第3話 猿夢奇譚③

「ここでいいかな」

 いさなは、屋上へと続く階段の踊り場で足を止めた。

 屋上は立ち入り禁止なので、この辺は昼時でも人気ひとけがない。

 進学校で根が真面目な生徒が多いため、隠れて煙草を吸う輩もいない。見つかったら停学なのでリスキーというのもあるのだろうが。

 その点、中学の方が無法地帯だった。煙草を吸うなんてかわいい方で、トイレを破壊する、消火器を廊下にぶちまけると一部の生徒たちがやりたい放題だったのだ。

 なので、中学時代は生き延びるのに精一杯だった。

「訊きたいことって、何ですか」

 気を取り直して、氷魚ひおはいさなに尋ねた。

「単刀直入に訊くね。橘くん、最近、身の回りで奇妙なことが起こってない?」

 氷魚の目をまっすぐに見つめて、いさなは言った。眼光の鋭さに氷魚は若干気圧される。

「奇妙なことっていうと?」

「超自然的なことや、世間一般の常識の埒外らちがいのこと。いわゆる怪奇現象、怪異ね」

「怪奇現象……ですか」

 この先輩は、いきなり何を言うのか。

 面食らいつつも、氷魚は真っ先に電車の夢を思い浮かべた。だが、軽々しく口にしていいものかどうか。

 そもそも、この先輩は何者なのだろう。怪奇現象とか言っているが、霊能力者なのか。

 自称にしろ他称にしろ現役女子高校生の霊能力者なんて、学校にいたら良くも悪くも話題になりそうなものだが、聞いたことはない。

「わたしが信用できない?」

 氷魚の心中を見透かしたかのように、いさなは唇の端を持ち上げた。整っている顔立ちも相まって、迫力があった。

「……そういうわけでは」

「きみのクラスの薊悠斗あざみゆうとくん。昨日の朝から眠ったまま目を覚ましていないんだって。原因不明の昏睡状態で入院中」

 唐突に、いさなはそう口にする。

「え……?」

「次に児玉朋こだまともさん。今朝起きたら目が見えなくなっていたって。朝一で病院に行ったものの、やっぱり原因不明で入院を余儀なくされた」

 否応なく、目玉を抉られた児玉の悲惨な姿が脳裏に浮かぶ。あれは夢だが、関連性はあるのだろうか。

「どうしてそれを先輩が知ってるんですか」

「さっき式見しきみ先生に聞いたから」

 こともなげに、いさなは言った。

「いや、だって、一生徒にそんな簡単に……」

 いさなの言が本当ならば生徒の個人情報で、軽々しく他の生徒に教えたりはしないはずだ。

「文科省のお墨付き。鶴の一声ってやつね」

 いさなはスカートのポケットから取り出した携帯端末を振ってみせた。

 冗談なのか本気なのか、いさなの顔からは読み取れない。

 文科省と聞いて、ふと、突拍子もない考えが氷魚の頭に浮かんだ。

「――先輩、もしかして政府のエージェントか何かですか」

 非現実的だが、いさなの浮世離れした雰囲気ならそれもありかと思えてしまう。

「だったら面白いね」

 いさなはふっと相好を崩した。的外れな発言だったかもしれないが、さすがにむっとする。

 顔に出たらしい。いさなは表情を引き締めた。

「ごめん。気を悪くしたのなら謝る。わたしは政府の人間じゃない。繋がりはあるけど、詳しく説明すると長くなるからパスさせて。それよりも、今はきみの話を聞かせてほしい。力になれると思うよ」

