第8話 告白
シャルロットは誰にも見咎められず、堂々と修道院の正門をくぐった。
聖女選定が終わったからか、それとも儀式に駆り出されたからか、騎士修道士の姿はなかった。
守衛にも特に呼び止められなかったので、後は修道院長に見つからないことを祈るばかりだった。
門を出れば、聖堂までは目と鼻の先である。
このまま行けば、誰にも見つからずに済む。そうシャルロットが気を緩めた時、修道女がふたり聖堂から出てきた。
恐らく、聖堂内の清掃を行っていたのだろう。ふたりとも掃除道具を手にしていた。
怪訝そうにこちらを見るふたりに、シャルロットは内心狼狽しながら会釈した。
「あら? あなた、<剣の聖女>に選ばれたのではなかった?」
「はい、そうです。就任のための儀式が終わったので、いったんこちらへ戻ってきました。
「そうだったの」
修道女たちはそれで納得してくれたようだった。
<剣の聖女>就任に対して祝いの言葉を述べると、彼女たちは去って行った。
シャルロットは修道女たちが遠ざかったのを確認すると、思わずため息をついた。こうなった時のことを想定してはいたが、いざ修道女に出くわすとさすがにひやひやした。
「大丈夫そう?」
アデュラが小声で尋ねてきたので、シャルロットも囁くように返した。
「ええ、ひとまずは。とは言え、嘘がばれないとも限りません。長居は無用ですね」
シャルロットは足早に聖堂に入り、真っ直ぐ聖具室を目指した。
幸い、聖堂には誰の姿もなかった。
聖具室から持ち出した燭台を掲げ、地下へ続く階段を下りながら、シャルロットは今更のように不安になってきた。
ベリルから別れを告げられたのは、つい先日のことだ。
彼はこちらの身を案じてくれたのに、自分は今それを無視して、彼に会いに行こうとしている。
自らを危険にさらしていると、ベリルは呆れるだろうか。それとも、愛想を尽かすだろうか?
そんなことを気にしているうちに、彼女は牢の前へと辿り着いた。
灯火が牢の中を照らし出した途端、鉄格子に駆け寄ってくる人影があった。
「シャルロット!」
鉄格子を掴んだベリルに、シャルロットは目を見張った。
どうやら彼は、壁に取り付けられた枷をすべて壊したらしい。
「よかった、無事で……!」
へなへなと床に座り込んだベリルは、途端に呻き声を上げた。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌ててしゃがみ込んだシャルロットに、彼は弱々しく微笑んだ。
「うん、なんとか。気が抜けたら、諸々の痛みが一気に襲いかかってきて……」
「無理はしないでください」
ベリルがある程度落ち着くのを待ってから、シャルロットは口を開いた。
「本当にありがとうございました、ベリル。あなたがアデュラに呼び掛けてくれたおかげで、私はこうして命を落とさずに済みました」
「間に合ってよかったよ。もう手遅れなんじゃないかって、ずっと気が気じゃなかったから」
「すみません、心配を掛けてしまいましたね。……ところで、ベリルは私が<剣の聖女>に選ばれたことをどうやって知ったのですか? 人身御供にされることも知っていたようですが」
「<剣の聖女>に選ばれたんじゃないかと思ったのは、君がどこを探しても見当たらなかったことと、レリアが<剣の聖女>本来の役目を教えてくれたからだよ。レリアが教えてくれなかったら、僕はなにも知らないまま、君を助けることもできなかった」
「レリアが……。わざわざここまで来てくれたんですか」
「うん。僕がアデュラに連絡を取った後、用は済んだから、ってさっさと行っちゃったけど」
思いがけないレリアの行動に嬉しくなると同時に、疑問も湧き上がってくる。
「彼女はなぜ、これほど私に良くしてくれるのでしょう」
「僕も気になったから聞いてみたんだけどね。シャルロットが亡くなった妹にどことなく似ているから、どうしても放っておけなかったんだって」
「……そうでしたか」
レリアに妹がいたことは覚えていたが、亡くなっているとは初耳だった。
夏至祭の時、妹に似ているからシャルロットの世話を焼きたくなるのだと、レリアは言っていた。あの時の言葉は本心だったのだろう。
その時、シャルロットの肩から、場違いなほど呑気な欠伸が聞こえてきた。
「ふあーあ。久しぶりに全力を出したら、眠くなってきた……」
「えっ、アデュラ?」
ベリルが目を丸くしているので、シャルロットはベールを払い、肩にしがみつくアデュラを見せた。
「うわあ、小っちゃい! って、もう目蓋が下がってるし。さっき起きたばっかりだよね?」
「眠いものは眠い。仕方がない。それより、こんなに力を尽くしたおれに、言うことないの?」
「ああ、ごめん。シャルロットを救ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
アデュラはよろしい、というように大きく頷いた。
「それにしても、久しぶりだね。最後に会ったのはいつだっけ?」
「さあ。最後に会話したのは、君がここに囚われた時。会ったのは、それよりもっと前だった」
「うーん、じゃあ千年ぐらい前かな?」
事もなげに言われた言葉に、シャルロットは思わずベリルとアデュラを交互に見た。
さすが人外、語られる年月も人間とは桁が違う。
「まあ、おれのことは後でいい。それより、シャルロットの話を聞いてあげて」
