第二章 遠見塚いさなという少女

第12話 郷土部兼怪異探求部、発足のこと①

 日常に這い寄る怪異、引き受けます。

 

「これでよし」

 でかでかとマジックで怪しげな惹句じゃっくを書いた張り紙を郷土きょうど資料室の出入り口に貼ったいさなは、満足げにうなずいた。いさなの書いた字は「うまい」と「普通」の中間ぐらいの字で、どことなく愛嬌がある。

 放課後の校舎3階隅っこ、廊下を行き交う生徒の数はまばらで、こちらに注意を払っている者はいない。が、この貼り紙を見た生徒はどう思うのだろう。

「本当にいいんですか」

 隣に立つ氷魚ひおが尋ねると、いさなは何をいまさらという顔で、

「いいのよ。許可は貰ったから。今日からここは正式に郷土部兼怪異探求部の部室なの」と答える。

 郷土部というのは、城下町である鳴城なるしろの歴史を調べ、史料をまとめたり学校新聞を発行している部活だ。

 そんな郷土部の後ろに名状しがたい異物のようにくっついている怪異探求部とは何か。

 それは氷魚もまだよくわかっていない。急遽、部活を作ると宣言したいさなに、「橘くん、わたしがやりたいことを手伝ってくれるって言ったよね」と押されて、わけがわからないまま氷魚も入部することになったのだ。

 どうやらいさなのやりたいことに関係しているようなのだが、現時点では何をする部活なのかさっぱりだ。ただ、字面の胡散臭さだけがくっきりと際立っている。

「許可って、また国家権力の影をちらつかせたんですか」

「人聞きが悪いわね。ちょっとお願いしただけよ。郷土部にとってもいい話だったと思うけど」

 鳴城高校の部活動は、最低5人からだ。5人いないと部と認めてもらえない。

 3年生が引退し、3人となってしまった郷土部は廃部の危機に瀕していた。

 いさなはそこに目をつけたのだ。

 郷土部にいさなと氷魚の2人が入部する代わりに、怪異探求部としての活動も認めてほしい――といった要求を学校側と郷土部にねじこんだらしい。

 そんな無茶苦茶、常識で考えれば通るはずがないのだが、いかなるカラクリか通ってしまった。いさなが属していると推測される何らかの組織の影響力は、思ったよりも大きいのかもしれない。

 ともあれ、猿夢騒動から1週間、いさな驚異の行動力で郷土部兼怪異探求部は爆誕したのだった。

「さあ、わたしたちの部室に入りましょうか」

 いさなが引き戸を開け、遠慮のない足取りで室内に足を踏み入れる。郷土部にしてみれば、部は存続するものの、半分乗っ取られたようなものなのではないか。少しばかりの引け目を感じつつ、氷魚も後に続いた。

「やあ、遠見塚とおみづか。いらっしゃい」

 出迎えてくれたのは、少し垂れた目が印象的な男子生徒だった。フレームレスの眼鏡がよく似合っている。読書中だったらしい。手に文庫本を持っている。

星山ほしやまくん、今日からよろしくね」

「ああ、よろしく」

「初めまして。1-5の橘です。よろしくお願いします」

 氷魚が挨拶すると、男子生徒は微笑んでうなずいた。

「郷土部部長の星山ほしやまです。橘くんの入部を歓迎するよ」

 星山のクラスは2-5と事前に聞いている。いさなのクラスメイトだ。思ったよりも好意的に迎えてもらって安心した。

「星山くん、今日からは郷土部兼怪異探求部よ」

 いさながそこはどうあっても譲れないとばかりに訂正する。

「そうだったね。しかし長いな。舌を噛みそうだ」

「じゃあ略してキョーカイ部でいいんじゃない?」

「もはや原型が何だかわからない……」

 いさなの適当な提案に、氷魚はぼそりとつぶやいた。

「いいね、それで行こうか」と星山はうなずく。

「まさかの即答」

 ノリがいいのだろうか。

「立ち話もなんだから、2人とも座って。お菓子とジュースを用意したんだ。ささやかだけど、2人の歓迎会だね」

 広いとは言えない室内の両端は本棚が占めていた。奥にはパソコンの乗った机が見える。真ん中には年季の入った長机が部屋の主のように鎮座していて、スナック菓子や清涼飲料水のペットボトル、紙コップが並べられていた。掃除が行き届いているようで、室内はきれいだ。

