第4話 猿夢奇譚④

「さて、それじゃまずは橘くんの夢に出てくるクラスメイトの名前を教えて」

 お弁当を食べ終えたいさなは、胸ポケットから手帳とペンを取り出した。

「わかりました。出席番号順で言いますね。まずは薊悠斗くん、次に児玉朋さん、で、桟敷藤吾さじきとうごくん、陣屋幸恵じんやさちえさん、園川そのかわおさむくん、東儀七瀬とうぎななせさん、中条なかじょう深優みゆさん、葉山千夏はやまちなつさん、綿野大毅わたのひろきくんです」

 ひとりひとり、氷魚ひおはクラスメイトの顔を思い浮かべながらゆっくりと名前を言った。

たちばなくんを混ぜたらちょうど10人か。どういう順番で座っているかは覚えている?」

 いさなはペン尻で額を叩く。

「車両の後ろ側から、さっき名前を出した順番で座っていました」

「出席番号1番の薊くんからスタートしたのは偶然か、それとも何か意図があるのか――。ちなみに、電車の運転席はどうなっていたかはわかる?」

「もやがかかっているみたいになっていて、中は見えませんでした」

「なるほどね」

 手帳に目を落としたいさなは、何やら考えこむ顔になった。

 不安に駆られた氷魚ひおは、考えごとの邪魔をしてはいけないと思いつつも口を開く。

「あの、クラス全員じゃなくて、おれたち10人だけが呪われてるんでしょうか」

「まだ断言はできないわね。――で、橘くん、聞きにくいんだけど、誰かに恨まれる覚えとか、ある?」

「自分でも考えたんですけど、わからないです。呪われるほどひどいことをした覚えはありません」

 人を呪いたいと思うほどの強い怨みとはなんだろうか。やはり家族や親しい人を殺された、とかだろうか。

「真っ当に生きていれば、そうよね。となると、動機はなんなのか」

「おれにとっては些細なことでも、相手にとってはそうじゃなかったのかも」

「じゃあたとえば、橘くんと名前を挙げた人たちで、誰かをいじめまではいかないにしても、からかったり、いじったりとか、した?」

 言われて思った。確かにいじめられたら、いじめた相手を呪いたいと願うかもしれない。

 だが、氷魚には覚えがない。いじめなんてしてないし、いじめられたこともない。良くも悪くも、教室での氷魚は存在感がなかった。

「絶対にしてないと誓えます。そもそも、おれと他の9人は接点がないんですよ。おれ以外なら、薊くんとかはいろんな人と仲がいいみたいですけど」

 選ばれるとしてもなぜ自分たちなのか、まるで見当がつかなかった。

「SNSで誰かを煽ったりは?」

「してません。ツイッターもインスタもやってないです」

 氷魚のスマホの主な使い道は、大してやり込みもしないソシャゲのログインボーナスでガチャを引くくらいだ。アドレス帳は家族以外では屋名池しか登録していない。

「今時珍しいね」

「かもしれません」

「うん、わかった。これは他の子にも話を聞く必要がありそうね」

 立ち上がったいさなは、お尻を軽く叩いてほこりを払う。

「行くわよ橘くん」

「行くって、まさか今から話を聞きに行くんですか」

「その通り。善は急げよ」

「でも、授業中ですよ」

 教室に乗り込んで、この中に呪われている人がいますとかやりだしたらどうしようと思う。変人扱い間違いなしである。

「ひとりひとり空き教室に呼び出すわ」

 よかった。ひとまずは安心だ。

「――って、呼び出す?」

「ほら早く」

 いさなに手を引かれ、立ち上がる。

 反射的に空いている手でトートバッグを掴んだ氷魚はどういうことですかと聞く暇もなく自分の教室の前までやってきてしまった。

 ノックしてドアを開けたいさなは、「失礼します」と何の躊躇ちゅうちょもなく1-5の教室に踏み入った。教室中の視線がいさなに、次いで、いさなの手元に集中する。

 皆の視線の先を追い、ようやく氷魚は気づいた。いさなと、手を繋いでいる。

家族や学校行事を除けば、女子と手を繋ぐのは初めての体験だった。せめてもうちょっといい雰囲気の時だったらとは思わずにはいられない。

 知ってか知らずか、自然に手を離したいさなは「先生、よろしいでしょうか」と授業中の式見しきみに声をかけた。

「なんだ」と応じた式見の顔には疲労がにじみ出ていた。

 考えてみれば、教員も今回の件では頭を悩ませているはずだ。なにせ、生徒が2人も原因不明で入院しているのだから。しかも、これから増える可能性もある。

 自分もその候補なのだと、氷魚は改めて自覚した。

「例の件で話を聞きたい生徒が何人かいるのですが、協力していただけますか」

「わかった。みんな、今から自習にする。遠見塚とおみづかに呼ばれた者は話を聞かせてやってくれ」

