第7話 猿夢奇譚➆
電車の中だった。
――え、なんで?
すぐに夢だと
座席にはやはりクラスメイトが座っている。葉山の姿もあった。ぼんやりと虚空を見つめている。呼びかけようとしても声が出ない。身体も動かなかった。
「次はひき肉、ひき肉です~」
車内にアナウンスが流れた。間違いなく猿夢の続きだ。頭から血の気が引くのがわかった。後ろのドアが開き、小人が2人、入ってきた。手に巨大な機械を持っている。機械は、昔サスペンス映画で見た粉砕機に似ていた。四角形の投入口の中には、巨大な刃が見える。あの映画では、確か死体を処分するのに使っていた――
えっちらおっちら、小人たちは機械を
小人が機械を作動させる。
角度的に氷魚の位置から中は見えないが、耳を塞ぎたくなるような音で、内部の巨大な刃が回転を始めたのだとわかった。それから小人は2人で桟敷の背中に回り込み、ぐいぐいと頭を押し始めた。
機械の投入口目がけて。
桟敷は悲鳴を上げて、氷魚の方を見た。目が合った。
「橘、たすけ」
「――っ!」
声にならない叫びを上げて、氷魚は跳ね起きた。肩で息をしている。動悸が止まらない。汗で肌に貼りついたTシャツが気持ち悪い。
なんで、なんで、なんで。
氷魚は寝間着のまま部屋から飛び出し、はだしのまま外に出て門柱に駆けつける。護符は昨夜貼りつけた場所に間違いなくあった。だが――
「どう……して」
護符は、真っ黒に焼け焦げていた。そっと手を触れると、ボロボロに崩れ落ちる。頭の中が真っ白になった。
「新聞ならもう取ったわよ。って氷魚、はだしじゃない。なにやってんの」
玄関から顔を出した
いさなに連絡しようにも、電話番号もラインも登録していない。下手に遠慮などせず訊いておけばよかったと思ってもどうしようもない。いさなに会うには学校に行くしかない。
「ねえ氷魚、どうしたの?」
心配になったのか、氷魚を追いかけてきた水鳥が部屋の出入り口に立っていた。
「――あ、姉さん、ごめん。なんでもないよ」
自分がいかに取り乱した行動をしていたか自覚して、しくじったと思う。なんでもないわけがない。
「なんでもないようには見えないけど」
案の定、水鳥は眉をひそめた。
「うん。ちょっとね、朝の運動」
我ながら苦しい言い訳だった。寝ぼけたとか言った方がまだマシだったかもしれない。
水鳥はじっと氷魚を見た後、
「何か困ったことがあったら、言いなさいよ。あんたは昔っから遠慮するんだから」
と言った。
「わかった。ありがとう」
気持ちは嬉しいが、言えるわけがなかった。自分は呪われていて、近々目覚めなくなるかもしれない、だなんて。
氷魚はどうにか学校にたどり着いた。夢こそ見たが、護符の効果があったのか、体調は昨日ほど悪くはない。だが、気分は最悪だった。
誰があの夢を見せているのかは知らないが、とんでもなく悪趣味なのは間違いない。どす黒い精神の持ち主だ。しかも、専門家の護符をものともしないということは、そちら方面での技量も高いのではないか。
とにかく、いさなに会って話がしたい。
「おう、
下駄箱で上履きに履き替えたところで、声をかけられた。
「……おはよう」
「どうした。辛気臭い顔をして」
「そういう屋名池はいつもにこやかだね」
「笑っている方が楽しいからな。――何かあったのか?」
言うべきか、氷魚は迷う。屋名池を疑っているわけではない。ただ、今の状況を話して自分の精神状態を心配されるのが嫌だった。
屋名池は他の生徒の邪魔にならないように廊下の端に寄り、氷魚を手招きする。
決めた。屋名池に聞いてもらおう。あとでいさなに怒られるかもしれないが、構わない。
「――屋名池はさ、猿夢って知ってる?」
近づいて、氷魚は切り出した。
「ああ、知ってる」
即答だった。
「有名なのか?」
「一般的な知名度はどうだろ。きさらぎ駅とかの方が有名かもな。あ、言ってなかったけど、おれ、オカルト好きなんだよ」
「知らなかった」
意外な気がする。屋名池とうまく結びつかない。もしかしたら、葉山とはよくオカルトの話をしていたのだろうか。それで意気投合したのかもしれない。
「橘はそういうの興味なさそうだったからな。で、なんだ。まさか猿夢を見たのか」
「そのまさかなんだ」
知っているならば話は早い。詳細を説明する手間が省けた。
「そりゃ災難だったな。夢見が悪いだろ」
「悪いなんてものじゃない。最悪だよ。しかも3日も続いてる」と氷魚は指を3本立てる。
「そんなにか。だったら、精神的ダメージはでかいよな」
屋名池は神妙な面持ちでうなずいた。それからすぐに、ものすごい名案を思いついたような顔になる。
「そうだ。宝船の絵を枕の下に敷いて寝るといいんじゃないか」
