第2話 大樹信仰
図書室通いを二週間近く続けたシャルロットは、ついに決意した。
(ゾエさんの本屋へ行きましょう)
図書室のめぼしい文献は、あらかた読み終えてしまった。これ以上探しても、参考になりそうなものは見つからないだろう。
本屋ならば、修道院の図書室では見かけないような、通俗的な書物を取り扱っているはずだ。そこに望みを掛けることにした。
(けれど、どうやってここから抜け出しましょう)
労働以外での外出は基本的に禁じられているので、休憩時に街へ下りることもできない。
それに加えて、シャルロットの現在の仕事場は施療院だ。敷地内で完結する仕事なので、外へ行く用事もない。
シャルロットは悩んだ末に、ひとつの結論を出した。
それは、今までの彼女なら思いも寄らない方法だった。
翌日、シャルロットは覚束ない足取りで施療院へ向かった。
「大丈夫?」
年配の修道女から心配されたシャルロットは、「どうも風邪を引いたみたいで」と弱々しく言った。
「熱はないのですが、今朝から気持ち悪くて……。皆さんに風邪を移したら大変ですし、今日はお休みを頂いてもよろしいでしょうか」
修道女は快諾してくれた。
薬を調合しようかとの申し出には丁重に断りを入れ、シャルロットは自室へと戻った。
修道女たちが持ち場についてからしばらく経った頃、シャルロットはそろそろと客人の館を抜け出した。
左右を見回し、施療院で働く者がいないか確認する。運良く人影がなかったため、彼女は真っ直ぐに門へと向かった。
やましいことなどひとつもないような顔で、堂々とアーチをくぐり抜ける。
しかし、門の外には騎士修道士が待ち構えていた。
「どちらへ行かれるのですか」
「急遽入り用になった薬草があるので、それを買いに行ってきます」
シャルロットは笑顔で答えた。
レリアたちが騒ぎを起こした夜、彼らは騎士修道士に扮した男から、眠り薬の入った酒を渡されたらしい。まんまと罠に嵌まった彼らは、翌朝までぐっすりと眠りこけていたという。
これ以上面目を潰されないため、騎士修道士たちは以前よりも神経を尖らせていた。守衛も含め、彼らが無事だったことは喜ばしいが、警備体制が強化されたことは厄介だった。
「そうですか。気をつけて行ってらっしゃい」
しかし、騎士修道士の返事はあっさりとしたものだった。
同行を申し出られることを覚悟していたので、シャルロットは拍子抜けした。
内心の動揺を押し隠し、彼女は「行ってきます」と朗らかに挨拶すると、丘を下り始めた。
騎士修道士はその後ろ姿をじっと見つめていたのだが、彼女がそれに気づくことはなかった。
ゾエと邂逅した大広場からほど近い場所に、彼女の本屋はあった。
狭い店内には、壁という壁を埋め尽くす勢いで本が押し込められていた。修道院の図書室とは違い、雑然とした印象を受ける。
突き当たりには勘定場があり、ゾエが退屈そうに店番をしていた。
「こんにちは、ゾエさん」
シャルロットが声を掛けると、ゾエは目を見張った後、満面の笑みを浮かべた。
「シャルロットさん! 来てくれたのね」
ゾエは急いで店を閉めると、二階にある自宅へとシャルロットを招いた。
「良かったんですか? 閉店してしまって」
「いいのよ、どうせ暇だったし。少しぐらいなら大丈夫よ」
恐縮するシャルロットに、ゾエは長椅子を勧めてくれた。
目の前には、簡素な長机が置かれている。恐らくここは、居間兼食堂なのだろう。
「ちょっと待っててね。お茶の用意をしてくるから」
「いえ、お構いなく。こっそり抜け出してきたので、あまり長居はできないんです」
「あら、そうなの」
シャルロットが慌てて引き止めると、ゾエは残念そうな様子で隣に腰を下ろした。
ゾエが言葉を続ける前に、シャルロットは単刀直入に切り出した。
「今日ここを訪れたのは、<蝕>ベリルを白夜王が討ち果たしたという、コベーンの伝説を調べるためなんです。それに関連した本はありますか?」
