第17話 決別(1)

 シャルロットは素早く修道服を身にまとうと、蝋燭に火を灯し、燭台を引っ掴んで部屋を出た。

 廊下で待っていたベリルと共に、客人の館を飛び出す。

 走りながら、シャルロットは口を開いた。


「レリアは、なぜあなたを解放しようとしているのですか?」

「わからない。ただ、善意からの行動とは思えないんだよね。彼女、ふたり仲間を連れているよ。ひとりは騎士修道士の格好をしている」

「それは……」


 シャルロットは言葉を失った。

 どう考えても、ただの思いつきの行動ではない。ベリルを連れ去ることを、前もって計画立てていたとしか思えない。

 だが、一体なんのために? そもそも、レリアはどうやってベリルの存在を知ったのだろう?

 混乱した頭のまま、シャルロットは聖堂の扉を押し開け、中に駆け込んだ。

 シャルロットが聖堂の通路を走り始めて間もなく、聖具室から灯りを持った人物が出てきた。その後ろにも人がいるようだが、闇に紛れてよくはわからない。

 しかし、火明かりに照らされた先頭の人物だけは、はっきりと見て取れた。


「……レリア」


 向こうもこちらに気づいたらしく、ぴたりと足を止めた。


「シャルロット……」


 しかし、立ち竦んでいたのは一瞬のことだった。レリアは後ろを振り返ってひと言なにかを告げると、落ち着き払った様子でこちらに向かって来た。

 近づいてくる彼女は、普段と変わらぬ修道服姿だった。夜半だというのに、ベールもきっちりと被っている。

 レリアの後ろには、ふたりの人間がいた。

 彼らは担架を運んでいるようだった。そこに乗っているものを目にした瞬間、シャルロットは息を呑んだ。


(本当に、外へ連れ出すつもりですね)


 担架には、ベリルの体が横向きに横たわっていた。

 やはり、彼らにも聖剣は引き抜けなかったらしい。ベリルの胸は、ルテアリディスに貫かれたままだった。


「レリア……なぜ、こんなことを?」


 十歩ほど先で立ち止まったレリアに、シャルロットは当惑しながら問いかけた。


「あら、彼は自由の身になるんだからいいじゃない。あなたは彼と、とても親しくしているみたいだし」

「なぜそれを……」


 シャルロットは瞠目した。

 ベリルのことは、誰にも話したことがないというのに。


「もしや、あなたにもベリルの魂が見えているのですか?」

「まさか! 私には霊感なんてないもの。それが見えているのは、あなただけでしょうよ」

「ではなぜ……」

「……シャルロット、幽霊を探すために夜の修道院を歩き回ったの、覚えてる?」

「ええ、もちろん」

「あれはね、噂の幽霊が<蝕>かどうか確かめるためにやったことなの。幽霊を目撃した人間が、その幽霊と会話できたら、こちらで<蝕>かどうかを見極める。ついでに有益な情報が得られればなお良し、ってわけ。……まさか、こんなに上手くいくとは思っていなかったけど」


 レリアは淡々と語った。


「私たちの会話を聞いていた、ということですか」

「<蝕>の声は聞こえないから、あなたの声だけね」


 盗み聞きされていたことに動揺しつつも、シャルロットはそれ以上に気になることがあった。


「……レリア。あなたは一体、何者なんですか?」

「それは、あなたが知る必要のないことだわ」


 レリアはにべもなく答えた。

 無表情で目の前に立つレリアが、急に見知らぬ存在になったかのようだった。


「ベラベラとしゃべりすぎだ、レリア」


 担架を運んでいる男のひとりが、そう口を挟んだ。

 薄墨色の足元まであるチュニックの上に、頭巾付きのマントを羽織っている。腰には革のベルトを締めており、そこから剣が釣り下がっていた。

 その格好は、現在修道院の警固を請け負っている、騎士修道士のものと同じだった。

 この人物は、本物の騎士修道士なのか。それとも、ここに侵入するために変装したのか。

 それは判断のしようがないが、ただわかることは、彼が剣呑な目つきでこちらを眺めているということだった。


「……そうね」


 レリアはふっと息を吐いた。


「さあ、もうおしゃべりはいいでしょう。そこをどいて、シャルロット。どいてくれれば見逃してあげるから」

「レリア!」


 先ほどの男が咎めるように声を上げたが、レリアはそれを無視した。

 

