第5話 猿夢奇譚⑤

 その後、4人の話を聞いたが、みんな桟敷の話と似たり寄ったりの内容だった。

 夢は見たかもしれないけど、覚えていない。昨日から身体が何となくだるい。

 交友関係もばらばらで、関連性は見いだせない。

 そんな感じで、猿夢については何もわからずじまいだった。

「何かとっかかりが欲しいわね」

 いさながつぶやく。これといった収穫がないまま、残りはもう2人だ。

「失礼します」

 入室してきたのは葉山はやま千夏ちなつだった。氷魚ひおの右斜め後ろの席に座っている女子である。

 葉山は中学生の時、氷魚、屋名池やないけと同じクラスだった。屋名池と付き合っていたが、屋名池が特進科を落ちたのをきっかけに別れたと聞いている。

 氷魚が屋名池といる時は遠慮していたのか、話しかけてくることがなかったため、彼女がどんな女の子か氷魚はよく知らない。屋名池も言わなかったし、氷魚も訊かなかった。

「授業中にごめんなさい。出席番号30番の葉山千夏さんね」

 いさなが確認を取る。

「そうですけど。あたしに何の用ですか」

 整った顔立ちの葉山だが、今は見るからに憔悴していた。軽いメイクで隠してはいるが、目の下にはうっすらと隈が見える。

「疲れているみたいだけど、最近よく眠れている?」

 いさなは労わるような口調で訊いた。

「なんですか。カウンセリングでもしてくれるんですか」

 対する葉山の返答は投げやりだ。

「それに近いことができればいいと思っているわ」

「……先輩は、たちばなくんもだけど、一体なんなんですか。先生に授業を中断させてまでこんなことをして」

「探偵と助手」

 氷魚はもう驚かない。いさなはみんなに訊かれるたびに同じ答えを返していたのだ。

「探偵って、そんな、冗談ですよね」

 葉山はこれまでの生徒同様の反応を返す。当然だと思う。誰だって戸惑うに決まっている。

「わかりやすいから探偵という言葉を使ったけど、まあ、探偵的な何かね。でも学校の許可は得ている。でなければ、『こんなこと』はできないでしょ。式見先生も協力してくれているし」

「…………」

 説得力があったのか、葉山は黙り込んだ。

「わたしは、あなたたちに問題が起こっているのなら解決したいと考えているの。葉山さんはさっきカウンセリングって言ったよね。何か困りごとがあるんじゃない?」

 葉山は何かに耐えるようにスカートの裾を掴んだ。どうやら迷っているようだ。

「もし、おれがいない方がいいなら席を外すけど」

 自分がいたら話しにくいかと思い、氷魚はそう提案する。

 考え込むことしばし、やがて意を決したように、葉山は言った。

「――いえ、橘くんもいて。もしかしたら、橘くんも関係しているかもしれないから」

 いさなと氷魚は顔を見合わせた。

「ということは」

「話します。信じてもらえるかどうかはわからないけど」

「ありがとう。決して悪いようにはしないと約束するわ。さあ、座って」

 いさなに促され腰を落ち着けた葉山は、

「最近、気持ちの悪い夢を見るんです」と切り出した。

「どんな夢?」

「電車に乗る夢。でもただの電車じゃない。活け造りとか、えぐり出しとか、訳の分からないアナウンスが流れて、その通りに乗客が殺されていくんです。そして、その乗客は……」

