第2話 猿夢奇譚②

「嘘だろ。またこの夢?」 

 電車の中だった。

 生暖かい空気に、一定の間隔で席に座っている生気のないクラスメイトたち。

 昨日見た夢と同じだと、氷魚ひおはすぐに気づいた。違っているのは、あざみが座っていた場所に誰もいないということだけだ。

 無残な死体をもう一度見なくてすんだのはいいが、だからといって安心できるはずがない。


「次はえぐり出し~、えぐり出しです」

 

 案の定、そんなアナウンスが流れた。言葉の響きだけでもう恐ろしい。

 今すぐこの電車から逃げ出したいのに、身体は凍りついたみたいに動かないし、声も出ない。起きろ起きろと念じても無駄だった。

 車両の一番前で釘付けになっている氷魚はこれから起きる惨劇を予想しつつも、何もできない。

 やがて、車両の後ろに2人の小人が現れた。

 小人たちは、手に大きなスプーンを持っていた。にたにたと下卑た笑みを浮かべて、小人たちは踊るような足取りで1人の乗客に近づく。

 児玉朋こだまとも。大きな目が印象的な女の子だ。教室で友達と楽しそうに喋っているのをよく見かける。

「え? ――あ」

 小人たちが眼前に来て初めてその存在に気づいたのか、児玉の瞳が焦点を結んだ。大きな目をさらに大きく見開く。

 小人たちは児玉の膝に飛び乗りスプーンを構える。好物のプリンを前にした子どものようにはしゃいでいた。

 自分の身にこれから何が起きるか気づいてしまったのか、児玉が悲鳴を上げる。

 氷魚はやめろと声を上げることすらできなかった。小人たちはそれぞれ児玉の左右の目に向けてスプーンを突き出し――


 跳ね起きた。布団を押しのけ、自室を出た氷魚はトイレに駆け込んだ。胃の中のものを全部便器に吐き出す。喉が熱い。涙で視界がにじむ。

 最悪の気分だった。

 薊の時といい、なんであんなひどい夢を見るのか。自覚がないだけで、自分にはクラスメイトの惨たらしい姿を見たいという猟奇りょうき趣味でもあるのだろうか。

 だとしたら、おぞましい。自分がとんでもなく汚い存在になったみたいに感じる。

「氷魚、あんたホントに大丈夫? 昨日から具合が悪いみたいだけど」

 洗面所で口をゆすいでいると、水鳥みどりに声をかけられた。改めて鏡に映った自分の顔を見つめる。ひどい顔色だった。まるで死人みたいだ。

 そこで思った。もしもあの夢で自分がひどい目にあったら、現実の自分はどうなるのだろう。

 昨日、薊は学校に来なかった。ただの偶然ならいいが、そうではなかったら。

「……平気だよ。よく眠れなかっただけだから」

 底なしの恐怖に沈み込みそうになるのをぐっとこらえて言う。

「今日は学校休んだ方がいいんじゃない?」

「いや、行く」

 薊が、そして児玉が無事に来てくれるかどうか、どうしても確認したい。でないと今晩おちおち眠ることもできないだろう。

「あんたそんなに学校好きだったっけか」

 氷魚にとって学校とは、行けと言われたから行く場所でしかなかった。小学校、中学校と大して楽しい思い出はないし、仲のいい友人も屋名池ぐらいしかいない。

 学校にはみんなが行くから自分も行く。どうして行くかは考えない。それは義務教育ではなくなった高校になってもあまり変わっていないと思う。

 クラスメイトの中にはもう志望校が決まっていて、それを公言している者がちらほらいる。ほとんどが誰でもその名を知っている有名な大学だ。

 勉強を頑張って特別進学科に入ったものの、氷魚は本当に大学に行きたいのかどうかわからない。かといって就職するというのもぴんと来ない。1年生だし、まだいいかという宙ぶらりんの状態だった。ただ、家族に心配をかけるような道だけは選びたくないとは思っている。

