第18話 決別(2)

 ベリルがレリアを指差すと、彼女はさっと顔を上げた。

 どうやら、首から上だけでも動かせるようにしたらしい。


「辛そうね、ベリル」


 しかしレリアは、質問には答えなかった。

 嘲笑うように、口の端を引き上げた。


「<白き顔の神>に呪いを掛けられているから、相当辛いはず。しかも胸には聖剣が刺さっている。よくもまあ、それだけ動けるものだわ」

「呪い……?」


 シャルロットは、思わずベリルの顔を見た。

 彼は責めるような眼差しをレリアに向けると、顔をしかめた。


「その様子だと、シャルロットには言っていないようね」

「どういうことですか」

「<白き顔の神>は、<蝕>に呪いを掛けたの。<白き顔の神>へ人々が祈りを捧げると、<蝕>が苦しむ呪い。だから祈りの場である聖堂は、ベリルにとって呪詛の源みたいなもの。ここの地下に拘束されているということは、朝から晩まで拷問を受けているに等しいってこと」


 シャルロットは絶句した。

 あまりにも惨たらしい話に、上手く頭が働かない。


「なぜ……そのようなことを……」

「さあね。何度殺しても死なないから、その腹いせにやったんじゃない?」


 レリアはどうでもよさそうに答えた。

 シャルロットはこの時、<白き顔の神>への信仰心に、大きな罅が入るのを感じた。


「君は、自分の立場がわかっていないのかな。まだ質問に答えてもらってないんだけど」


 ベリルは苛立たしげに指摘すると、指を鳴らした。

 途端、レリアは苦しげに顔を歪めた。

 上から加わる力が、更に強くなったらしい。


「君たちの命は僕が握っているんだってこと、忘れてもらっちゃ困るな。僕はその気になれば、虫を潰すぐらい簡単に、君たちを殺すことができる」

「……そうでしょうね」


 相槌を打った後、レリアの顔から苦悶が去って行った。

 話しやすくするために、ベリルが押さえつける力を緩めたのだろう。

 レリアは諦めた様子でため息をつくと、話し始めた。


「とある筋から頼まれて、お前を盗みに来た。依頼人は、お前がもたらす栄華に興味があるみたいよ」


(栄華?)


 シャルロットが訝しげに眉をひそめると、レリアは鼻で笑った。


「これもシャルロットに説明していないの? ずいぶんと隠し事が多いこと」


 視界の端で、ベリルが拳を固めるのがわかった。

 無言を貫く彼の代わりに、レリアが説明を始めた。


「古い言い伝えに、気に入った人間に栄華を授ける、不可思議な存在がいるって話があるの。神出鬼没で、お眼鏡にかなった人間にしか姿が見えないんだけど、白髪の少年の姿をしていたと伝わっている。その存在を、言い伝えでは『瑞人ずいじんヴェナク』と呼んでいるわ」


 初めて聞く単語だったが、レリアの言わんとしていることはわかった。


「つまり、その『瑞人ヴェナク』がベリルと同一存在ということですか」

「その通り」


 レリアは満足そうに微笑んだ。


 彼女に依頼した人物は、<蝕>のベリルが瑞人ヴェナクでもあり、栄華をもたらす存在だと知っているらしい。

 それはつまり、ベリルを拘束したエティエンヌ王も、そのことを知っていたのではないだろうか。

 そこまで考えて、シャルロットはあることに思い至った。

 

「まさか」


 気づいてしまった事実に、全身から血の気が引いていく。


「ベリルは、そのためだけに……栄華を永遠に与える存在として、この修道院に拘束されているのですか」

「ええ、そうみたいね。エティエンヌ王はベリルから栄華を授けられた存在だったんだけど、欲が出たのね。自分の子孫にも、ひいては国全体にも栄華が欲しくなって、ベリルを拘束したのよ」

「……エティエンヌは、<白き顔の神>に唆されたんだ」


 それまで黙っていたベリルが、低い声で補足した。


「<蝕>の中でもこの世界をうろちょろしていたのは、僕だけだったからね。<白き顔の神>は、僕が目障りでしょうがなかったらしい。当時僕が目を掛けていたエティエンヌに、僕を捕えれば、ユディアラ王国が永久に繁栄すると吹き込んだ。エティエンヌの夢に干渉してね。そんなの、嘘っぱちなのに」

「嘘? どういうこと」


 顔を険しくするレリアをちらりと見やると、ベリルは話を続けた。


「僕の能力は、『僕が気に入った人間』にのみ作用する。エティエンヌに栄華を与えたけれど、それは彼一代限りであって、子孫に受け継がれるものではない。もちろん、国全体になんか到底無理な話だ」

「……それでは」

 

 シャルロットは唾を飲み込むと、絞り出すようにして声を発した。


「ベリルがここで拘束されているのは……なんの意味も、ないということですか」

「……この国にとっては、なんの意味もないね。<白き顔の神>にとっては、疎ましい<蝕>を未来永劫苦しめることができるから、大いに意味があるんだろうけど」


 顔面蒼白になったシャルロットに視線をやると、ベリルはうなだれた。


「エティエンヌにも何度もそう伝えたんだけど、聞く耳を持たなかった。なにせ、<白き顔の神>から直々にお告げをもらって、聖剣まで下賜されたんだ。有頂天になったエティエンヌがどちらの言い分を信じるかなんて、火を見るより明らかだった」


 足元が崩れ落ちていくような気がして、シャルロットはよろめきそうになった。


 今まで崇めてきた神とは、一体なんだったのだろう?