「それはできません」


 シャルロットはきっぱりと断った。


「あなたたちがやっていることは、無意味だからです。……ベリルは、この修道院から出られないんです。その聖剣が刺さっている限り」

「なんですって」


 レリアは眉根を寄せた。

 その反応から、ベリルとの会話をすべて聞かれたわけではないとわかった。


「ベリルがそう言っていたんです。魂魄の状態であっても、修道院の敷地から外へ出ることはできないと」

「……でもそれは、その<蝕>がそう言っているだけでしょう。実際どうなのかは、試してみないとわからない」

「そんなことをすれば、守衛や見回りの騎士が駆けつけてきますよ」

「ああ、それは大丈夫。ちゃんと黙らせてきたから」


 なんてことない調子でそう言ったレリアを、シャルロットは凝視した。


(黙らせたということは……まさか)


 最悪の事態を想像して、シャルロットはぞっとした。

 

「ここであなたの言うことを聞いて、手ぶらで帰るわけにはいかないの。そういうことだから、どいてくれる?」

「……いいえ」


 静かに尋ねるレリアに、シャルロットはかぶりを振った。

 ベリルが本当に解放されるなら、喜んで彼らを通しただろう。

 しかし、彼らがベリル救出のために動いているとは思えない。仮に聖剣の問題がなかったとしても、ベリルを丁重に扱うようには見えなかった。


「あなたが目的を話すまでは、どきません」

「……そう」


 レリアは嘆息すると、気乗りしない様子で言った。


「じゃあ、仕方ないわね。力尽くでどいてもらいましょう」


 その刹那、彼女の背後から男が飛び出てきた。

 先ほどの男とは違い、騎士修道士の装いではない。町を歩けばどこにでもいそうな、民間人そのものだ。

 しかし、その殺気に満ちた顔は、どう考えても堅気ではなかった。

 気づけば、シャルロットの眼前に男が迫っていた。

 男が抜き身の短剣を手にしているのを目にし、シャルロットは凍りついた。

 恐怖のあまり、声も出ない。

 刃が近づいてくる。

 シャルロットは為す術もなく、それを見つめていた。

 血潮を噴き出す己の姿を想像したその時、異変が起こった。

 

「……!?」


 短剣は、シャルロットの首に到達する寸前で止まっていた。

 男の手は、そこに固定されたかのように動かない。必死に抵抗しようとしているのか、ぶるぶると震えている。

 そのままの体勢で、男は後ろに下がっていった。

 だがその行動も、彼の意志ではないらしい。男は青ざめた顔で、自身の足を見下ろしていた。

 シャルロットから十分に離れたところで、男の握る短剣が捻れた・・・

 まるで、固く絞った雑巾のように。

 短剣だったものを男が取り落とした瞬間、彼は地面に叩きつけられた。

 視線を先に向けると、他のふたりも同様に、床にうつ伏せになっている。見えざる手に、全身を押さえつけられているかのようだった。


「シャルロットに手を出すな。彼女に危害を加えるなら、容赦はしない」


 聞き慣れた声が担架の辺りから聞こえ、シャルロットは呆然とそちらに顔を向けた。

 よろよろと立ち上がったのは、肉体を伴ったベリルだった。

 彼は苦痛に耐えるように歯を食いしばりながら、一歩一歩、こちらに歩を進めてくる。


「ベリル!」


 床に倒れるレリアたちの間を縫って、シャルロットはベリルに駆け寄った。

 彼の体を支えながら、来た道を戻る。


 初めて間近で見る実体のベリルは、血の気の失せた顔をしていた。

 霊体では血色の良い唇も、色が抜け落ち、ひび割れている。

 雪のように白い長髪には、彼自身の血がまだらに散っている。身につけている巻衣に至っては、元の色がわからないほど鮮血に染まっていた。

 その様を見て、シャルロットの胸は引き絞られるように痛んだ。


(なぜこの人が、こんな目に遭わないといけないのでしょう)


 ベリルの肩を抱く手に、自然と力が籠もる。

 初めて彼の体に触れることができたのに、こんな状況ではちっとも喜べなかった。

 レリアたちからある程度離れたところで、ベリルは口を開いた。


「さて、君たちの目的を吐いてもらおうか」

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