「別に、そうでもないよ」

 気のない返事をする。

「じゃあ、どうして?」

「休むと、内申に響くから」

 まるきりの嘘ではない。進路がどうあれ、内申はいいに越したことはないと思う。将来の展望なんてないけど、安定志向だ。冒険はしたくない。

 特進科を受けたのだって、もし落ちても普通科に入れるからだ。特進科と同じくらいの難易度で、落ちたらそれまでの高校だったら、自分は多分受験を避けていた。

 滑り止めも受けずに特進科を受験し、しかも受かった姉とは違う。度胸も自信もない。

「でも、無理はしない方がいいよ」

「うん、ありがとう」

 絞り出した声は、自分でも驚くぐらい力がなかった。

 

 朝食は半分以上残した。心配する母を振り切り、氷魚は家を出る。

 気が滅入るような曇り空だった。

 力なく自転車のペダルを漕ぎ、いつもより時間をかけて学校に到着する。

 教室の自分の席に着いた時点で、すでに氷魚の体力、気力は限界だった。疲労がべったりと身体と精神に張りついている。悪夢のせいで、満足に眠った気がしない。

 このまま机に突っ伏して眠ってしまいたいが、またあの夢を見たらと思うと、怖くてできない。

 チャイムが鳴って式見しきみが教室に入ってくる。

 氷魚が反射的に目を向けた薊の席は、やはり空席だった。それからぎこちなく首を回して窓から2列目、前から2番目の席を確認する。

 出席番号9番、児玉朋の席は空っぽだった。

 恐怖が背中を這い上がってくるのを感じる。

「あの、先生」

 たまらず立ち上がり、氷魚は口を開いた。また視線が集中するが、気にしている余裕はない。

「児玉さんは、今日は休みですか」

 聞かずにはいられなかった。最後の望みにすがりつきたかった。連絡はないから遅刻だろうと式見が言ってくれることを期待した。

「そうだ」

 眉間にしわを作り、式見は答えた。氷魚の期待はあっけなく打ち砕かれた。

「薊くんも?」

 もはやわかりきった問いを発する。

「休みだ」

 どうしてですかとは訊けなかった。

 世界が回っている気がする。気分が悪い。立っていられない。膝から力が抜ける。身体がかしぐ。たまらず机に手をついた。

「橘、大丈夫か?」

 遠くから式見の声が聞こえる。

「……大丈夫です」

「いやおまえ、保健室に行った方がいいぞ。ほら」

 断る暇もなかった。肩を貸してくれた式見に引きずられるようにして、氷魚は保健室に連れていかれる。

 