 一旦言葉を切った葉山は氷魚に目を向ける。

「1-5のクラスメイトだね」

 氷魚が言うと、葉山は息を呑んだ。

「やっぱり、橘くんも同じ夢を?」

 大当たりだ。葉山も猿夢を見ていた。

「うん。昨日から」

「あれって猿夢よね。なんであたしたちがあんな夢を見るの?」

 今までの鬱憤を晴らすかのように、勢い込んで葉山は言う。よく見ると拳を固く握っている。

「わからない。おれは猿夢自体を知らなかったし」

「葉山さんは猿夢を知っているのね」

 静かな声で、いさなは言った。それで少し落ち着いたのか、葉山は握っていた拳を開いた。

「はい。あたしは怪談や都市伝説が好きなんです」

「あら、話が合いそう」

「先輩も好きなんですか」

 この部屋に入ってから初めて、葉山は笑みを見せた。氷魚が知らないだけで、都市伝説が好きな女子は意外と多いのだろうか。しかし今はそれどころではない。

「ええ。……っと、それについては、別の機会に話しましょうか」

 脱線しないでくださいねという思いを込めた氷魚の視線の圧力に気づいたのか、いさなは居住まいを正す。

「葉山さん。夢の中であなたはどこにいるの?」

「横向きの座席に座っています」

「隣は誰か覚えている?」

綿野わたのくんと中条なかじょうさんだったと思います」

 いさなは手帳に目を落とした。氷魚の証言と同じか確かめたのだろう。

「あなたの夢の中で、橘くんはどこにいたの? できれば状態も具体的に教えてくれる?」

「はい。運転席の近くに、背中を向けて立っていました。動けないみたいだったけど」

 確かに、氷魚は進行方向に背を向けて立っていた。同じ夢を見ていると断じてよさそうだ。

「――なるほど。最後の綿野くんにはまだ話を聞いてないけど、今のところ夢の内容を覚えているのは橘くんと葉山さんだけのようね」

「どうしてあたしたちだけ?」

 葉山に尋ねられた氷魚は黙って首を振る。自分たちと他の生徒は、何が違うのだろう。

「2人は、呪的なものに対する抵抗力――精神力が強いのかもね。だからみんなは忘れていても、あなたたちは覚えている」

 顎に手を当てて、いさなは言った。果たして喜んでいいのかどうか、悩ましいところだ。なるべくなら関わりたくない世界である。

「呪的って、あたしたち、呪いをかけられているっていうことですか」

「理解が早くて助かるわ。その可能性はあると思う」

「じゃあ、薊くんと児玉さんが学校を休んだのは夢の中であんな目にあったから?」

「無関係ではないでしょうね」

「2人は、今どうなってるんですか」

「どちらも入院中と聞いたわ」

「そんな。だったら、いずれあたしも……」

 葉山の顔がくしゃりと歪む。今にも泣き出しそうだ。

 気持ちはよくわかる。氷魚も全く同じ立場だからだ。

 これから自分の身に何が起きるか、考えたくないけど考えてしまう。もしも猿夢の謎を解決できなければ、自分は眠ったままになるのか、あるいは――

「大丈夫。そうならないようにするから」

「……先輩は、対処できるんですか」

 希望にすがりつくように、葉山は身を乗り出した。

「ひとまず、いくつか案はあるわね」

「呪い返しとか?」

 耳にするだけで恐ろしい単語が葉山の口から飛び出す。そういう言葉がぽんと出てくるあたり、葉山は本当にオカルトに詳しいみたいだ。

「あいにく、そういう技術は身に着けていないわ。けど、防ぐ手立てなら用意できる」

 いさなはスカートのポケットから何か取り出した。名刺くらいの大きさで、不可思議な文様が描かれた紙だ。

「お守りみたいに見えますけど」

 氷魚が言うと、いさなは紙を振ってみせた。

「魔除けの護符よ。普段から持ち歩いている物でそれほど強力じゃないけど、簡単な呪いだったら防げるはず」

「でも、そういうのって、高いんじゃ」

 効果のほどは知らないが、霊感商法の壺とか、目玉が飛び出るくらいの金額という印象がある。

「安くはないわね」

「あたしに払えますか」

 不安そうに葉山は言う。氷魚も欲しいが、手持ちは心もとない。こんなことならバイトでもしておくべきだった。

「お金は要らない。持っていって」

 いさなは護符を葉山の前に滑らせた。

「え……でも、いいんですか」

「いいわよ。経費は学校側に請求するから」

 冗談めかしていさなは言う。本当に学校が払うかどうかは気になるところだ。

「あ、ありがとうございます!」

 差し出された護符を、葉山は胸に抱きしめるように受け取った。

「自宅の玄関に貼ってもいいけど、枕の下に敷いた方が効果が高いわよ」