季節外れの発想に、氷魚は思わず笑みをこぼした。
「それ、初夢を見る時のだろ」
祖父から聞いた覚えがある。信心深い祖父は、縁起物を集めるのが趣味なのだ。
「そうだけどな。縁起がいいだろ」
「大体、宝船の絵とか、どこで手に入れるんだよ」
「おれが描いてやろうか」
「遠慮しとく。かえって変な夢を見そうだ」
「だな。おれ、絵は下手だし」と屋名池は屈託なく笑い、
「なあ橘。今日の放課後、どっか遊びに行かないか。気分転換にさ」と言った。
正直、遊びに行くような気分ではない。だが、屋名池の心遣いは嬉しかった。
「ありがとう。ただ、行けるかどうか、まだちょっとわからない。どっちにしても、放課後になったら連絡するよ」
「わかった。待ってるぞ」
軽く手を挙げて、屋名池は自分の教室へと歩いていった。
屋名池のおかげで、少し気分が明るくなった。2日前と同じだなと思いつつ、氷魚も自分の教室へ向かう。
階段を上がってすぐ、廊下の窓際でうつむいて腕を組んでいるいさなが目に入った。先輩、と、声をかけようとした瞬間にいさなが顔を上げた。
「橘くん、よかった。無事だったのね」
安堵の表情を浮かべて、いさなが駆け寄ってきた。状況は好転していないが、いさなに会えて、氷魚もひとまず安心した。
「はい、おれはなんとか。でも、桟敷くんが……」
「そうね。さっき、式見先生から電話があって知ったわ」
「家の護符は、焼け焦げていました。それだけ強力な呪いだったんでしょうか」
「その話をする前に、場所を変えましょうか」
いさなに言われて気づいた。周りの生徒がちらちらとこちらを見ている。護符だの呪いだの、聞こえてしまったかもしれない。変な噂が流れては、いさなに迷惑がかかってしまう。
「――ええ、そうですね」と氷魚はうなずいた。
「それで、また猿夢を見たの?」
昨日と同じ、屋上へと続く階段の踊り場で、いさなは氷魚に尋ねた。
氷魚は力なくうなずく。
「昨日の続きからだと思います。薊くんと児玉さんがいなかったし」
「葉山さんは?」
「今までと同じように、席に座ってぼうっとしてました」
夢にいたということは、葉山にも護符の効き目はなかったのかもしれない。葉山はおそらく自分の枕の下に護符を敷いて眠ったはずだ。
となると、氷魚たちが猿夢にまた引き込まれたのは、護符を枕の下に敷かなかったのが原因というわけでもなさそうだ。
「そう……」
「それで、今度は桟敷くんが、あんな……」
氷魚は言葉に詰まった。桟敷の惨状は、口にするのもつらい。夢の痛みが現実にどのような影響を及ぼすのかはわからないが、少なくとも、精神にダメージを与えるのは確かだ。桟敷がどのような苦痛を味わったか、想像するだけでも恐ろしい。
「言いにくいなら、無理に言わなくてもいいわよ」
「……すみません。桟敷くんは、現実ではどうなったんですか」
「昏睡状態と聞いたわ。全身に無数の痣が浮かんでいるそうよ」
「痣?」
氷魚は想像してしまう。
無数の痣、それはおそらくスーパーで売っているミンチ肉のような模様だったのではないか。
自分の精神がガリガリと削られていく音が聞こえる気がする。
「ええ。夢の中でどんな目にあったか、想像したくないわね」
破砕機に突っ込まれたんですとは、言えなかった。
「……目覚めるんでしょうか」
「元凶を叩いて解呪する必要があるわね」
「元凶……」
ちらりと、氷魚の脳裏を屋名池の顔が掠めた。
疑ってなんていない。そのはずだ。なのに、屋名池を連想してしまったことに、氷魚は罪悪感を覚えた。そんな氷魚の心中を知ってか知らずか、いさなは、
「昨日みんなの家に貼った護符だけど、生半可な呪いなら弾く代物だったの」と言った。
「さっきも訊きたかったんですけど、めちゃくちゃ強力な呪いだったってことですか」
「そこなんだけど、呪いそのものはそれほどの強さじゃない。昏睡状態に陥らせているけど、殺すまでには至ってないのがその証拠よ」
「でも、護符は焼き切れてしまいました」
氷魚が言うと、いさなはスカートのポケットから護符を取り出した。昨日のものと同一品のようだ。
「この護符は、わたしたちの界隈では有名な物なの。数も出回っている。仕組みを知っている人間ならば、分析して破るための術式を組むことができるでしょうね。といっても、相当な知識と力が必要だけど」
いまいちぴんと来ない。いさなは氷魚の顔を見て察したのか、
「現代風にたとえるなら、護符はアンチウィルスソフトで、今回はソフトの脆弱性を突かれた、といったところかな」と説明しなおしてくれた。
「なるほど。それじゃ、相手は専門家ってことですか」
氷魚の言葉に、いさなは首を横に振った。