「ええ、何冊かあったと思うけど」
「では、後で見せて頂けますか。厚かましいとは思いますが、本を買うお金は持ち合わせていなくて……」
「まあ、そんなこと気にしなくていいのに。どうぞ、何冊でも読んでいってちょうだい」
「ありがとうございます!」
鷹揚に微笑むゾエに、シャルロットは頭を下げた。
「けれど、残念だわ。時間がないのなら、フロランスの話は次回に持ち越しね」
「いえ、その……。母のことでも、伺いたいことがありまして」
本当は、こうして会話している時間も惜しい。しかしゾエには、どうしても聞きたいことがあった。
シャルロットは首から下げていた革紐をはずし、服の下に隠していたものを掌に載せた。
「これに見覚えはありますか?」
はっと息を呑んだゾエは、それを凝視した。
「大樹の葉守り……」
掠れた声で呟くゾエに、シャルロットは確信した。
「大樹信仰のことをご存じなんですね」
「え、ええ。それはもちろん」
ゾエは葉守りから視線を外さないまま、大きく頷いた。
「これは母の形見です。母は……大樹信仰の巫女だったのですか」
「ええ、そうよ。私が話したかったのは、まさにそのことなの」
「そうでしたか」
あらかじめ予想していたことではあったので、さして驚きはなかった。
ゾエはシャルロットに顔を向けると、声を潜めて話し始めた。
その内容は、次のようなものだった。
ゾエと母フロランスは、大樹信仰の巫女が拠点とする、ユースクレイルという里で生まれ育った。ユディアラ王国の国教は<白き鏡>教であるため、彼女たちは極力目立たぬよう、山深い里でひっそりと暮らしていた。
だが前国王・オディロン三世の時代に、突如として異教の弾圧が始まった。オディロン三世は一時期聖職者であったため、<白き鏡>教を熱心に信仰しており、異教は排除すべしという考えだったらしい。その結果、ユースクレイルにも異端審問官がやって来て、改宗しなければ火炙りにすると里の人々を脅した。
ゾエや母のように改宗を受け入れた巫女たちは、里から連れ出され、<白き鏡>教の信徒と結婚させられた。
結託を恐れ、異端審問官は彼女たちをばらばらにした。そのため、仲間たちがどこにいるのか、ゾエは知らないのだという。
そこまで聞いたシャルロットは、ゾエと出会った時のことを思い出した。
所在不明の友人と再会できたと思ったから、あのように感極まった様子だったのだろう。
(……母さんにそのような過去があったとは)
大樹の葉守りを、シャルロットはそっと握りしめた。
そう言えば、これに関してはまだ聞いていなかった。
「この大樹の葉守りは、巫女が持つものだと聞きました。<白き鏡>教の
「そうね。その葉守りは、巫女として一人前であるという証なの。……シャルロットさんは、大樹信仰がどういう宗教なのか知ってる?」
「少しだけなら。死者の国を支配する大樹・ルズランを信仰していると聞きました」
「その通りよ。……私たち巫女は、死者の魂を己に憑かせることができる霊媒なの。そして死者の魂を憑依させるには、私たち自身が死者の国ヨグレルへと赴かなければならない。巫女が一人前として認められるには、ヨグレルへ行って、大樹の葉を一枚取ってくる必要があるの。それが、大樹の葉守りと呼ばれるものよ」
シャルロットはまじまじと葉守りを見つめた。
「これが……ルズランの葉なのですか」
「信じられないかもしれないけど、本当のことなのよ」
確かに、これほど虹色にきらめく水晶は見たことがないし、葉脈も本物の葉のようだと思ったことはある。
しかし、にわかには受け入れがたい話だった。
シャルロットは我知らず、疑わしそうな顔をしていたらしい。ゾエはこちらを見て、笑いながら言い添えた。
「ちなみに、大樹・ルズランはあなたたちの宗教で言うところの、ヘリオト神のことよ」
「そうなんですか!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
