第4話 聖女の役割(1)
「起きてください、シスター・シャルロット」
誰かに体を揺すられて、シャルロットは薄らと目を開いた。
室内はまだ、暗闇に包まれている。どうやら、起床時間を過ぎたわけではなさそうだ。
寝起きのぼんやりとした頭では、今ひとつ状況が把握できない。シャルロットはひとまず、のろのろと上体を起こした。
寝台横に立つ人物は、燭台を持っていた。その火明かりに照らされた顔を認めた瞬間、シャルロットの眠気は霧散した。
「マ、マザー・オフェリー!」
修道院長は、強張った顔つきでこちらを見下ろしていた。
「おはようございます、シスター・シャルロット」
「お、おはようございます……」
なぜ彼女が自分の部屋にいるのか、全くわからない。
シャルロットが困惑しながら挨拶を返すと、修道院長は腕に掛けているものをずいっと差し出してきた。
「今日、あなたにはこれを着てもらいます。私は部屋の外にいますので、着替え終わったら教えてください」
シャルロットは反射的にそれを受け取った。
広げてみると、足元までありそうなゆったりとしたチュニックだった。形だけ見れば、普段着ている修道服とさしたる違いはない。
唯一違いを挙げるならば、色が紺ではなく白だということだった。
チュニックの他にはベールがあり、こちらも白色である。布の一部に<白き鏡>教の紋章――放射状に伸びた八本の線が、金糸で縫い取られていた。
白色の修道服は、<白き鏡>教における正装である。
修道院長の意図がわからず、シャルロットは更に戸惑った。
「マザー、なぜこれに着替える必要があるのですか? 今日は特別な典礼があるのでしょうか」
「ええ、そうです」
修道院長は息をつくと、重々しく告げた。
「シスター・シャルロット。あなたは<剣の聖女>に選ばれました。就任の儀式がありますので、その修道服を着て準備を進めてください」
シャルロットは耳に入った言葉が信じられず、ぽかんと口を開けた。
「<剣の聖女>に選ばれた? 私が?」
「そうです」
「あの、聖女選定期間は来月末までですよね。こんなに早く選定が終わるとは、どういうことでしょうか」
「それは答えられません」
修道院長は間髪を容れずに言った。
彼女はこちらの言葉を拒むように背を向け、机に置かれた燭台の蝋燭に火を移した。
それが済むと、「なるべく早くしてください」と言い置いてさっさと部屋を出て行ってしまった。
シャルロットは身じろぎもせず、寝台の上から呆然とその姿を見送った。
(……どうしましょう)
<剣の聖女>になったら、今以上に外出を制限されるだろう。ゾエに教えを請うことができなくなってしまう。
シャルロットは衣装を寝台に置くと、靴を履いて普段使いの修道服を被り、足早に扉へ向かった。
「マザー・オフェリー」
修道院長は、戸口の脇に立っていた。
扉を開けたシャルロットにさっと目を走らせ、修道院長は眉をひそめた。
「なにをしているのですか。早く正装に着替えなさい」
「あの、マザー。訳あって私は、<白き顔の神>への信仰心を失いました。このように不信心な者では、<剣の聖女>として相応しくありません。どうか、考え直してくださいませんか」
シャルロットがそう進言すると、修道院長は怪訝そうな面持ちになった。
「あなたが不信心? ……面白いことを言うのですね」
どうやら冗談だと思われたらしい。
シャルロットは慌てて弁解しようとした。
「いえ、嘘ではありません。私は本当に――」
「これは決定事項なのですよ、シスター・シャルロット。あなたが<剣の聖女>であることは、もはや覆しようがありません。あなたが望む望まざるとにかかわらずね」
修道院長は冷淡にそう言った。
「さあ、早く支度をしてください。ぐずぐずしているようなら私が着替えさせますから、そのつもりで」
シャルロットが言葉を発する前に、修道院長はさっと扉を閉めた。
その取り付く島もない有様に、シャルロットは途方に暮れた。
(……逃げられるものなら、今すぐ逃げたいのですが)
あいにく、この部屋の小さな窓からでは脱出できそうにない。
唯一の出入り口を塞がれている今、修道院長の指示通りに動くしかなさそうだった。
シャルロットは諦めて、とぼとぼと寝台に向かった。
着替え終わると、シャルロットは追い立てられるようにして修道院を出た。
丘を下ると、道端に二頭立て四輪馬車が停まっている。その脇には、見知った人物が立っていた。
「……おはようございます、マリユス司教」
「おはよう」
薄暗がりの中でも、マリユスの白い衣装は目立っていた。
チュニックの上に貫頭衣型の外衣を着ており、背面には<白き鏡>教の紋章が大きく刺繍されている。
ベールの取り付けられた円筒形の帽子も白く、彼もまた正装姿であることがわかった。
「これを馬車の中で食べてください」
ここまで付き添ってきた修道院長から籐の籠を渡され、シャルロットは礼を述べてから馬車に乗り込んだ。
隣にはマリユスが座った。ふたり乗りなので、馬車に乗るのはシャルロットと彼だけである。
この無愛想な司教とふたりきりなのかと思うと、シャルロットは憂鬱な気持ちになった。
東の空が白み始め、徐々に暗がりが薄れていく街の中を、馬車は走り出した。
窓から外を覗くと、騎士修道士を乗せた馬が、馬車を囲むようにして走っている。見るからに仰々しい雰囲気だった。
「……あの、マリユス司教」
「なんだ」
「これから<剣の聖女>就任の儀式をすると、マザーから伺いました。けれど、それ以外なにも聞かされていないのです。もしよろしければ、儀式の詳細について教えていただけませんか。これからどこへ向かうのかも」
「それは、今知る必要のないことだ。着けばわかる」
マリユスは端的に答えると、窓に顔を向けた。これ以上会話をする気はないという意思表示に、シャルロットは失望した。
(せめて、どこへ向かっているかだけでも教えてもらいたいものですが)
目的地もわからない今の状況は、不安を掻き立てられる。
シャルロットはもやもやとしながらも、意識を切り替えることにした。
(現時点では、逃げ出すのは難しいですね。騎士修道士が五人もいるのですから)
逃げる隙はないものかと様子をうかがっていたが、その機会はなかなか訪れなかった。
(……いえ、そもそも逃げることが正しい選択なのでしょうか)
逃亡が成功したとしても、今のシャルロットには身を寄せる場所がない。
エランジェル女子修道院やゾエを頼るつもりはなかった。教団が真っ先に追っ手を差し向けるだろうし、なにより彼女たちを巻き込みたくはない。
資金がなく、潜伏場所も見つからないとなれば、野垂れ死にするのは目に見えていた。
(<剣の聖女>として従順に振る舞いつつ、逃亡の準備を進めるしかなさそうですね)
気の長い話だが、現状それ以外方法はなかった。
シャルロットは嘆息したくなるのを堪えて、窓の外に視線を向けた。
瑠璃色の空は、地上に向かうにつれ色が薄くなっていく。その濃淡のある空を、シャルロットは張り詰めた表情で見つめた。
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