「きみたちは真っ当な高校生でしょ。専門家がわざわざ狙う理由がない。誰かが高額な報酬を用意して専門家に依頼する可能性も低いわね」
言われてみればその通りだ。たとえばゴルゴ13みたいなプロの殺し屋に、氷魚たちの殺害を依頼する誰かがいるなんてまずありえない。一国の首相とか要人ならばわかるが、氷魚たちは普通の高校生なのだ。害したり殺したりしたところで世界が変わったりはしない。氷魚たちを取り巻く世界は間違いなく変わるが。
犯人の目的は何か。一体誰が、どうやって。
専門家ではありえない。かといって、全く知識がない者でも無理だ。
そこで、氷魚の頭にある可能性が閃いた。
「――犯人は、専門家から知識を得た素人?」
「わたしもそう考えた。今の時代、情報は指先一つでいくらでも得られるからね。嘘やでたらめも多いけど、中には『本物』が混ざっていることもある」
いさなは空中に指を泳がせる。
確かに、ネットの海は広大だ。氷魚は調べたことはないが、誰かを呪う方法だってごろごろ転がっているに違いない。
そこまで考えて不意に怖くなった。いさなが言った通り、でたらめだらけの情報の中に『本物』が混ざっていたら? そしてそれが今回の事件を引き起こしたのだとしたら?
誰かを、今回の場合は氷魚たちを呪いたいと願い、呪いを実行した人物は間違いなく存在するのだ。その手段が、誰でもアクセスできるものだとしたら――
「――それはそうかもしれませんけど、呪いって、そんなに簡単に覚えられるものなんですか?」
付きまとう恐怖を振り払うように、氷魚は尋ねる。
「誰にでも使える形に落とし込んだのかもしれない。魔術として」
「魔術……?」
「詳しく説明すると長くなるから簡単に済ませるけど、要は術式――決まった手順を用いて望んだ効果を引き起こす手段よ」
よくわからなかった。
映画や漫画、ゲームでは当たり前のように使われているが、現実だとピンとこない。
「……今回の件で言えば、『猿夢を見せて対象者を現実で昏睡させる』って感じですか」
自分なりに解釈した考えを述べる。
「そんなところね。加えて、護符破りの術式も組み込まれている」
「護符が効かないのなら、どう対処すればいいんでしょうか」
「それについては考えがあるわ。橘くん、今晩、わたしの家に泊まれる?」
「――は? ええ!?」
突然の質問に、素っ頓狂な声が出た。
「言っておくけど、変な意味じゃないからね」
釘を刺すように、いさなはじろっと氷魚をにらみつける。
「それはもちろん、はい。けど先輩、1人暮らしって言ってましたよね」
変な意味じゃなくても、色々まずいのではないか。
「泊まるのは遠見塚の実家の方よ」
「あ、そうなんですね」
安心したような、少し残念なような気分になる。
「それでね、橘くんに持ってきてほしい物があるの」
「お泊りセットですね」
「きみの中学校の卒業アルバムよ」
ボケと見なされたのか、スルーされてしまった。氷魚としては、割と真面目だったのだが。
「卒業アルバムなんて、どうするんですか」
気を取り直して尋ねる。用途の想像がつかない。
「確かめたいことがあるの」
「? よくわかりませんが、わかりました」
「明日は平日だけど、外泊するってご両親を説得できる? なんならわたしから説明するけど」
「いえ、自分で言います。屋名池に口裏を合わせてもらえばなんとかなるかなと」
いさなから説明されたら、あらぬ誤解を招きそうだ。
「ならいいけど」
そこでチャイムが鳴った。朝のホームルームの時間だ。
「今日はどうするんですか」
「普通に過ごして問題ないわ。放課後にまた会いましょう」
言って、いさなは階段を下りていった。
「普通は難しそうですよ、先輩」
いさなの背中が見えなくなってから、氷魚は呟いた。
それができたらどんなにいいだろう。今日1日、気もそぞろなのは間違いない。平穏な学校生活はどこに行ってしまったのか。
これまで自分の身に怪異という名の災厄は降りかかってこなかったし、これからもないと根拠なく信じていた。そんなものは存在していたとしても自分の生きる世界の外の出来事で、自分とは無縁だと思っていた。だが、それは間違いだった。
人生はどんなことも起こりうる。まだたったの15年しか生きていないけどそう思う。
猿夢と、何よりいさなとの出会いが氷魚の世界観を書き換えた。自分がこうだと信じていた世界には別の顔があることを知ってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
けれども、確かなことが1つだけある。
自分はもう、いさなと出会う以前には戻れないということだ。
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