心の準備をしていなかったシャルロットは、突如話を振られてどぎまぎした。
「ええっと……。その」
シャルロットは咳払いしてから、不思議そうな面持ちのベリルを真っ直ぐに見据えた。
「今後、私がこの修道院に戻ってくることはないでしょう。修道院長やマリユス司教に見つかれば、再び生け贄として捕えられてしまうので。なのでこれからは身を隠しながら、あなたをここから出す方法を会得しようと思っています」
「ここから、出す……?」
ベリルは未知の言語を聞いたように、おうむ返しをした。
「成功するかはわかりませんが、ひとつ、可能性のありそうな方法を見つけたんです。そのためにはまず、教師役を見つけなければなりませんが……挑戦してみる価値はあると思うんです」
「……シャルロット、僕のことは気にしなくていいよ。君の人生を、僕のせいで台無しにして欲しくない。君には好きなように生きて欲しいんだ」
「ベリル、私は今まで『捨てられたくない』という思いに縛られて生きてきました。敬虔な修道女であろうとしたことも、<剣の聖女>を目指したことも、その思いが根底にあったからです。ですが、あなたをここから解放したいという思いは、私が初めて心から望んだことです。好きなように生きようと思った結果、その結論に至ったんです」
「そうだとしても……僕は、君にそんなことをして欲しくない。だって、どう考えても無意味なことだから。どんなに知恵を出したところで、この聖剣を抜くことはできない。それは覆しようのない事実だ。認めたくはないけれど」
ベリルはそこまで言うと、目を伏せた。
「君は優しい子だ。きっと、僕に同情してそんなことを言っているんだと思う。でも、そんな必要はないんだ。四百年以上こうして生きてきたんだから、これからも変わらずやっていける。同情する必要なんて――」
「同情ではありません」
ベリルの言葉を遮って、シャルロットはきっぱりと否定した。
「同情だけでこんなことをしようとは思いません。私は――」
シャルロットは密かに深呼吸をしてから、はっきりとした口調で告げた。
「私は、あなたのことが好きです。恋する相手の力になりたいと願うのは、ごく自然なことではないでしょうか」
ベリルは目をまたたいて、口を半開きにした。
今聞いたことが信じられないと、顔に書いてある。
「好き……? シャルロットが、僕のことを?」
そう呟いたベリルは、ようやく事態が飲み込めたのか、青白い顔をたちまち朱に染めた。
「え、ええええ!?」
素っ頓狂な声を上げ、ベリルは勢いよく立ち上がった。
シャルロットは微笑みを浮かべて立ち上がると、格子の間からベリルの手を取った。
「ベリル。私はこれ以上、あなたに寂しい思いをして欲しくないんです。私はそのために、これから手を尽くします。無意味だと諦めるのは、その後にしませんか。なにも試さないまま、あなたの自由を諦めたくはない」
「シャルロット……」
「私はあなたを救えると信じています。ですから、あなたも私のことを信じてください。そうすれば、どんな苦難が待ち受けていようと、私は前へ突き進むことができますから」
ベリルは俯くと、シャルロットの指に自身のそれを絡めた。
「……わかった。信じるよ、シャルロットのこと。でも、危ないことはしないでね」
断食をするのは、危ないことのうちに入るのだろうか?
ちらりと頭を過ぎった疑問を押しやって、シャルロットはベリルの手を握り返した。
「はい」
顔を上げたベリルは、泣くのを堪えるような、くしゃくしゃになった顔で笑った。
「本当に、君は――」
しかし、ベリルはそこで言葉を切った。
シャルロットの背後を、彼は凍りついたように凝視していた。
「シャルロット、後ろ!」
シャルロットが振り向いた時、なにかが彼女に向かって突進してきた。
どんっと体に衝撃が走り、次いで焼けるような痛みが腹部に走る。
なにが起こったのか、理解できなかった。
シャルロットは、ベールを被った頭が、自身の体から離れていくのを目で追った。それとほぼ同時に、腹部から血潮が噴き出す。
がたがたと震えながら血濡れの短剣を手にしているのは、修道院長だった。
「こ、こうするしかなかったのよ」
足に力が入らず、シャルロットはずるずると床にくずおれた。
ああ、自分は刺されたのかと、どこか他人事のように現状を認識した。
「あなたが死なないと、この国には災厄が降りかかってしまう。儀式はどうしても成功させなければならない。だから、こうするしかなかったの」
「シャルロット!」
ベリルの悲痛な叫び声に、修道院長はびくりと体を揺らし、一目散にその場を走り去った。
床に横たわったシャルロットは、朦朧とする意識の中、ベリルが鉄格子を破壊してこちらに駆け寄るのを見た。
焼きごてを当てられたように、腹部が熱い。それとは対照的に、四肢からは血の気が失せていくようだった。
いつの間にか、ベリルの顔が間近にある。彼は、必死な形相でこちらに呼び掛けていた。
しかし、声が籠もったように聞こえ、なにを言っているのかはっきりとはわからない。
シャルロットは目を閉じたくなるのを堪えながら、最後の力を振り絞って胸元に手をやった。
なにかを探し求めるように指先を動かした彼女は、やがて目当てのものを探り当てた。
そこで彼女の意識は、闇に飲み込まれていった。
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