第11話 猿夢奇譚⑪

 目覚めたら布団の中だった。

「おはよう、たちばなくん」

 枕元には正座したいさながいる。氷魚ひおは瞬時に夢の中の出来事を思い出した。

「――おはようございます」

「で、何か申し開きはある?」

 いさなの鋭い眼光に、氷魚は震えそうになる。しかし、ここでひるんではいられない。

「あれはその、とっさの行動だったというか、身体が勝手に動いたというか、夢のせいというか……」

 無茶をした自覚はある。しかし、とにかく必要な行動だったのは間違いないと思う。

「ただの夢じゃなかったんだよ。場合によっては、死んでいてもおかしくなかったの。わたし、言ったよね。きみはもう少し自分の身を大切にした方がいいって」

 いさなの声はわずかに震えていた。それで、自分がどれだけいさなに心配をかけたかを思い知った。

「心配させてしまい、すみません」

 氷魚は身を起こして、頭を下げた。

「でも、あの時はああするしかなかったと思います。もし、おれのせいで先輩がやられていたら、きっとすごく後悔しただろうから」

「だからって……。ああもう」

 いさなは自分を落ち着かせるように前髪を撫でつけ、ふっと息を吐く。

「そうね、ごめん。わたしの力不足のせいでもあるわね」

「そんなことないです。先輩がいなかったら、おれたちはどうなっていたかわかりませんよ。先輩は命の恩人です。人生で命の恩人ができる機会ってそうそうないですよね。色々貴重な体験をしたと思います」

「貴重って、あんなにひどい目にあったのに?」

「悪いことばかりじゃなかったですよ。何より、先輩と知り合えました。これだけでお釣りが来ます」

「きみはまた、そういう……」

 いさなは呆れたように苦笑した。

「とにかく、無事に目覚めてくれてよかったわ。身体に異常はない?」

 氷魚は胸をさすった。夢の中の出来事だったので当然と言えば当然だが、怪物の槍で貫かれた胸に傷はない。かすかに胸の奥がうずく気がするが、それだけ印象が強烈だったのだろう。

「大丈夫です。久しぶりにいい寝起きですね」

 ねばりつくような疲労感もない。さわやかな目覚めだった。

「みんなはどうなったんですか」

「術が解けたのなら、昏睡している子は直に目覚めるし、児玉さんの失明も治るでしょう。念のため、専門家に診てもらったほうがいいだろうけど、そこは手配しておく。きみも診てもらった方がいいと思うよ」

「おれは、まあ。……葉山さんは?」

 夢の中でいさなが口にした償いという言葉が気になっていた。葉山にはひどいことをされたという自覚はあるが、だからといって葉山にもっとひどい目にあってほしいとは思えない。

「彼女がしたことは魔術犯罪に該当する。魔術に魅入られていたみたいだけど、黙認はできない。わたしたちのやり方で対応するわ」

「夢の中で言ってましたよね。監視とか、事情聴取とか」

「そうね」

「先輩がするんですか?」

 取調室で、葉山にカツ丼を食べるか尋ねるいさなを連想する。我ながら安直だ。

「いえ、それにも専門家がいるの」

「系統だった組織があるんですか? その、怪異専門の」

「ん。まあ、そんなところ」

 いさなは曖昧に答えを濁した。氷魚のような一般人には軽々しく教えられないのかもしれない。

「それより、朝ごはんはどうする? 兄さんが用意していると思うけど」

 忘れていたが、今日は平日だ。ご飯を食べて、学校に行かなくてはいけない。

「せっかくなんですけど、できれば家で食べたいです。ここ数日、きちんと食べられてなかったので」

 氷魚の答えを聞いたいさなは微笑する。

「うん、そっちの方がいいね。兄さんの料理、あんまりおいしくなかったでしょ」

 言われて氷魚は言葉に詰まる。確かに、道隆が作ってくれた昨夜の夕飯は独創的な味だった。見た目は料亭の料理にも引けを取らないのに、味付けが独特だったのだ。

「――いえ、その、味の問題ではなくてですね、家の食事が恋しくなったというか、なんというか」

「誤魔化さなくてもいいよ。兄さんって、器用なんだけど何でも変にアレンジしちゃうのよね。レシピ通りに作ればおいしいのに」

「おれは嫌いじゃないですよ」

 まるきりの嘘ではない。味はあれでも、気持ちはこもっていたと思う。

「そう? と、そろそろ出ないと時間が無くなるね。家まで送るわ。兄さんに車を出してもらうから」

「お願いします」

「ねえ、橘くん」

「はい?」

 呼びかけから少し間をおいて、いさなは意を決したように口を開く。

「――昨日、助手の仕事をしてもいいって言っていたけど、あれ、本当?」

 そういえば、その場の流れで口にした記憶がある。

「本当ですよ」

 流れはあったが、本心からの言葉で間違いはない。

「だったら、今回の件でやりたいことができたんだけど、わたしに付き合ってくれる?」

「もちろんです」

「内容を聞きもしないで快諾するんだ。変なことだったらどうするの?」

 からかうように、いさなは悪戯っぽく笑う。

「最初に会った時に言った通りです。おれは遠見塚先輩を信じます。これまでも、これからも」

「……そ、そう。ありがとう」

 なぜか目を逸らしたいさなは、そそくさと立ち上がった。

「兄さんに車を出すように頼んでくる。橘くんは準備してて」

「はい。で、先輩、やりたいことってなんですか?」

「それはまた今度!」

 いさなは逃げるように部屋を出て行ってしまった。どうしたのだろう。

「――わかんないな」

 氷魚は天井を仰ぐ。

 

 謎の先輩、猿夢、魔術、怪異――

 

 ここ数日でいろんなことがありすぎた。一応事件は解決したようだが、頭の中はさっぱり整理されていない。夢から覚めたばかりだが、現実感はまだ希薄だった。

 でも、と氷魚は思う。

 とにかく今は家に帰ろう。帰って、家族とごはんを食べよう。

 それが何よりの、日常が返ってきた証だ。


 



 猿夢奇譚 終

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