 いさなと氷魚は並んで若干錆が浮いているパイプ椅子に座った。向かいに星山も座る。

 星山は左手でペットボトルのキャップを外し、紙コップに注いで「どうぞ」と2人に差し出した。

「ありがとう。気を遣わせちゃったね」

「ありがとうございます」

 いさなと氷魚が礼を述べると、星山は目を細めて笑う。

「礼を言うのはこっちだよ。遠見塚たちには感謝してるんだ。2人のおかげで今年も活動できるからね」

「代償として、部の名前に怪異とかついちゃってますけど」と氷魚は言う。

 自分だったら、真面目に活動していた部活の名前が合体事故を起こしたら複雑な気持ちになると思う。

「わたしの名づけに何か問題でも?」

 ぎろりと、横目でいさながにらんでくる。

「あ、と。名前ではなく、活動内容はどんなものなのかなと」

 問題はそこだ。

 氷魚は続ける。

「怪異探求って、怪談でも集めるんですか? 稲川淳二みたいな怪談ショーを開くのが目的とか」

 一見ミステリアスな美少女の怪談ショー、文化祭などで披露したら、一定の層に受けそうではある。

「それは、うん、おいおいね」

 ちらりと星山を一瞥し、いさなは曖昧に答えを濁した。星山の前では言いにくいことなのかもしれない。まずったなと思う。

「郷土部としての活動はそのままでいいっていう条件だからね。おれとしては問題ないよ」

 微妙な雰囲気になったのを察したのか、星山は鷹揚に笑って空気を変えてくれた。ほっとする。氷魚は心の中で星山に頭を下げた。

「おれたち元郷土部は怪異探求部の活動にはタッチしない。それはそちらも同じ。だろ、遠見塚」

「基本的には、そうね。ただ、ごめん、表に張り紙を貼らせてもらったんだけど、確認してもらえる?」

「張り紙? よくわからないけど、見てくるよ」

 席を立った星山は、引き戸を開けて表を確認した。すぐに苦笑いを浮かべながら戻ってくる。

「なるほどな」

「そんなわけで、怪異絡みの話が来たら、わたしか橘くんに振ってほしいの」

「どんなわけかわからないけど、それぐらいならお安い御用だ」

「変なお願いでごめんね。ありがとう」といさなは微笑んだ。

「いいさ。遠見塚が変わってるっていうのは周知の事実だからな」

 冗談めかして星山は言った。

「浮いてるっていう自覚はある」といさなが返す。

 2人の間に、同じクラスにいる者同士特有の空気が流れた。氷魚はそれがなんだかおもしろくない。

 

 ――おもしろくない?

 

 どうしてだろう。

 クラス替えのない特進科は3年間同じクラスで、2年生のいさなと星山はもう1年以上学校に来るたびに顔を合わせている。ある程度の空気を共有しているのは当たり前で、だからといって自分がもやもやした気持ちを抱える理由にはならないはずなのに。

「ところで星山くん、おれたちって言ってたけど、今日は他の部員は来てないの?」

 そんな氷魚の心中に気づいているのかいないのか、いさなは話を変えた。

「来てない。幽霊部員だからね。おれの他に2年生が1人、1年生が1人いるけど、顔を見せることはめったにないんだ。今日も一応声はかけたんだけどね」

 鳴高では部活動への入部は強制ではない。ただ、何かしらの部に入っていた方が内申の見栄えが良くなるかもという理由で、活発ではない部活に名前だけ置いている生徒はけっこういるらしい。

 氷魚はとにかく楽だからという理由で帰宅部を選んでいた。いさなも部活には入っていなかったようだ。

「じゃあ、実質活動しているのは星山くんだけ?」といさなが尋ねる。

「そうだね」

「ということは、今年度の郷土部新聞は全部星山くんが作ったの?」

「4月号は先輩に手伝ってもらったけど、5月号はおれ1人だね」

「すごいね。あの新聞、手間がかかってるよね」

 きちんと読んだことはないが、毎月教室や校舎内の掲示板に貼り出される郷土部発行の新聞があるのは、氷魚も知っていた。

「好きでやってるだけだよ。でも、そう言ってもらえると、嬉しい」

「わたしは特に鳴城の伝承とか怪談コーナーが好きだな」

 いかにもないさなの発言だ。

「遠見塚もそういうのが好きなんだよね。ああ、だから怪異探求なのか。探し、求める」

「――ん、まあ、そんな感じ。それより、どうやって調べてるの?」

「大体はこの部屋の史料かな」

 創立100年を超える鳴高は歴史がある。受け継がれてきた史料も充実しているのだろう。言われてから見てみると、この部室の本棚に収められている古めかしい本がありがたい物のように思えてくるから不思議だ。

「あとは図書館とか、地域のお年寄りの話を聞いたりとか」

「民俗学のフィールドワークみたいですね」

 氷魚が口を挟むと、星山は目を輝かせた。

「橘くん、民俗学に興味があるのかい」

 急に増した星山の熱量に押されながらも、氷魚は口を開く。

「え、と。おれじゃなくて、姉が好きなんです。大学で専攻していて、フィールドワークの話とか、家で話しているのを聞いて知りました」

「もしかして、橘くんのお姉さんの通っている大学って泉間せんま大?」

「ええ、そうです」

 泉間大学は、東北でもトップクラスの国立大学だ。特進科でも毎年合格者は2、3人くらいで、難関とされている。浪人して目指す受験生も珍しくない。そういう大学に、氷魚の姉は当然のように現役合格していた。

 同じ両親から生まれているはずなのに、姉が時々違う生物のように思える。比べるのも虚しくなるくらい、スペックが違いすぎるのだ。

「やっぱり! いいなあ。おれの志望校なんだ。――橘くん、いきなりで厚かましいのは重々承知だけど、都合がいい時にお姉さんに話を聞かせてもらえないかな」

「姉に訊いてみますね」

 民俗学や歴史好きの姉は、きっと嫌な顔をしないと思う。下心があるなら別だが、星山ならその心配はないだろう。この熱量は本物だ。

「ぜひ、頼むよ」

 その時、いさなのスカートのポケットから音がした。

「と、失礼」

 携帯端末を取り出したいさなは、画面を見て真剣な顔になる。

「――星山くん、橘くん。ごめん。せっかくの歓迎会だけど、わたしはここでおいとまさせてもらうね」

「うん、わかった」

 星山は何かあったの? とは訊かなかった。だから、氷魚もその言葉を呑みこんだ。

「わかりました。お気をつけて」

「じゃあね、また明日」

 鞄と弁当箱の入ったトートバッグをつかみ、いさなは足早に部室から出ていく。

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