第6話 見知らぬ巡礼者


 ベリルは修道院全体を見渡せる高さまで浮かび上がり、眼下で動き回る人々を見下ろしていた。


(シャルロットがいない……)


 ベリルは眉を曇らせた。

 シャルロットに別れを告げてからも、ベリルはこっそり彼女の様子をうかがっていた。彼女の身に危険が迫った場合、すぐ対処できるようにするためである。


 しかし今日は、そのシャルロットの姿がどこにも見当たらない。

 部屋や仕事場である施療院はもちろん、敷地内をくまなく探したが、彼女を見つけることはできなかった。


(またしても外へ出かけたとは思えないし)


 ベリルの警告に耳を貸さないほど、シャルロットは愚かではない。

 当分の間は大人しくしようと思ったはずだ。


(となると、早朝に連れ去られた可能性が高い)


 ベリルは顔を険しくした。

 シャルロットの見守りを開始するのは、朝、彼女が客人の館を出てからである。

 それ以前の時間帯に注意を払ってこなかったのは、完全にベリルの落ち度だった。


(シャルロットは無事だろうか)


 不安な気持ちが、重石のようにのしかかってくる。

 今すぐにでも探しに行きたいが、それは不可能だ。この敷地から出られないことが、未だかつてなく恨めしかった。

 なにもできないもどかしさに唇を噛みしめていると、不意に奇妙な感覚を覚えた。


(……うん?)


 どこからか、自分を呼ぶ声がする。

 周囲を見回しても、こちらを注目している者はいない。

 どうやら、拘束された本体の方へ呼び掛ける者がいるようだ。


「シャルロット?」


 ベリルは思わず呟いた。

 彼女かもしれないと思うと矢も盾もたまらず、ベリルは本体へ戻るために意識を集中した。

 肉体に入り込んだ途端、激痛に呻きたくなったが、それを堪えて目を開ける。

 しかし、格子の向こうに立っていたのは、シャルロットではなかった。


「あ、やっと起きた」

「……誰?」


 ベリルはまじまじとその女性を見つめた。

 年齢は二十代半ばぐらいだろうか。優しげだが、印象に残らない凡庸とした顔つきをしている。

 白い頭巾を被っているため、髪の色はわからない。

 彼女が持つ杖には、向日葵色の手巾が結びつけてある。それは、巡礼者であることを示す印だった。

 どこかで見たことがあるだろうかと記憶を辿ってみるものの、一向に思い当たる節がない。

 首を捻るベリルに、女性はふふっと忍び笑いを漏らした。


「私のことがわからない? それなら、変装は完璧ということね」


 変装する知り合いなど、ますます心当たりがない。

 怪訝な面持ちをするベリルに、女性は感じよく微笑みかけてきた。


「三週間ぶりぐらいかしら。ごきげんよう、<蝕>ベリル」


 彼女の言葉に、ベリルは目を見開いた。


「もしかして……レリア?」

「ご名答」


 ベリルはその特徴のない顔を凝視した。

 どう考えても、記憶の中にあるレリアの容貌と違う。年齢も、修道女見習いだったレリアの方が若かった。


「間者って顔を変えることもできるの?」

「化粧をすればね。印象を変えることぐらいはできる」


 自分がされたことも忘れて、ベリルは素直に感心した。

 