驚愕すると同時に、シャルロットはベリルの言葉を思い出していた。
『でも、ヘリオトの魂はまだこの世界にある。死者の国に』
「ヘリオト神は亡くなった後、死者の国を支配する存在になったということですか」
「そう伝わっているわ」
まさか、<白き鏡>教と大樹信仰にそのような繋がりがあろうとは。
シャルロットはそこで、あることに思い至った。
(ベリルは、ルテアリディスは神にしか引き抜けないと言っていました)
「神」という分類には、ヘリオト神も当てはまる。そしてシャルロットの隣には現在、ヘリオト神ことルズランの許へ赴いた人物がいる。
シャルロットは、急き込んで尋ねた。
「ヨグレルへは、どのようにして行くのですか」
「うーん。言葉で説明するのはなかなか難しいんだけど……ちょっと待ってて」
そう言い置いて、ゾエは席を立った。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、一冊の本があった。
「これは、大樹信仰について書かれた本なの。大樹信仰に関連する本は
手渡された本を、シャルロットは眺めた。
緑色の革表紙には、「大樹信仰大全」と記されている。
表紙は角がすり減り、中の羊皮紙も黄ばんでいる。かなり年季の入ったもののようだった。
「著者は里の人間じゃないけど、よく書けていると思うわ。それを読めば、大体のことはわかると思う」
「今、拝見してもよろしいですか?」
「それは差し上げるから、持ち帰ってゆっくり読んでちょうだい。ここだと、時間を気にしなきゃいけないでしょう」
ゾエの言葉に、シャルロットは目を丸くした。
「えっ。こんな貴重なもの、頂けません! ゾエさんにとって大切な本でしょう」
「確かに大切なものだけれど、内容は大体頭に入っているの。死蔵しているのももったいないし、あなたが活用してくれるなら嬉しいんだけど」
シャルロットは、本とゾエを交互に見た。
「……本当に、よろしいのですか?」
「ええ。渋々手放すわけじゃないから、安心してちょうだい。……まあ、あなたにとっては異教のものだから、どこかに隠す必要があるけれど」
申し訳なさそうな顔をするゾエに、シャルロットは「その辺りはなんとかします」と頷いた。
「……では、お言葉に甘えて頂戴しますね。ありがとうございます、ゾエさん。大切にします」
シャルロットは本をぎゅっと抱き締めた。
もしヘリオト神に会う術があるのなら、ベリルの窮状を訴えれば、救出に力を貸してもらえるかもしれない。
現状を打破する方策が見つかり、シャルロットの心は大いに軽くなった。
この本があれば、コベーンの伝説についての資料は必要ないだろう。その旨をゾエに伝え、シャルロットは再び礼を述べて暇乞いをした。
「そう言えば、シャルロットさん。大樹の葉守りを最初から知っていたみたいだけど、誰から聞いたの? それを葉守りだとわかる人間は、ユースクレイルの里人と異端審問官以外、ほとんどいないのだけど」
ゾエに不思議そうな顔で尋ねられ、シャルロットは微笑んだ。
「大切な友人から。彼女はとても、物知りなようですから」
レリアは間者として、世間のあらゆる情報に精通していたのだろう。
そのため、母の形見が大樹の葉守りだと知っていた。
(見て見ぬ振りをせず、わざわざ教えてくれましたし、葉守りを見せてはいけないと忠告までしてくれました)
レリアに対するわだかまりは、まだ胸の内に残っている。この先、それが消えることはないだろう。
しかし、彼女が自分に対して親切だったことも事実だ。それがあるから、シャルロットは彼女を嫌いにはなれないのだった。
(ありがとう、レリア)
シャルロットは首から下げた革紐に触れ、小さく笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます