいけど」

 さりげなく周囲を見渡した後、陣屋は声を落として、

「郷土資料室の張り紙なんだけど、あれ、ホント?」と言った。

 まさかという思いと、ついに来たかと思いが半々だった。

 張り紙を貼ってからしばらく経つ。梨のつぶてだといさなは嘆いていたが、氷魚としては、中間テストやらなんやらあったので、特に何事もなくほっとしていた。さすがにテスト中に猿夢みたいな怪異に巻き込まれたら洒落にならない。精神的ダメージで赤点待ったなしだ。

 ただ、心配しつつも、怪異なんてそうそう転がっているものではないだろうという妙な安心感はあった。だからこそ半分の『まさか』だった。

「本当だよ。いさなさ……遠見塚とおみづか先輩なら、力になってくれると思うよ」

 陣屋を安心させるために、笑みを浮かべて氷魚は言う。

「どんな内容か聞いてもいないのに、断言できるの?」

 陣屋は値踏みするように氷魚をねめつける。

「怪異、不思議な出来事絡みでしょ」

 ひるむことなく、氷魚は答えた。

「うん……。不思議といえば不思議かな。どっちかっていうと、怖い系の話」

「だったら、大丈夫」

 言い切った氷魚を、陣屋は疑念の目で見つめる。

「自信たっぷりだけど、あの先輩、信用してもいいの?」

「当然」

 実際、おれたちはすでに1回助けられてるんだよと、口には出さず心の中でつぶやく。

「すごい信頼だね。わたしは正直、胡散臭いと思うんだけど」

「そう思うのも無理はないよね」

「なにそれ。橘くんはどっちの味方なのさ」

「もちろん遠見塚先輩だけど、無理強いはしない。信用できないなら、話さない方がいいんじゃない? 2人ともいい気はしないだろうし」

「……うーん」

 顎に手を当てて、陣屋は思案顔になる。

「どうする? やめとく?」

「いや、やっぱり相談したい。いいかな」

「うん、いいよ」

「切り替え早っ!」

「で、どんな話?」

 氷魚が促すと、陣屋の顔が曇った。

「ここじゃちょっと。できれば直接先輩と話したい」

 もっともだと思う。自分の教室の中では話したくないだろう。

「わかった。遠見塚先輩に連絡する。放課後の方がいいよね」

「そうだね。お願い」

 携帯端末を取り出し、氷魚は簡潔に要点をまとめていさなにメッセージを送る。『了解。放課後、いつもの場所で』と即座に返事が来た。

「いいってさ」

 不安そうな顔をしていた陣屋だったが、氷魚の言葉を聞いてわずかに頬を緩めた。

「ホント? なんかごねちゃってごめんね。実は、他に誰に相談したらいいかわからなかったんだ。助かるよ、ありがと」

 片手で手刀を切り、陣屋は席を離れた。出入り口近くにいた東儀とうぎと何やら話し始める。

 特進科女子の中では異端の陣屋だが、クラスメイトとの関係は良好のようで、誰とでも仲がよさそうに会話しているのをよく見かける。

 今、陣屋が話している東儀は優等生タイプで、陣屋とはいかにも相性が悪そうだが、2人とも楽しそうだ。時折笑い声を上げている。

 胸に抱えているものがあるはずなのに、陣屋はさきほどの深刻さを微塵も見せていない。

 氷魚からしたら、陣屋はコミュニケーションお化けだ。積極的かつ行動的で、人生を謳歌おうかしているんだろうなと思う。

 そんな陣屋の相談したい怪異とは、一体どういったものなのだろうか。

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