第10話 大樹・ルズラン(2)

 シャルロットを抱きかかえてから、ベリルは周囲の様子が目に入らなくなった。

 元の大きさに戻ったアデュラが聖堂の外へ連れ出してくれたが、それさえはっきりと認識していなかった。

 霞がかったように、頭の中がぼんやりする。

 

『私は、あなたのことが好きです。恋する相手の力になりたいと願うのは、ごく自然なことではないでしょうか』


 灰色がかった青い瞳が、ひたむきにこちらを見つめている。

 ベリルはその様を思い起こし、シャルロットの青白い頬に自分のそれを押し当てた。


「僕もだよ、シャルロット」


 あふれ出る涙が、彼女の目許に滴り落ちる。


「僕も君のことが好きだ。もっと早く、君に伝えていればよかった」


 失いそうになってから気づくとは、なんと愚かなのだろう。

 ベリルは自嘲の笑みを浮かべた。


(僕のせいで、シャルロットはこんな目に遭ってしまった)


 <剣の聖女>に、もっと関心を寄せていればよかった。

 そうすれば、人身御供で罪のない少女が犠牲になることも、シャルロットが刺されることも止められたはずだ。

 今更後悔したところで、過去を変えることはできない。それでも、ベリルは己を呪わずにはいられなかった。


(消えてしまいたい)


 シャルロットを抱き締める腕に力を込めながら、ベリルは強く願った。

 だが、死という安息が彼に訪れることはない。

 シャルロットを失っても、ベリルはこの世界で永遠に生き続けなければならないのだ。

 そんなことは、耐えられそうになかった。


(いっそのこと、この世界が消えてしまえばいい)


 そんな願望が、ベリルの胸にきざした。

 シャルロットのいない世界に、一体なんの意味があるのだろう。心優しい彼女が犠牲になる世界に、どれほどの価値があるというのか。


「やめろ、ベリル!」


 アデュラの声が聞こえたような気がしたが、ベリルは注意を払わなかった。

 シャルロット以外のことに、意識を向けたくはない。

 しかしその時、彼を容赦なく現実に引き戻す事態が発生した。


「その手を離しなさいっ!」


 勢いよく横っ面を張り飛ばされ、不意打ちを食らったベリルは地面に倒れ臥した。

 事態が飲み込めず、彼は目をまたたいた。

 

「……レリア?」


 ベリルの顔を見下ろしているのは、先ほど立ち去ったはずのレリアだった。

 彼女はベリルからシャルロットを奪い取り、こちらを殺気立った表情で睨み付けていた。


「お前がすることは、そうやってひたすら嘆いて、周囲の建物を破壊し尽くすことなの? 違うでしょう!?」


 レリアは怒鳴りながらも、杖に結びつけていた手巾を外し、シャルロットの腹に巻きつけていた。


 ベリルはぼうっとしながら、周囲の様子を視界に入れた。

 整然と建物が並んでいた修道院は、今や廃墟と化していた。

 目に映る範囲では、どの建物も石積みが崩壊し、潰れかけている。石や瓦が散乱する中、修道女たちが悲鳴を上げながら正門に殺到していた。

 まるで、災害に遭ったかのような有様だった。


(これ、全部僕がやったの?)


 起き上がったベリルは、辺りの惨状を呆然と眺めた。

 力が暴走するなど、生まれて初めてのことだった。

 青ざめるベリルを余所に、レリアは手巾を縛ると、よろけながらシャルロットを抱え上げた。


「どこへ行くの」

「施療院よ。幸い、あの建物の被害はそこまででもなさそうだから」

「……その状態で、助かると思う?」


 弱々しく問いかけると、レリアは視線で射殺さんばかりにこちらを睨んだ。


「もし助からなかったら、それはお前のせいよ! お前がすぐに処置しなかったから、こんなに血を流したんでしょう!?」


 時間が惜しいとばかりに、レリアはベリルに背を向け、足早に歩き出した。

 ベリルも重い体を引きずりながら、彼女に着いていく。

 レリアの言うとおりだ。

 絶望のあまりなにもかも放り出したベリルに、反論などできるはずがなかった。

 

(こういう時、人間だったら神頼みをするのかな)


 もちろん、ベリルが<白き顔の神>に祈ったことはないし、これから祈ることもない。

 <白き顔の神>がベリルの願いを叶えるなど、天地がひっくり返っても有り得ないからだ。

 そこでベリルは、最も身近な神に祈ることにした。


(ヘリオト。どうか、僕の大切な人を地上に返してください)


 今までの反動か、心臓の痛みが増したような気がする。

 それを無視し、ベリルは浅く呼吸をしながらひたすらに祈った。そうすることしかできない自分が、たまらなく惨めだった。

 その時、レリアの体越しに見えるシャルロットの手が、ぴくりと動いたような気がした。

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