 煙に巻かれている気もするが、いさなの顔は真剣そのものだった。信じて、奇妙な夢のことを話してみてもいいかもしれない。現時点で、どのみち氷魚に打つ手はないのだ。

 細い息を吐き出すと、氷魚は背中を壁に預けた。ひんやりしていて気持ちがいい。

「最近、変な夢を見るんです」

「夢、ね。いつから?」

「一昨日、あ、いや、日付が変わってからって考えると、昨日からかな。昨日と今朝で2回見ました」

「どんな夢?」

「最初に見た夢では、おれは無人の鳴城なるしろ駅のホームに立っていて――」

 思い出すのも嫌だったが、いさなにうながされ、氷魚は夢の内容を洗いざらいぶちまけた。

「――なるほど、猿夢さるゆめか」

 氷魚の話を聞き終えたいさなは、ピアニストみたいな人差し指で形のいい顎を撫でる。

「猿夢?」

「有名な都市伝説だけど、その様子じゃ知らないみたいね」

「聞いたことないです」

 そもそも、都市伝説という言葉自体が氷魚にとっては耳慣れない。怪談の親戚みたいな認識だ。

「猿の電車の夢、略して猿夢。内容は大体きみが見た夢と一緒よ。語り手は夢の中で電車に乗る。電車は普通の電車だったり、猿が運転する電車だったりするみたい。猿夢っていうのはここから来てるのかもね。乗るとアナウンスが流れて、乗客が小人に殺されていく。最後には――」

「夢を見た本人も殺される? あれ、でもそれだと誰がその話を広めたのかわからないですね」

 自分で言って自分で突っ込む。つい話の腰を折ってしまった。いさなは気にした風もなく続ける。

「流布している都市伝説では、語り手は殺される直前に目を覚ますのよ。で、4年後にもう一度同じ夢を見て、同様に殺される直前で目を覚ます。『次は逃げられませんよ』っていうアナウンス付きでね。話は大抵ここで終わるわ。確か、オリジナルはネットの巨大掲示板に書き込まれた体験談だったはずよ」

 そういうことなら話が残り、広まったわけも納得できる。語り手はその後どうなったのかとか、気になる部分も多いが、怖くて聞けなかった。

「インパクトがあるせいか、猿夢の話を聞いて実際に似たような夢を見たっていう人は多いらしいよ。伝染する夢の怪異っていうと、他に『太古の動物』とか、『そうぶんぜ』とか、『ソウシナハノコ』とかがあるわね。聞きたい?」

 いさなの目が輝きだした。この手の話が好きなのかもしれない。が、氷魚が今知りたいのは猿夢についてだ。

「いえ、遠慮しておきます」

 氷魚が言うと、いさなは心なしか残念そうな顔になる。悪いとは思ったが、このままだと本題に入れそうにないので仕方ない。

「それより、おれは猿夢なんて知りませんでした。伝染しようがないと思いますが」

「――そうね。そこは気になる。それに、今回の猿夢は実際にきみのクラスメイトが被害者になっている。夢が現実を浸食しているのよ」

「そんなこと、ありえるんですか」

「ありえるね」

 いさなは即答した。

「まだ推測の域を出ないけど、きみたちは何らかの呪いをかけられていると思う」

「呪いっていうと、藁人形わらにんぎょう五寸釘ごすんくぎとか?」

 真っ先に連想したのは白い着物を着た女性だ。テレビの怪奇特集か何かで見て怖かったのを覚えている。

うしこく参りね。まあ、その類よ」

「なんでわかるんですか」

「橘くんの身にまとう空気が不自然によどんでいるから。1-5の前を通りかかった時にも感じたの。昨日は気のせいかとも思ったんだけど、今日になったら嫌な感じが強くなっていた。式見先生に聞いたら案の定よ。昨日のうちに動くべきだった」