「へえ、すごいね……ってちょっと待って。なんで君がここにいるの? また僕を連れ出しに来たんじゃないだろうね」

「まさか。同じ失敗を繰り返すほど、私は馬鹿じゃないわよ」


 レリアは鼻を鳴らした。


「お前に話しておきたいことがあったから、巡礼者を装って修道院に入り込んだのよ。近くに用があったから、そのついでにね」


 レリアは今、<白き鏡>教の人間に追われる身だ。わざわざ危険を冒してまでこの修道院に戻ってくるとは、よほど重要なことに違いなかった。

 一体なにを話すつもりなのかと身構えるベリルに、レリアは真顔で続けた。


「<剣の聖女>本来の役目がなにか、知ってる?」

「本来の……? 役目って、聖剣ルテアリディスを管理することだよね。まあ本物のルテアリディスはここに突き刺さっているから、同名の別物か、偽物なんだろうけど」

「表向きはそうなっているけどね。……実際の役目は、<蝕>ベリルに身を捧げることなの。つまり、生け贄になるということね」

「なんだって!?」


 寝耳に水の話に、ベリルの声は裏返った。


「僕に生け贄を捧げるって? 一体なんのために」


 レリアから人身御供をするに至った経緯を聞かされ、ベリルはあまりの愚かしさに目眩がしそうだった。


「なんということを……! 僕にひと言尋ねてくれさえすれば、そんな馬鹿なことをする必要はなかったのに!」

「<白き鏡>教の人間は、お前が恐ろしいのよ。話し掛けるなんてこと、小心者のあいつらにできるはずがない」


 レリアは侮蔑の色を隠そうともしないで吐き捨てた。


「……ここの修道女は、そんなこと一切口に出していなかった」

「お前に隠し通せるなんて、相当口が堅いということね。最も、修道女の中でもこのことを知っているのは、修道院長だけみたいだけど」


 今まで一体、何人の少女が犠牲になったのだろう。

 胸が潰れる思いでうなだれていたベリルは、不意に恐ろしい事実に思い至った。


「……今、一番<剣の聖女>の座に近いのって」

「当然、シャルロットよ。だからこそ私は、お前に警告しようとわざわざ来たの」


 ベリルは熱病に罹ったように身を震わせた。


「シャルロットが今朝から、どこを探しても見当たらないんだ。もしかして……もしかして、彼女は」

「既に<剣の聖女>として選ばれたってこと? 選定期間は来月末までなのに?」


 レリアは顔をしかめてから、考え込むように足元へと視線を移した。


「いえ、有り得るかもしれない。シャルロットは<剣の聖女>としてほぼ確定していただろうし、これ以上選定をする必要もない。加えて、彼女がベリルの存在に気づいたことを知ったのなら、さっさと口を封じたいはず。教団にとっては、今こそ<剣の聖女>にする必要があるのかも」

「……朝の祈りの時間には既に、シャルロットの姿はなかった。早朝に連れて行かれたのかもしれない」


 震える声でベリルが言うと、沈黙が落ちた。

 ふたりはしばらくの間黙りこくっていたが、やがてベリルが重い口を開いた。


「……シャルロットはどこへ連れて行かれたの」

「王都から最も近い海辺よ。<剣の聖女>の儀式は、毎回崖の上で行われるの。エティエンヌ王に退治された<蝕>ベリルが、海に放り込まれたという伝説に倣ってね」

「それなら!」


 ベリルは必死に頼み込んだ。


「お願いだ、レリア。シャルロットを助けてくれ! 僕ではここから出ることができない。君以外、頼れる人間はいないんだ!」

「……無理よ」


 レリアは力なくかぶりを振った。


「海辺までどれくらい掛かると思っているのよ。早朝に出立したのなら、今頃到着している頃でしょう。今から駆けつけても、間に合うはずがない」

「じゃあ見殺しにするのか」


 こんなことを言ったところで、事態が好転するわけではない。

 そうわかってはいても、ベリルの口は止まらなかった。


「シャルロットがむざむざ殺されるのを、君は静観するつもりなの? 大体、どうして本当のことを彼女に言ってやらなかったんだ。もっと早くに知っていれば、ここから逃げ出すこともできたのに!」

「そんなこと、私の立場で言えるはずがないでしょう!」


 八つ当たりするベリルに、レリアは爆発するようにして怒鳴った。


「私は間者としてここに潜入したのよ。下手なことを言って正体がばれれば、任務を果たせないどころか、命まで危うかった。そんな愚かなこと、できるわけがない!」


 レリアはまなじりを決して杖を放り出すと、鉄格子を勢いよく掴んだ。


「大体、お前こそどうなの!? 人類にとっての災厄なんて大層な二つ名を持っているんだから、まず自分の力を使ってなんとかしてみせなさいよ!」

「そんなことができるなら、とっくにここから逃げ出してるよ!」


 苛立ちながら、ベリルも声を張り上げた。

 前のめりになったせいで、右耳につけた細い棒状の耳飾りが、勢いよく揺れる。

 ベリルはその感触に、ふと冷静になった。


(あ、そういえばこれは……)


 息を呑んだベリルに、レリアは訝しげな視線を送った。


「なに? どうかしたの」

「……前言を撤回するよ」


 ベリルは右手の枷を容易に壊すと、耳飾りに触れた。

 唇を引き結び、彼は決意を込めてレリアを見返した。


「なんとかできるかもしれない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る