 邪魔だという、たったそれだけの理由で、害意のないベリルの自由を奪い、終わりのない苦痛を与える。それは神話で語られる<蝕>の所業よりも、よほど邪悪で残忍な行いではないか。

 シャルロットの信仰心は、金槌で叩き壊されたかのように、粉々に砕け散った。


「ごめん、シャルロット。これだけは、どうしても言えなかった」


 呟くように謝ったベリルに、シャルロットははっとした。

 ベリルは、自分が囚われた理由を頑として話そうとしなかった。それは恐らく、シャルロットの信仰を揺るがし、混乱させるとわかっていたからに違いない。


「いいえ。ベリルが謝る必要はありません」


 ベリルが黙っていたのは、シャルロットを思ってのことだ。それに感謝こそすれ、責めることなどできるはずもない。

 その気持ちを込めてベリルを見つめると、彼は微かに笑みを浮かべた。


「そういうことだから、君たちの依頼人に言っておいてくれないかな。国に繁栄をもたらすのは不可能だって。個人を対象にしたとしても、僕の興味を引く人間じゃないと無理だ」


 打って変わって冷ややかに告げたベリルを、レリアは無表情に見返した。


「お前が興味を引くかどうかは関係ない。栄華を授けないのなら、そう仕向けるだけのこと」

「ふうん、力尽くでってこと? 無理だと思うけどね。そもそも、ここの敷地より外に出られないんだから、お話にならないけど」

「それ、試したことあるの? やってもいないのによく断言できるわね」


 どんどん険悪になる空気に、シャルロットは困惑した。

 レリアたちの方は、全く引く気がないらしい。このままでは、どこまで行っても平行線だろう。

 どうやって説得しようかとシャルロットが考え始めた時、隣のベリルが唐突に背を丸めた。


「ぐっ……」


 激しく咳き込んだベリルは、ずるずると床にへたり込んだ。

 口を押さえていた手には、真っ赤な血が飛び散っている。


「ベリル!」


 シャルロットは即座に膝をつくと、燭台を床に置き、ベリルの背をさすった。

 そうしながらも、頭の中は真っ白だった。どうしたら彼の苦痛を和らげることができるのか、まるで思いつかない。

 シャルロットが動転しているうちに、状況は一変した。

 床に倒れていた三人が、ばらばらと身を起こし始めた。今の状態では、ベリルも力を操れないのだろう。

 シャルロットはベリルを守るため、咄嗟に彼の頭を抱きかかえた。

 しかしその甲斐もなく、彼女は乱暴に突き飛ばされた。

 

「きゃあっ!」

「今のうちに、ベリルの足を折っておきなさい。どうせ元通りになるだろうけど、それでしばらくは大人しくなるでしょう」


 冷静にそう指示するレリアに、シャルロットは愕然とした。


「やめてください! その人に乱暴なことをしないで!」


 シャルロットはふらつきながら立ち上がって、レリアに縋り付いた。

 レリアの目を覗き込んだ瞬間、シャルロットは背筋が寒くなった。

 彼女の瞳には、なんの感情も浮かんでいない。まるで、灰色の硝子玉が嵌まっているかのようだった。


「もう遅いわ」


 レリアの言葉と重なるように、なにかが折れる鈍い音が、聖堂内に響いた。

 気づけば、ベリルは再び担架に乗せられていた。彼の足を、騎士修道士風の男が掴んでいるのを認め、シャルロットは咄嗟に顔を背けた。

 再び、骨が折れる恐ろしい音が耳に入ってくる。


「どうして」


 シャルロットは堪えきれず、ぼろぼろと涙をこぼした。


「どうして、こんな酷いことをするんですか」

「任務を達成するためよ」


 抑揚のない声音は、レリアが発しているものとは思えない。シャルロットの知る彼女とは、まるで別人のようだった。

 それが無性に悲しくなって、シャルロットはレリアの両肩を掴んだ。


「レリア、こんなことはやめて下さい。私はあなたと、これからも普段通りに過ごしたいんです!」

「それはできない」

「このことが露見すれば、追われる身になるかもしれないんですよ!?」

「元より承知の上よ」


 レリアは落ち着いた口調で答えた。


「ここまで来たからには、もう後戻りはできない。なにせ私は、<蝕>を盗み出すためにこの場所へやって来たんだから」


 シャルロットは絶望的な気持ちで、レリアを見つめることしかできなかった。

 レリアは一瞬、唇を噛み締めた。

 しかし、すぐさまシャルロットの耳元に口を寄せたため、その表情を確認することはできなかった。


「今までありがとう」


 その囁きに、シャルロットは胸を突かれた。


「レリア……」

「ごめんね。……さようなら、シャルロット」


 口を開きかけた時、シャルロットの体に衝撃が走った。

 床にくずおれながら、彼女はレリアを見上げた。

 意識を失う寸前に目にしたのは、レリアが悲しげに微笑む姿だった。

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