第16話 秘する恋

 翌朝、シャルロットは徹夜明けのぼんやりとした頭で、洗濯をしていた。


 夏至祭が終わったため、その準備に動いてた者たちも通常の労働へ戻ることになる。宙ぶらりんだったシャルロットの仕事場も、無事施療院に決まった。

 ひとまず病人の衣類を洗うことになったシャルロットは、井戸の傍にしゃがみ込み、たらいに水を張って、ひたすら手を動かしていた。


 修道女たちのシャルロットを見る目は、一晩経ってずいぶん変化した。大々的にマリユスに庇われたせいか、彼の信奉者からは相変わらず良く思われていないようだが、大半の者は彼女に同情的だった。

 そのこと自体は喜ばしいが、ヴァネッサのことを考えると、鉛を飲み込んだような心地になる。


 ヴァネッサが卑怯な手段を使ったことも、マノンに罪を被せようとしていたことも、到底許されることではない。

 だが、彼女が聖女を志した理由を思い出すたびに、もっと自分にできることがあったのではないかと考えてしまう。


 敵視されているからと距離を取らず、親しくなる努力を重ねていれば、ヴァネッサもあのようなことをしなかったのだろうか。

 正々堂々と、聖女の座を競い合うことができたのだろうか――。


 昼の休憩時、ベリルにそのことを話すと「それはどうかなあ」と返ってきた。


「人間の本質は、そう簡単に変わるものではないよ。例え君とヴァネッサが親しかったとしても、いずれ君に嫉妬して同じことをやったんじゃないかな」

「……そうですか」


 長きに渡って人間を観察してきたベリルがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 沈んだ面持ちをするシャルロットに、ベリルは「そんなに気にしないで!」と励ましてくれた。


「ヴァネッサは、シャルロットに敵わないと思ったんでしょう? それなら、シャルロット以上に努力するとか、もっと真面目に仕事をこなすとか、やりようはあったはず。それを放棄して邪道に走ったんだから、同情する余地は微塵もないよ。例え彼女が、切実な理由で聖女になりたかったとしてもね。シャルロットが責任を感じる必要は全くない。……それに」


 ベリルは眉を吊り上げて続けた。


「正直言って、僕はせいせいしているんだよ。僕の大切なシャルロットを傷つけるなんて、はらわたが煮えくり返る思いだったんだからね! 報復できなかったのが本当に残念だよ」


 ぷりぷりと怒るベリルは、シャルロットに目を向けて首を傾げた。


「どうしたの、シャルロット? 顔が真っ赤だけど」

「なっ、なんでもないです……」


 火照った頬を両手で隠しながら、シャルロットは俯きがちに言った。


「あの、ベリル。昨日は一睡もしていないので、ちょっと仮眠を取ろうと思います。また夜にお話しましょう」

「うん、わかった。また具合が悪くなったら大変だもんね」


 ベリルはすんなりと了承すると、「また後でね!」と部屋を出て行った。

 それを見送ったシャルロットは、ずるずると机に突っ伏した。


(『僕の大切な』シャルロット……)


 ベリルの言葉を心中で繰り返し、シャルロットは顔どころか、全身がかっかと熱くなるのを感じた。

 シャルロットも彼に対して同じようなことを言ったが、いざ自分が言われてみると、たまらなく嬉しい。ふわふわとして、体が浮かび上がっていきそうだ。

 さすがにここまで来ると、これが友人に対する感情でないことぐらい、シャルロットにもわかる。


(私は……ベリルに恋をしている)


 そう、認めざるを得なかった。

 しかしこの恋は、成就させることはおろか、口に出すことさえ難しい。

 なぜならシャルロットは、<白き鏡>教の修道女。<白き顔の神>以外の存在に思いを傾けるのは、許されることではない。


(それに私たちは、そう遠くない未来に、お別れしないといけません)


 そう考えると、ずきりと胸が痛んだ。

 シャルロットはのろのろと上体を起こすと、聖顔ラディウスを握りしめた。


(<白き顔の神>。聖女選定が終わるまでは、どうか、ベリルを想うことをお許しください)


 身勝手な願いだとわかってはいたが、祈らずにはいられなかった。

 そうしているうちに、シャルロットはあることに思い至った。


(私がここを去ったら、ベリルはまたひとりになってしまいます)


 シャルロットのようにベリルの存在を認識でき、怯えない人間に出会うまで、彼は孤独に過ごさねばならない。

 しかしその出会いは、一体いつ訪れるのだろう? そもそも、今後そのような修道女が現れるのだろうか?

 離ればなれになっても、ベリルにはいつだって、笑顔でいて欲しい。寂しさで顔を曇らせて欲しくない。


(私はベリルに、なにをしてあげられるでしょう)


 彼が晴れやかな気持ちで過ごすには、やはり、この修道院から脱出するほかない。

 しかしベリルの心臓に刺さった聖剣ルテアリディスは、神にしか引き抜けないのだという。どう考えても、ただの人間であるシャルロットの手に負える問題ではない。

 それでも、なんらかの手立てがあると信じたかった。なにも試さないうちから諦めたくはない。


(ひとまず、次の昼休憩から本を探しましょうか)


 この修道院には、聖堂の端に図書室が存在する。

 <白き鏡>教に関する蔵書を探せば、なにか手掛かりが見つかるかもしれない。

 ベリルとの時間が減ってしまうのは残念だが、調べ物をする時間は昼休みしかない。我慢しなければ、とシャルロットは己に言い聞かせた。

 自分がベリルに対してできるのは、これぐらいしかないのだから。





 その日の夜、ベリルとの会話を終えたシャルロットは、またたく間に眠りに落ちた。

 慣れない徹夜をしたため、体力はとうの昔に限界を迎えていたのだ。

 しかし、それからしばらくして、彼女の睡眠は中断された。

 耳元で叫ぶ、ベリルの声によって。


「シャルロット、起きて! 大変なんだ!」


 夢うつつでベリルの声を聞いたシャルロットは、薄らと目を開けた。


「ベリル……?」

「寝ているところに、ごめんね。でも、今起きないときっと後悔する」


 真剣なベリルの声音に、シャルロットの意識は徐々にはっきりとしてきた。

 目をこすって、彼がいると思しき方向に顔を向ける。


「一体どうしたのですか?」

「君の友だちが、僕を連れ去ろうとしているんだ!」

「え……?」


 寝起きの頭では、ベリルの言葉がすぐには理解できなかった。


「どういうことでしょう」

「君の友だち……えーっとなんて言ったっけ。そう、レリアだ! レリアが、僕の拘束を外して、外に連れ出そうとしているんだよ!」


 シャルロットは目を見開いた。

 彼女はこの瞬間、完全に覚醒した。

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