第19話 決別(3)
どさりと、石造りの床になにかが落ちる音がした。
ベリルは朦朧としながらそれを聞いていた。
(まさか、シャルロット……?)
今すぐ肉体から抜け出して状況を確認したいが、激痛に意識を奪われて上手くいかない。
心臓の痛みは普段と変わらないが、それとは別に、聖堂に染みついた祈りの力がベリルを苛んでいた。まるで、全身をめった刺しにされているかのようだった。
いくら聖堂の真下とは言え、監禁されている場所はまだ呪いの効果も薄かったのだと、身を持って知ることになってしまった。
それに加えて、折られた両足は熱を持ち、ずきずきと痛む。
どこもかしこも痛みを訴えており、体がばらばらになりそうな気がした。
「その女は始末した方がいいだろう。顔を見られたからな」
「いいえ、その必要はないわ。ここまで知ったからには、どのみち教団に消されるでしょう。こちらで手を下すまでもない」
耳に入ってきた会話に、ベリルは目蓋をこじ開けた。
(教団に消される? シャルロットが?)
まともに働かない頭では、レリアの発言を掘り下げて考えることもできない。
全身の痛みに抗っている間に、ベリルは男たちの手により、聖堂から出されていた。
燭台を持ったレリアを先頭に、男たちは足音を忍ばせて進んでいく。
聖堂を出たおかげで、ベリルの苦痛も半分ほど和らいだ。
いくらかはっきりとしてきた意識で、ベリルは決意した。
(絶対に、こいつらに一矢報いてやる)
自身がされたことよりも、シャルロットを傷つけたことがなによりも許せなかった。
レリアたちと対峙したせいで、余力はほとんど残っていない。
それゆえ大したことはできないが、このままでは腹の虫が治まりそうになかった。
レリアと仲間たちは、石を積み上げたアーチ型の門に辿り着いた。
辺りは深閑としており、人の気配がまるでなかった。どうやら、守衛たちを黙らせてきたというのは本当のことだったらしい。
鉄の門扉は、既に開け放たれている。
彼らはなんの躊躇も見せず、門を通り抜けようとした。
「……うん?」
しかし、それは敵わなかった。
担架の前を持つ騎士修道士風の男は、アーチの下へ足を踏み出したきり、一歩も前へ進めなくなった。
後ろを持つ男がいくら担架を押しても、結果は変わらない。
まるで、透明な壁に行く手を遮られているかのようだった。
(だから言ったのに)
ベリルは内心、ざまあみろと舌を出した。
「ちょっと、どうしたの」
「進まないんだ、ここから先へ!」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ」
「嘘だと思うなら、お前も試してみろ!」
レリアと男たちが揉めている間に、ベリルは集中力をかき集めた。
意識を回廊に面した建物に向ける。そこは、二階が修道女たちの共同寝室となっていた。
共同寝室を詳細に思い描いたベリルは、想像の中で、ずらりと並ぶ寝台の間を歩き始めた。
部屋の端で立ち止まって、壁を見上げる。そこには、天井近くに小窓が作られていた。
ベリルはそこから垂れた長い紐を、思い切り引っ張った。
途端、現実の世界で、荘厳な音色が鳴り響いた。
「な、なに!?」
「なぜ鐘が……」
修道院の静寂を、鐘の音が打ち破った。
音楽のように美しい調べも、侵入者たちにとってはただの騒音に過ぎない。寝入っていた者たちにとってもそれは同じで、共同寝室で休んでいた者たちは、今頃飛び起きていることだろう。
いつまでも鳴り続ける鐘の音に、男のひとりがはっとしたように叫んだ。
「まさか、こいつの仕業か!」
ベリルに掴みかからんばかりの男に、レリアは「落ち着いて」となだめた。
「それどころじゃないわ。早くここから出ないと、人が来ちゃう!」
そこからは、担架を横向きにしたり、レリアが担架を持ったり、ベリルを担ぎ上げたりと、涙ぐましい努力が続いた。だがなにをやっても、彼らは門を出ることができなかった。
狸寝入りをするベリルは、その無駄なあがきを薄目で確認しては溜飲を下げていた。
そうこうしているうちに、複数の足音が聞こえてきた。
異変を察知した修道女たちが、駆けつけてきたのだろう。
「時間切れね」
「どうする」
「その<蝕>が言った通り、修道院からは出られないんでしょうよ。任務は失敗ね」
