第6話 猿夢奇譚⑥
「よし、これで最後ね」
表札の下に隠すように護符を貼りつけて、いさなは息を吐いた。
「お疲れ様です」
誰か来ないか見張りをしていた
夜に人様の家に何か貼りつけているなんて、いくら正当な理由があろうとも客観的に見たら不審者である。お巡りさんに見つかったら職務質問待ったなしだ。
念のため2人は制服を着ているが、
時刻は夜の8時過ぎ。下校後、改めて氷魚といさなが学校前で待ち合わせをしてから2時間が経っていた。
家には友達とご飯を食べに行くと言ってある。
「
並んで歩きつついさなは言った。改めて身長差を意識する。いさなの身長は173㎝の氷魚よりもわずかに低い。街灯に照らされて、二つの影が並んでいる。
「おれにできることなら、手伝いたいんです。それに、夜に女の子の一人歩きは危ないですから」
いさなは普通の女子高生ではないかもしれないが、女の子であることに変わりはない。頼りにならないという自覚はあるが、自分が付き添うべきだと思った。
「あら、紳士ね。腕っぷしには自信があるのかな」
ふんわりと笑って、いさなは言った。
「いえ、からっきしです。でも、いざという時には囮くらいにはなれますよ」
氷魚は生まれてこの方喧嘩をしたことはない。誰かと殴り合うなんて、想像するだけで怖かった。
「囮って、きみはもう少し自分を大切にした方がいいわよ」
「してますよ。我が身は可愛いです」
「なら、いいんだけど」
「先輩こそ、こんな時間に出歩いて大丈夫なんですか」
「わたしは平気。自分の身くらいは守れるから」
「そうじゃなくて、いや、それもだけど――」
ご家族は心配しないんですか、という言葉を、氷魚は寸前で飲みこんだ。昼間のお弁当が頭をよぎったからだ。
「橘くんは、そういう気の遣い方をするのね」
氷魚の飲みこんだ言葉を、いさなは察したようだ。
「あ、いえ、そんな」
「大丈夫よ。心配してくれる家族はいるけど、わたしは1人暮らしなの」
なんでもないことのように、いさなは言った。ふっと、いさなの影が歪んだ気がした。
「――そうなんですね」
何を言うべきか迷って、結局氷魚から出てきたのは無難な相槌だった。
鳴城高校に寮はない。だから、いさなの言う1人暮らしは文字通りの意味だ。
隣を歩くいさなが、笑った気配があった。
「複雑な事情なんてない。ただ、遠見塚の家を出ただけ。家出じゃなくてね」
複雑な事情も無しに、女子高生が1人暮らしをするだろうか。
しないと思う。
思うが、これ以上は氷魚が無神経にずかずかと踏み込んでいい領域ではない。少なくとも、知り合った日に訊くべきことではないと思う。
「着いたわね」
いさなに合わせて歩いていたら、いつの間にか、氷魚の家の前だった。
「遅くなったけど、橘くんにも渡しておくね」
いさなはバッグから護符を取り出し、氷魚に差し出す。
「ありがとうございます」
護符を受け取った氷魚は、門柱の下の目立たない所に透明なテープで貼りつけた。これで一安心だ。
「枕の下に敷いた方が効果は高いわよ。他の家はやむを得なかったから外に貼ったけど」
「でも、こうしておけば、家全体が守られるんですよね」
「きみに対する効果は少し低くなるけど、そうね」
「だったらここでいいです。両親と姉に何かあったら嫌なので」
「橘くんは、家族を大事にしているのね」
「家族には、できるだけおれのことで迷惑をかけたくないんです」
「どうしてまた。家族なんて、迷惑をかけたりかけられたりでしょ」
「いろいろありまして」
それこそ、知り合ったばかりのいさなに話せることではない。
「と、今日はありがとうございました。先輩の家まで送っていきますよ」
「こちらこそありがとう。もう遅いし、きみはこのまま帰りなさい。心遣いだけもらっておくから」
言うなり、いさなは踵を返した。ぴしりと伸びた背中には、有無を言わせない強さと拒絶があった。これでは無理についていっても迷惑になるだけだろう。
「あの、先輩」
送っていく代わりに、氷魚は声をかけた。
「ん?」
いさなが振り向く。
「おやすみなさい。また明日」
一瞬虚を衝かれた表情になったいさなだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「――ええ、おやすみなさい。また明日ね」
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