第4章 聖女選定
第1話 レリアの真意
昼の休憩時、シャルロットは図書室を訪れていた。
図書室は聖堂の端、写本室の上の階に存在する。
四方の壁には本がぎっしりと詰まっており、天井近くにある本の閲覧は、バルコニーのような通路によって可能となっていた。
シャルロットは次々に神学書を手に取っては、ざっと目を通していった。手応えのありそうなものを一冊選ぶと、図書係に手続きをしてもらい、自室へ戻る。
レリアが去ってから今日までの一週間、毎日繰り返していることだった。
あの日、レリアに鳩尾を殴られたシャルロットは、事件の顛末を見届けることなく、翌朝まで気を失っていた。
自室の寝台で目覚めたシャルロットは、あの出来事が悪夢だったのではないかと考えた。それほどまでに、信じがたいことだった。
現実のことだと認めたのは、修道院長からの呼び出しがあってからだ。
皆が労働している時間、シャルロットは修道院長の館まで足を運び、事情聴取を受けた。
「あなたが聖堂で倒れているのを発見したのは、私です。あなたの修道服には血が付いていましたが、特に怪我をしている様子はありませんでした。……一体、なにがあったのですか」
その時、シャルロットは誰かが寝台まで運び、修道服を脱がせてくれたのだと気がついた。
修道院長に探るような眼差しを向けられ、シャルロットは平静を装いながら嘘をついた。
作り話をしているというのに、不思議とシャルロットの胸は痛まなかった。
「夜、目が覚めて眠れなくなってしまったんです。そこでお祈りでもしようかと聖堂へ行ったら、レリアたちに遭遇しました」
レリアたちが血塗れの人物を運んでいたため、施療院へ連れて行こうとしたら、激しく拒絶された。揉み合いになるうちに、シャルロットは気絶してしまったのだと説明した。
「修道服の血は、その時に付いたのだと思います」
そう話すと、修道院長は納得したようだった。
だが、それは上辺だけのことかもしれない。シャルロットでさえ、己の言い分が胡散臭いものだと自覚していたのだから。
レリアの仲間について証言すると、昨夜の出来事は他言無用だと念押しされ、シャルロットは解放された。
修道院長は、レリアの行方についてはひと言も話さなかった。つまり、彼女はまだ捕まっていないのだろう。表向き、レリアは家庭の事情により、
しかし彼女の正体については、後日明らかになった。
「マリユス司教と修道院長が密談してたから、盗み聞きしちゃった」
悪びれなくそう言ったベリルが、そこで話題となったレリアの情報を教えてくれた。
あの事件以来、ベリルは沈んだ様子を見せていたが、この時ばかりは思いも寄らぬ事実に興奮気味だった。
ちなみに、彼はすぐさま地下墓地に戻されたが、翌日には足が完治するという驚異的な回復力を見せていた。
「確定したわけじゃないんだけど、レリアは諜報活動を生業とするラルカンジュ一族の人間じゃないかって」
ラルカンジュは、裏社会では名の知れた間諜一族、らしい。定住地を持たず、全国各地に散らばっており、特定の酒場などで依頼を請け負っているとか。
普段は市井の人間に紛れて生活しているため、間諜だとは気づかれないらしい。
確かに、レリアはどこから見ても普通の娘だったし、間者だったと聞かされても、未だに信じられない思いだった。
マリユスたちは、ベリルのことをなんらかの形で知った権力者が、ラルカンジュ一族に依頼したのではないかと予想していた。
目的は当然、ベリルに栄華を授けてもらうことだ。でなければ、ユディアラ王国の国力を削ごうと画策していたのかもしれない。
無論、ベリルを盗み出しただけでユディアラ王国の基盤が揺らぐことは有り得ない。しかし真実を知らない人間たちには、そう認識されているらしかった。
「依頼人に関しては、まだ調査中だって」
必ず見つけ出すと、マリユスは息巻いていたらしい。
あの司教があんなに感情を顕わにするの、初めて見たかも、とベリルは言った。