 チャイムの音で、氷魚は目を覚ました。かすかに薬品の匂いがする。

 辺りを見渡して、保健室のベッドで寝ていることを思い出した。運び込まれた氷魚の顔色を見るなり、養護教諭が休んでいけとベッドに押し込んだのだ。

 夢を見るのが嫌で眠るまいと頑張っていたのだが、無駄な抵抗だったようだ。ベッドに入った途端、すとんと眠りに落ちてしまった。

 身を起こす。カーテンの隙間から時計が見える。もうお昼だった。3時間以上眠りこけていたらしい。

 日中だったからか、あの夢は見ずに済んだようだ。氷魚は心の底から安堵あんどする。

「目が覚めた?」

 氷魚が起きた気配を察したのか、声がかかった。カーテンがめくられる。

 顔を見せたのは養護教諭の深上ふかがみだ。校内でも評判の白衣が良く似合う美人で、用もないのに保健室に来る男子生徒が多いらしい。

「顔色もだいぶマシになったみたいね」

「すみません。ご迷惑をおかけしました」

「いいって。保健室なんだから。で、どうする? 戻る? それとも早退する?」

「もうちょっと休んでいてもいいですか」

 体調はある程度回復したが、このまま教室に戻るのはなんとなく気まずい。かといって、家に帰るのも気が進まない。

「もちろん、どうぞ。私はお昼を食べてるから」

 再びカーテンが閉じられる。氷魚はベッドに身を横たえる。お昼休みが終わるか、誰か他の利用者が来たら教室に戻ろうと決めた。それまではベッドを使わせてもらおう。

 朝よりは落ち着いた頭で考える。あの奇妙な夢は一体何なのだろう。

 1日日に薊が学校を休んだ。2日目は児玉だ。

 2日続けて同じ夢を見て、しかも夢でひどい目にあったクラスメイトが2人とも休んだのは偶然なのか。

 常識的に考えれば、もちろん偶然だとは思う。

 だが、偶然ではなかったとしたら――

 1人、また1人と乗客が減っていき、いずれは自分の番が来るのかもしれない。そうしたら、自分はどうなるのだろう。

 少なくとも、ロクな目に合わないことは確実だ。

 回避するためにはどうすればいいのか。神社でお払いしてもらえば効果があるだろうか。

 鳴城には、鳴城大淵なるしろおおぶち神社という神社がある。由緒ゆいしょ正しい神社で、クラスメイトの1人がその神社の娘だと自己紹介の時に言っていた。笑われてもいいから、彼女に相談してみようか。

「失礼します」

 そんなことを考えていたら保健室のドアが開いた。誰かが入ってくる。

「どうしたの。どこか具合でも悪い?」

 深上の声が聞こえる。

「いえ、わたしはなんともありません。ここに1-5の橘くんがいると聞いたのですが、間違いないですか」

 応じたのは女の子の声だった。ひんやりした、硬質な感じがする声だ。

「――確かにいるけど。って、あ、ちょっと!」

 いきなりカーテンが開いた。姿を見せたのは、きれいな少女だった。

「きみが橘氷魚くんね」

 切れ長の目に見据えられて、氷魚は慌てて身を起こす。

「そうです、けど。あの、あなたは?」

 少女は胸元に2年の学年章を着けている。先輩だ。

「わたしは2-5の遠見塚とおみづかいさな。隣の教室だから、すれ違ったことくらいはあるかもね」

 言われてみれば見覚えがある。長い黒髪をなびかせて、きびきびと廊下を歩く姿が印象に残っていた。

 男子だらけの鳴高なるこうでは女子は目立つ。かわいいと更に話題になる。遠見塚いさなの名は教室で何度か耳にしたことがあった。

「ああ、先輩がそうなんですね」

 氷魚の中で、名前と容姿がようやく一致した。

「なに? 変わり者とか言われてた?」

「いや、かわいいって言われてましたよ」

 氷魚としては、いさなはかわいいというよりきれいなタイプだと思う。

 それまで氷のようだったいさなの顔にさっと赤みがさした。肌が白いのでよくわかる。

「――きみは、真顔でよくそういうことが言えるね」

 怒らせてしまったのだろうか。初対面でいきなり容姿のことを言ったのはまずかったかもしれない。

「すみません。気に障ったのなら謝ります」

「……別に、怒ったわけじゃないけど」

「遠見塚さん、橘くんとラブコメしに来たの?」

 深上が、なぜかにやにやしながら言った。今のどこにラブコメ要素があったのか、氷魚は内心首をかしげる。

「違います。橘くん、きみに訊きたいことがあるの。ちょっと時間いい?」

 有無を言わせぬ口調だった。氷魚は反射的に「はい」とうなずいてしまう。

「よかった。じゃあ行きましょう」

「ここじゃダメなの?」と深上が口を挟む。

「他の生徒が来たら困りますし」

「ほう」

 深上はにんまりと笑う。

「なるほど。なら止めない。橘くん、もう平気ね?」

「え、ええ。大丈夫だと思います」

 氷魚はベッドから降りて、近くに揃えてあった上履きに足を突っ込む。ぐっすり眠ったおかげか、朝に比べて体調はだいぶ回復していた。

 足早に保健室を出たいさなの背を追って、氷魚も保健室を後にする。

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