 なんだかふわっとしていて、どうにも胡散臭うさんくさい。

「きみ、信じてないでしょ」

 疑念が顔に出ていたのか、即、指摘された。

「……信じたいとは思いますけど」

 奇妙な夢を見たのは事実だが、それが呪いだと言われてもピンと来ない。現実感がなかった。

 大体、誰かに呪われるほどの恨みを買った覚えもない。自覚がないだけという可能性もあるが。

「無理もないわね」といさなは肩をすくめる。

「でもいいよ。わたしと一緒に調査するうちに、嫌でも信じるようになるでしょうから」

「え、ちょっと待ってください。調査?」

「校長先生から許可は得た。嘘だと思うなら確認してもらってもいいよ」

 嘘をついているようには感じないし、そもそもいさなには氷魚をだますメリットがない。ということは、学校側は氷魚たちが遭遇そうぐうしている事態を怪異と認定し、かつ、いさなには解決能力があると判断したのだろうか。だとしても――

「先輩はともかく、おれもですか」

「ええ。きみはこの件の当事者なの。まさか拒否はしないよね」

 そう言われても、自分には何の力もない。いさなの役に立てるとは思えなかった。

「それは、その」

 煮え切らない氷魚に苛立ったのか、いさなはすっと目を細める。

「どうも危機感が足りないみたいね。いい、橘くん。きみのお尻には火がついているの。放っておいても消えない火よ。下手したら死ぬかもしれない。助かるためには、猿夢の謎を解くしかないの」

 火がついている。死の危険がある。

 いさなに指摘されて氷魚の頭に思い浮かんだのは、2人のクラスメイトだった。

「――薊くんと、児玉さんもですか」

「え?」

「おれたちが謎を解けば、薊くんと児玉さんも助けられますか。それに、夢に出てくる他のクラスメイトも」

 確かに自分には危機感が欠けていたと思う。危機にさらされているのは自分だけではない。

「怪異の渦中かちゅうにあるきみが協力してくれれば、皆を助けられる確率はわたし1人でやるよりずっと高くなるわね」

 もう、クラスメイトが無残むざんな姿になるのは見たくない。

 自分が動かないことで自分がひどい目にあうのは仕方がない。自業自得と諦めもつく。だが、自分が動かないことで他者がひどい目にあうのは耐えられない。

 薊が目を覚まさなければ、家族は悲しむだろう。児玉の目が治らなければ、家族は嘆くだろう。

 家族だけじゃない。2人は教室でも人気がある。もう会えなくなったら、皆もきっと悲しむ。

 それを、防ぐことができるのなら。

 おまえはもっと積極的になったほうがいいという屋名池の言葉が思い浮かぶ。

 氷魚は拳を握る。

 ここでやらなければ、自分はきっと一生後悔する。

「やります。おれ、先輩に協力します。呪いとか怪異はまだ信じられないけど、遠見塚先輩は信じられると思うから」

 まっすぐに、氷魚はいさなの目を見つめて言った。

 突然現れた謎だらけの先輩だけど、氷魚たちの身を案じてくれているのは間違いない。だから、信じようと決めた。

「――ありがとう。うれしい」

 いさなが柔らかく微笑む。破壊力抜群の笑顔だった。心臓が跳ねる。

「いえ、そんな、おれ、まだ何もしてないし、お礼なんて」

「わたしを信じると言ってくれたでしょ。だから、ありがとう」

 これ以上いさなを見ていることができなくなって、氷魚はうつむいた。たぶん今、自分は最高にだらしなくにやついている。

「さて、まずは――」

 いさなが手を合わせたところで、チャイムが鳴った。お昼休み終了の合図だ。同時に、いさなのお腹が可愛らしくぐぅと鳴る。思わず、氷魚は顔を上げた。

「――これは、その、お昼休みに職員室に話を聞きに行ったり、先生たちを説得するのに電話していたりしてね、だから、昼食を食べている時間がなかったからっていうか」

 気まずそうに氷魚から目を逸らして、今度はいさながうつむいた。謎めいていて近寄りがたい先輩という印象だったが、そうでもないような気がしてきた。

「おれたちのためですよね。ありがとうございます」

「う、うん。そうだ。橘くんもお昼まだでしょ。お腹減ってるんじゃない?」

 気を取り直したように、いさなは顔を上げた。ちょっとだけ赤面している。

「そうですね、少し減ってます」

 事態解決に向けて動き出したからか、ひとまず安心したのかもしれない。食欲が戻ってきていた。

「お昼ごはん、持ってきてる?」

「あ……忘れました」

 いつも母がテーブルの上に置いてくれるお弁当を、今日はリュックに詰めずに出てきてしまった。高校生になって初めてだ。状況が状況とはいえ、せっかく作ってくれた母に悪いことをしたと思う。