先日のことをぼんやりと回想したシャルロットは、突如として我に返り、慌てて本の内容に意識を向けた。
レリアが去ってから、どうにも物事に身が入らない。
文字を目で追っていくうちに、シャルロットは再び、レリアの顔を思い浮かべていた。
(……友だちだと思っていたのは、私だけだったんでしょうか)
それは一週間、何度も考えたことだった。
間者として潜入したのだから、レリアは誰とも友情を築くつもりはなかっただろう。
しかしレリアの言動が、すべて偽りだとは思えなかった。
シャルロットの醜聞をなくそうと奮闘してくれたことも、妹に似ているから世話を焼きたくなると言ったことも、葉守り用の革紐を買ってくれたことも、本心からのものだったと信じたかった。
それを裏付けているのは、最後に見たレリアの表情だ。
(彼女は辛そうに見えました)
シャルロットのことをなんとも思っていなければ、あのような顔はしないはずだ。
自分に対して少しでも情があったのだと、シャルロットは思い込むことにした。
そうすれば、レリアが密偵だったという事実にも、彼女がいない日常にも耐えられる気がした。
「さあ、集中しないと」
シャルロットは両頬を叩いて気合いを入れると、ようやく神学書に没頭した。
彼女が毎日読書にいそしんでいるのは、ベリルを救う手掛かりを見つけ出すためだ。
レリアに告げられた真実を聞き、喉から手が出るほど欲しかった<剣の聖女>の座は、がらくたのように価値のないものへと変貌してしまった。
もはやシャルロットの信仰心は、胸の内をいくら探っても、ひと欠片も見つけることができなかった。
まだ決心はついていないが、聖女選定が終了した後、修道女を辞めることも視野に入れている。
エランジェル女子修道院に恩を返す機会は、還俗しても見つかるだろう。
シャルロットが今やるべきことは、聖剣ルテアリディスや<蝕>ベリルに関する書物に、できるだけ多く触れることだった。
神学書に目を通したシャルロットは、本を閉じるとため息をついた。
「これもはずれですね」
そもそも、どの神学書も<蝕>に関する記述は少ない。
国内で書かれた本には、白夜王に討伐された「ベリル」に関して論じるものもあった。しかし、世間に知られていること以上の情報は載っていなかった。
(聖女選定が終わるまで、残り二ヶ月)
その間に、なんとしても突破口を見つけ出さねばならない。
焦りは禁物だとわかってはいるが、手応えのない状態が続くと、どうにも気分が落ち込んでしまう。
ふと脳裏に、ベリルの姿が浮かんだ。
昼休みに読書をしたいのだと遠慮がちに言ったシャルロットに、ベリルは驚いた様子を見せたものの、素直に了承した。
しかしその表情には、寂しさが滲み出ていた。
かと思えば、シャルロットと雑談している際、どことなくよそよそしさを感じることがある。
そのことが、喉に引っ掛かった小骨のように気に掛かっていた。
(あの時私をレリアに会わせたことで、ずいぶんと気に病んだみたいですし)
もしかしたらそれが原因かもしれないと、シャルロットは思案した。
気にしなくていい、むしろ起こしてもらって感謝している、と何度も伝えてはいるのだが、ベリルの罪悪感を減らすことはできなかったらしい。
――ベリルはなにを悔いているのだろう。
シャルロットがレリアの正体を知ったことか、ベリルが囚われている理由を知ったことか、危険な目に遭ったことか。
もしかすると、その全部なのかもしれない。
(ベリルを責めるなんてこと、あるはずがないのに)
やはり、私は大丈夫なのだと言い続けるべきだろうか。だが、同じことを何度も聞かされるのは、さしものベリルでもうんざりしそうだ。
そんなことを悩んでいるうちに、休憩時間は終わってしまった。
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