「わかりました。そうします」

「あの、先輩、おれの分は……」

 おずおずと、氷魚は手を挙げた。

「安心して。後で渡す。他の皆の家にもこっそり貼っておかなきゃね。直接言っても信じてもらえないでしょうし」

「貼っておくって、住所は?」

 もっともな葉山の疑問だが、氷魚はいさなの答えが予想できた。

「学校に教えてもらう」

 当たりだった。

「先輩って、一体何者なんですか? 護符を持っていることといい、普通の女子高生じゃないですよね」

「さっき言った通り、探偵的な何か、よ」

「なるほど。あたしには教えられないってことですね」

「悪く思わないでね」

「まさか。先輩はあたしたちの味方だと思ってますから」

 いさなは黙って微笑んだ。思わず見惚れてしまう横顔だった。

「――では、葉山さん。大事なことを訊きたいのだけれど」

「はい、なんでしょうか」

「誰かに恨まれる覚えは、ある?」

 雷に打たれたみたいに、葉山はびくりと身を震わせた。

「ない、と言いたいんですけど……」

 言って、葉山は遠慮がちに氷魚に目を向ける。

「橘くんに関係があるの?」

 いさなの問いに、葉山は首を横に振る。

「いえ、全然。あたしと彼の問題だったので」

「彼って、屋名池?」と氷魚は訊いた。

「そう。橘くんは忠行――屋名池くんの友達でしょ。だから」

 葉山は言いよどんだ。

「だから、言いにくい?」

 いさながうながすと、葉山はこくりとうなずいた。

「――もしかして、屋名池が葉山さんを恨んでるって言いたいの?」

「そうじゃないって思いたい。けど、あたしが一方的に屋名池くんに別れてって言ったから」

「屋名池はそんな器の小さい人間じゃないよ」

 頭に血が上った。自然、声が大きくなる。

「でも、他の誰かに恨まれる覚えはないの!」

 氷魚の言い方にヒートアップしたのか、葉山は叫ぶように言う。

 激昂に任せて言い返したくなるのを堪えて、落ち着けと氷魚は自分に言い聞かせる。感情で言い争うのではなく、理で屋名池の潔白を証明しなくては駄目だ。

「だからって、屋名池はない。絶対にない。第一、だとしたらなんで葉山さんだけじゃなくておれたちまで猿夢を見るんだよ」

「特進科に受かった人たちが恨めしいのかも」

「それだと、おれたち10人だけの説明がつかない。恨むなら、特進科全員だよね」

 昨日だって、屋名池は特進科に受からずかえってよかったと笑い飛ばしていた。あの笑顔に裏があるようには感じなかった。

 屋名池はまっすぐな人間だ。仮に氷魚に含むところがあるのなら、まず間違いなく態度に出る。

「それは……あたしにはわからないよ」

「ちょっといいかな」

 氷魚と葉山は揃っていさなに目線を向けた。

「そもそも、なんで葉山さんは屋名池くんと別れたの?」

「……お父さんとお母さんに言われたんです。特進科に落ちるような男とは付き合うなって。あたしは別れたくなかった。でも、両親には逆らえなくて。屋名池くんにはただ別れてと言っただけですが、察しているかもしれません。何回か両親に会っているので、厳しいことは知ってるんです」

 おれ、千夏にふられちゃったよと、寂しげに氷魚に告げた屋名池の姿を思い出す。あの時、屋名池は悲しんではいたけれど、葉山を恨んでいるようには決して見えなかった。

「なるほど。恨む理由にはなるわね」

 いさなが小さくうなずく。

「ま、待ってくださいよ先輩! そもそも、屋名池がどうやっておれたちを呪うって  いうんですか。専門的な知識も無しに」

「きみが知らないだけかもしれない。今の時代、知識を得ようとすれば思えば手段はいくらでもあるわ」

「そんなことを言い出したら、誰も彼も怪しくなる」

「その通り。だから今はまだ断定はできない」

 氷魚にそう言った後、いさなは葉山に向き直る。

「ありがとう葉山さん。有益な情報だったわ。教室に戻ったら綿野くんを呼んでくれる?」

「――はい。わかりました」

 席を立った葉山は、何か言いたそうに氷魚を一瞥した後、視聴覚室を出て行った。

「屋名池はおれたちを呪うような人間じゃないです。絶対に」

 いさなと、誰よりも自分自身に言い聞かせるように氷魚は断言した。誰が疑おうとも、自分だけは絶対に屋名池を信じ抜こうと決めた。

 そんな氷魚を見やり、いさなはぽつりと言った。

「――ええ。わたしもそうであってほしいと願うわ」

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