レリアは吐き捨てるように言うと、「逃げるわよ」と声を掛けて走り出した。
残りのふたりもその後を追っていく。
門前に置き去りにされたベリルは、鐘の音を止めると、ようやくひと息ついた。
今なら、体から魂を切り離せるかもしれない。
実行に移したところ、思いのほか、すんなりと成功させることができた。
肉体という檻から抜け出すと、驚くほど軽やかな心地になった。苦痛もきれいさっぱりなくなり、まるで生まれ変わったかのようだった。
門前に辿り着いた修道女たちが、血濡れで横たわるベリルを目の当たりにして、悲鳴を上げている。
それを尻目に、霊体のベリルは急いで聖堂に向かった。
聖堂の通路に、シャルロットは横たわっていた。
傍に寄って、さっと彼女の体に目を走らせる。胸が動いているのを確認して、ベリルは安堵のため息をついた。
レリアたちの会話から、殺されていないことはわかっていた。だが、直接確かめるまでは安心できなかった。
気絶したシャルロットの衣服には、血痕がところどころ付着している。ベリルを支えた時に、移ってしまったらしい。
シャルロットは、いずれ誰かしらに発見されるだろう。
そして彼女が聖堂で倒れていたことも、血塗れであったことも、修道院長に報告されるに違いなかった。
(僕が持ち出されたことに、彼女が関わっていたと思われるかもしれない)
仮に疑いが晴れたとしても、シャルロットが実体のベリルを目撃したことはわかってしまうはずだ。
シャルヴェンヌ女子修道院が最も秘匿したい事実を、シャルロットは知ってしまった。レリアが「教団に消される」と言ったのは、これを踏まえてのことだろう。
それを馬鹿げた話だと一蹴することは、ベリルにはできなかった。
なにせ<白き顔の神>を信奉している教団だ。邪魔な人間を排除するぐらい、平然とやってのけるかもしれない。
しかしそれと同時に、レリアの発言に引っ掛かりを覚えてもいた。
(もしシャルロットが教団に消されるとしても、それはすぐにではないはずだ。目撃者としてレリアたちの情報を聞き出されてから、始末されるはず。それはレリアもわかっていただろう)
つまり「教団に消される」ことが、あの場でシャルロットを殺さない理由にはならないのである。
シャルロットがいずれ処分されるとしても、生かしておけば、自分たちの情報が漏れる危険性は大いにあるのだから。
(レリアは、シャルロットを殺したくなかったんだ)
仲間がシャルロットに手出ししないように、あのような発言をしたに違いない。
(でも結局は、僕の憶測に過ぎない)
レリアの人となりをよく知らないので、断言はできない。
ベリルにできることは、レリアの言葉を心に留め、シャルロットの身辺に目を配ることだけだった。
仰向けに横たわるシャルロットの傍にひざまずき、ベールを被っていない彼女の髪を、そっと撫でる。
シャルロットは涙の痕が残る痛ましげな顔で、目蓋を閉ざしていた。
その様を見て、ベリルは胸の辺りがずきずきと痛むのを感じた。
(僕がシャルロットを起こしたせいで、こんなことになってしまった)
レリアたちがベリルの拘束を外し始めた時は、とにかくシャルロットに知らせなければと、気が急いていた。
彼女たちの企みが失敗することは目に見えていたし、うっかりレリアが捕まるようなことがあれば、シャルロットが悲しむと思ったからだ。
――シャルロットが説得すれば、レリアも耳を貸すだろう。
そんな甘い考えが、結果的にはシャルロットを傷つけ、苦境に立たせることに繋がってしまった。
悔やんでも悔やみきれないと、ベリルは固く拳を握った。
(結局僕の存在は、シャルロットを苦しめるだけなのかもしれない)
ベリルは暗澹たる気持ちになった。
シャルロットの傍は、春の日差しに包まれているかのように心地が良かった。叶うのならば、彼女が与えてくれる優しさに、永遠に縋っていたかった。
けれどそれも、もう終わりにしなければならない。
ベリルはシャルロットの上に覆い被さると、彼女の頬を包み、額を合わせた。
「ごめんね、シャルロット。……本当に、ごめん」
身を引き裂かれるような思いで囁いた声は、誰にも聞かれることなく、四方に迫る闇の中へと消えていった。
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