 驚くほどすんなりと、式見はいさなの協力要請に応じた。文科省と繋がりがあるというのははったりではなさそうだ。

「感謝します。ではまず、桟敷藤吾くん」

「へ、おれ?」

 いさなに名を呼ばれて、1人の男子生徒が素っ頓狂な声を上げた。桟敷は明るく、社交的なタイプだ。薊と親しげに話しているのをよく見かける。

「先生、空いている視聴覚室を使ってもいいですか」

「好きに使っていい」

「ありがとうございます。じゃあ桟敷くん、ついてきて」

「え、あ、わかりました」

 状況を把握できていない桟敷を伴って、いさなと氷魚は近くの視聴覚室に移動した。

 英語の教師が『サウンド・オブ・ミュージック』を見せたり、世界史の教師が『世界ふしぎ発見』を見せたりするのに使われる教室だ。大きなモニターと各種機材、暗幕がある。

 いさなと氷魚は桟敷と向き合う形で長椅子に座った。反対側に座った桟敷は居心地が悪そうだ。

「あの、おれに何の用ですか」

 桟敷が口を開いた。

 他ならぬ、いさなをかわいいと言っていたのは桟敷なのだが、口調が固い。

 普段の彼なら喜びそうなものだが、今は不安が勝っているようだ。

 無理もない。この状況、訳がわからないだろう。暗幕を引けば、刑事ドラマのような取り調べが始まってもおかしくない雰囲気だ。

「そう緊張しなくていいよ。顔色があまりよくないみたいだけど、最近きちんと眠れてる?」

 桟敷の緊張をほぐすためか、いさなはやさしく尋ねる。

 確かに桟敷の顔色はよくない。今朝の氷魚の顔色みたいだった。

「眠れている、と思います」

「身体に疲れはない?」

「少しだるいですね」

「夢は見ている?」

「夢? よく覚えてないです。見たような、見てないような。それがどうかしたんですか」

「重要なことなの。もし夢を見ていたのなら、内容を教えてほしい」

 桟敷はしばし考え込み、

「ん……すんません。やっぱり思い出せないです」と言った。

「電車は出てこなかった?」

 氷魚はつい、口をはさんでしまった。いさなは視線を送ってよこすが、何も言わない。

「どうだったかな。なんか、怖い光景を見た気はするけど」

「どんな?」

 氷魚が重ねて訊くと、桟敷は申し訳なさそうに首を振った。

「ごめん、はっきり覚えてない」

「話を変えるわね。桟敷くん、この中で、きみと仲のいい子はいる?」

 いさなは手帳をめくり桟敷に差し出す。夢の中に出てくる生徒たちの名前が書かれているページだ。

「え、と。仲がいいのは薊ですね。園川、綿野ともよく話します。あとは、東儀とたまに話すくらいかな」

 手帳を覗き込み、桟敷は言った。

 氷魚のクラスは、みな気の合う者同士で自由にグループを作っている。派閥もスクールカーストもない。どこにも属さない氷魚にとっても居心地は悪くなかった。

「そう――。ありがとう、参考になったわ。授業中にごめんね。戻っていいわよ」

「え、もういいんですか」

「ええ。あ、ついでにもう一つ頼まれてくれるかな。教室に戻ったら、陣屋さんを呼んでくれる?」

「それは構いませんが……。ところで、二人はどんな関係なんですか?」

 桟敷は興味津々といった感じで尋ねる。案外元気そうだ。

「探偵と助手」

 いさなは真顔で答えた。

「いやいや先輩、嘘でしょ」

 桟敷が笑う。いさなは無言で薄い笑みを浮かべる。

「え、ホントに?」と桟敷は氷魚に訊いてきた。

「近い、かも?」

 氷魚は答えを濁した。実際、自分といさなはどんな関係なのかうまく説明できない。謎を解くという意味では探偵と助手みたいな役割なのだろうが。

「マジか。っていうか橘、いつの間に先輩とお近づきになったんだよ」

「知り合ったのはついさっきだね」

「おいおい、それでどうやって」

「桟敷くん」

 いさなが静かに言う。笑みを浮かべているが、目が笑っていなかった。

「は、はい」

「悪いけど、陣屋さんを呼んでくれる?」

「わ、わかりました。大至急呼びに行きます!」

 桟敷は急ぎ足で視聴覚室を出て行った。

「すみません。夢のこととか、口をはさんでしまって」

「いいわよ。どんな反応をするか確認できたし。橘くんが訊かなかったら、わたしが訊いてた」

「で、どう思いますか」

「夢は覚えていなかったみたいだけど、彼にも橘くんと同じ気配がまとわりついているわね」

「呪いですか」

「そう……ね」

 何か気にかかることでもあるのか、歯切れの悪い返事だった。

「――とにかく、今はみんなの話を聞いてみましょう」

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