「わかった。待ってて」

 言うなり、いさなは身を翻して階段を軽やかに降りていった。どうしたんだろうと思っていると、さほど時を置かずしていさなが戻ってきた。手にトートバッグとペットボトルのお茶2本を持っている。

「よかったら、一緒に食べない? 購買で割り箸も買ってきたから」

 トートバッグの中から大きめの弁当箱を取り出し、いさなは言った。

「え、でも、いいんですか」

「いつも作りすぎちゃうの」

 階段に腰かけたいさなは膝の上にハンカチを置いて、お弁当を広げる。確かに、女子のお弁当にしては量が多い。

「お弁当もですけど、授業は……」

 お昼休みは終わっている。もう5時間目が始まっていた。

「学校には話を通しているから、大丈夫。場合によってはきみの協力を仰ぐことも伝えてあるから、安心して」

 若干後ろめたいが、それならいいかと氷魚はいさなの隣に腰を下ろした。さっきまでは気づかなかったが、いさなからはふわりと良いにおいがする。

 割り箸とお茶を渡してくれたいさなに礼を言って、氷魚はお弁当を覗き込む。唐揚げ、コロッケ、エビフライと揚げ物が中心だ。全体的に茶色くて野菜が少ない。ガッツリ系が好みなのかなと思う。

「作りすぎって言ってましたけど、先輩の手作りなんですか」

「そうよ。冷凍食品ばっかりだけどね」

「それでも、自分で作るのはすごいですよ」

 急に緊張してきた。そんじょそこらのお弁当ではない。美人の先輩の手作り弁当である。オークションに出したら高値が付きそうだとか、バカなことを考える。果たして自分は本当に食べていいのだろうか。しかも授業をさぼって。

「これくらい大したことないよ。いいから食べて」

 いさなは唐揚げを口に運び、おいしそうに頬張る。いい食べっぷりだった。見てるとお腹が空いてくる。

「では、遠慮なく」

 氷魚はコロッケを頬張る。

「うまいです」

 母も時々使う冷食の味だが、なぜかよりおいしく感じる。いさな補正だろうか。

「それはよかった。橘くんは、普段お昼どうしてるの」

 鳴高には学食がない。購買ではパンを売っているが、昼時は戦争である。朝のうちに購買で引換券を買っておけば、お昼に学校近くの弁当屋が配達してくれる弁当を受け取ることもできるが、こちらは値段の割に量が少ない。

「母が作ってくれるお弁当を持ってきてます」

 節約にもなるし、パン争奪戦に参戦しなくていいのは大きい。氷魚にはバーゲンもかくやという人込みをかき分けていく戦意がなかった。

「そっか。お母さんとは、仲がいい?」

「どうでしょう。いい方だとは思います」

 これまで、氷魚には反抗期らしい反抗期がなかった。これからもない気がする。

 母も、父も、あまり氷魚に干渉しない。かといって完全にほったらかしというわけではなく、相談がある時はしっかり話を聞いてくれる。だからかもしれない。

 流れで先輩は? と聞こうとして、氷魚は寸前で思いとどまった。

 もちろん、母親がいても、仕事の都合などで自分でお弁当を作ることはあるだろう。でも、そうじゃないとしたら?

「お母さんのためにも、頑張らないとね」

 箸でつかんだ卵焼きを見つめながら、いさなは言った。気のせいか、少し寂しげな横顔だった。

「――ええ、そうですね」

 改めて氷魚は思う。この先輩は、一体何者なのだろう。

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