第11話 大樹・ルズラン(3)

 目を開けると、また別の場所にいるようだった。

 木造の一室に、粗末な長机や長椅子、食器棚が置かれている。天井が低く窓が小さいため、薄暗く圧迫感のある部屋だった。

 最奥には暖炉があり、その前にひとりの男が佇んでいる。


「父さん……」


 シャルロットが呟くと、父はゆっくりとこちらに顔を向けた。

 父は、別れた時の姿そのものだった。

 艶のない灰色の髪に、生気のない青い瞳。土気色の顔は、頬がこけていた。


(私は夢を見ているのでしょうか)


 シャルロットは部屋の中を見回した。

 この場所は、記憶の中にある生家と瓜二つである。まるで、山中に捨てられる前に時が戻ったかのようだった。


 目線の高さから、自身の姿だけは現在のものだとわかる。十七歳の自分がこの家にいるのは、どこかちぐはぐな心地がした。

 窓の隣に立つシャルロットから、父は十歩ほど離れた位置にいる。

 彼はおもむろに口を開いた。


「お前のせいで、母さんは死んだ」


 シャルロットは目を見開いた。


「お前のせいで、死んだ。死んでしまった」


 父は一歩一歩、体をふらつかせながらこちらに近づいてくる。

 シャルロットはそれを、凍りついたように見つめた。

 目前まで迫った父は、シャルロットの首を両手で掴んだ。


「お前は母さんに、フロランスにそっくりだ。お前が成長してフロランスに似てくると、塞がりかけた傷口が、再び抉られるようだった。辛かった、お前を見ているのが」


 顔を歪める父に、シャルロットは唇を噛みしめた。

 幼心にも、彼女はわかっていた。父が自分の顔を見るたび、顔を陰らせていたことを。

 そしてそれが、自分を捨てた要因のひとつであることも。


「フロランスは死んで、お前は生きている。なぜ逆じゃなかった? どうしてお前の方が生きている? お前は、フロランスを殺したというのに!」


 首を覆う手に、徐々に力が入ってきた。

 シャルロットはその手を掴み、必死に剥がそうとした。しかし、にかわでくっつけられたかのようにびくともしない。

 

「お前は死ぬべきだ。母さんを殺した罪を償うために、今、ここで!」


 父は憎しみの籠もった声音で叫びながら、シャルロットの首を力いっぱい締め上げてきた。

 

(息が、できない)


 シャルロットの意識は、次第に朦朧としてきた。

 ――母は、産褥熱で亡くなった。シャルロットを産んだことによって命を落としたのだから、父の言い分も理解できる。

 ならば、自分は父の手に掛かって、ここで果てるべきだろうか。

 

(……違う)


 意識を手放しそうになりながら、シャルロットは強く思った。


(父さんはただ、自分の無念を晴らしたいだけ。それに付き合うために、私は生まれてきたんじゃない)


 なぜ、自分を捨てた父親のために死んでやらねばならないのか。

 そう考えると、胸の内が燃えさかる炎のように熱くなった。

 怒りのためか、死に瀕しているとは思えない活力が、全身にみなぎってくる。


(私の命をどうするかは、私自身が決める!)


 シャルロットは思い切り足を上げ、父の足を踏みつけた。

 不意の反撃に驚いたのか、締めつけていた力がわずかに緩んだ。その隙を逃さず、シャルロットは父の手をはぎ取り、渾身の力で体当たりした。


「うっ……」


 倒れ込む父とは対照的に、シャルロットは平然としていた。

 今し方絞殺されかけたとは思えないほど、息苦しくも痛くもない。


(これは、現実ではないのでしょうか)


 だが、すべてがシャルロットの夢だとも思えなかった。

 あのまま父のなすがままになっていたら、シャルロットは現実世界でも死んでいただろう。根拠はないが、その確信があった。


 では、目の前の男は、己が作り出した幻なのだろうか?

 それは確かめようがないが、シャルロットは本物の父を相手にしているつもりで話し掛けた。


「……父さん。確かに、母さんは私のせいで亡くなったかもしれません。ですが、母さんが己の生と引き替えに産んでくれたこの命を、易々と捧げるつもりはありません。私にはまだ、やるべきことがありますから」


 横たわる父を、シャルロットは哀れみを込めて見下ろした。


 先代国王の同化政策により、大樹信仰の巫女であった母と、<白き鏡>教の信徒であった父は結婚させられた。

 そのことについて母がどう思ったのかはわからないが、少なくとも父は、母のことを愛していたのだろう。

 だからこそ、母を殺したも同然のシャルロットを愛することができなかったのだ。


 捨てられた当初は、そのことが身を引き裂かれるように辛かった。それはシャルロットの中で最も重要な位置を占めていたのが、父だったからだ。


 しかし、今は違う。幼少期とは比べものにならないほど、シャルロットの世界は広がり、大切な人が増えた。

 父に憎まれようと、昔のように涙に暮れることはもうないだろう。

 そう思うと、長年胸につかえていたものが取れたように、晴れ晴れとした気持ちになった。


(私はもう、暗闇に怯える子供ではありません)


 シャルロットは息をつくと、立ち上がる気配のない父に告げた。


「さようなら、父さん。もう二度と、お会いすることはないでしょう」

 

 父はなにも言わなかった。

 シャルロットは踵を返し、過去と決別した。


 玄関の扉を開けたシャルロットは、目をしばたたいた。なぜか扉の隙間から、目映い光が差し込んでくる。

 シャルロットは心を決めると、眩しさを堪えて扉を開け放った。

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