第15話 弾劾(2)

「歓談中のところ、失礼する。シスター・シャルロットがどこにいるか、知っている者はいるか」


 朗々としたマリユスの声が、細長い食堂の中に響き渡る。

 わずかばかりの間を置いてから、修道女のひとりがおずおずと発言した。


「具合が悪いので、自室で横になっていると聞きましたが……」

「それは本人に聞いたのか?」

「いいえ」

「誰に聞いた?」


 修道女はしばし黙考してから、「聖女候補のヴァネッサさんです」と答えた。


「ヴァネッサ」


 語気鋭く名を呼ばれたヴァネッサは、「はい!」と勢いよく立ち上がった。

 部屋の中ほどにいる彼女は、シャルロットの位置からでは表情もわからない。ただ、直立不動の姿勢から、緊張していることは伝わってきた。


「シスター・シャルロットから直接、具合が悪いと聞いたのか?」

「は、はい」

「自室まで付き添ったのか」

「いいえ。あの、本人がひとりで大丈夫だと言っていたので」

「そうか。……では、私が施療院へと連れて行く」

「え!?」


 ヴァネッサは驚愕の声を漏らした。


「な、なぜマリユス司教がそのようなことを?」

「シスター・シャルロットは寝ていれば治ると思っているのだろうが、万が一ということもある。なにかあってからでは遅い。早めに症状を見てもらった方がいいだろう」

「で、ですが、殿方が修道女の寝室に入るのは、よろしくないかと!」

「そんなことを言っている場合か? どう考えても、ここにいる誰よりも、私の方が力が強い。彼女を迅速に施療院へ運ぶには、私が適任だと思うが」


 平坦な口調で主張するマリユスに、ヴァネッサは二の句が継げないようだった。


「情報感謝する。宵越しの宴を中断させて、申し訳なかった。では」


 シャルロットが覗く隙間からマリユスの姿は見えないが、足音がこちらに近づいて来たことで、戸口に向かっているのだとわかった。

 どうするつもりなのだろう、とシャルロットが固唾を呑んでいると、「お待ちください!」という叫び声が耳を打った。

 それと同時に、足音もぴたりと止まる。


「なにか?」

「その、シャルロット本人が、大したことはないと言っていたんです。ただの風邪だって。ですから、そのように大事おおごとにする必要はないと思います!」

「それを決めるのは、医者であってお前ではない」


 必死に言い繕うヴァネッサに、マリユスはぴしゃりと言い放った。


「それにしても、妙なことだ。なぜお前は、私の行動を阻害しようとする? シスター・シャルロットの部屋へ行ってはいけない理由でもあるのか? 例えば……」


 マリユスは言葉を切って、声を低めた。


「部屋へ行っても、中はもぬけの殻。そんなところか?」


 ヴァネッサが体を揺らしたのが、遠目でもはっきりとわかった。

 食堂の空気は、氷室ひむろと化したように凍りついた。


「……シスター・シャルロットがここから出て行くのを見た者はいるか?」


 マリユスが静かに尋ねると、「はい!」と威勢の良い返事が返ってきた。

 

「私、シスター・マノンとシスター・シャルロットが、連れ立って回廊を歩いているのを見ました!」


 立ち上がって声を張り上げたのは、レリアだった。

 

「席を外すまで、私はシスター・シャルロットと一緒にいましたが、彼女は健康そのものでした。具合が悪かったなんて、とても信じられません!」


 言いたいことを言ってさっと着席するレリアに、シャルロットは頬を緩めた。

 彼女はいつだって、シャルロットの味方でいてくれる。そのことに、心の内で深く感謝した。


「シスター・マノン」

「は、はい……」


 名指しされたマノンは、のろのろと立ち上がった。


「今の証言、間違いないか?」


 一瞬の沈黙の後、マノンは「間違いありません」と震える声で肯定した。


「では、シスター・シャルロットをどこへ連れて行った?」

「……家畜小屋の前にいる……ヴァネッサさんの許へ」

「ほお」


 物音ひとつしなかった食堂に、ざわめきが広がった。


「なぜ、ヴァネッサの許へ連れて行った?」

「頼まれたんです。シスター・シャルロットを呼び出して欲しいって。そこでなにがあったのかまでは、私も知りません」


 覚悟を決めたのか、マノンは先ほどよりもしっかりとした口調で話した。


「シスター・シャルロットは体調不良だったか?」

「いいえ、全く。至って元気そうでした」

「なるほど。……さて、ヴァネッサ。シスター・マノンの証言と、お前の証言、どちらを信じるべきだろうな?」

「で……でたらめです、全部!」


 ヴァネッサは、金切り声で叫んだ。


「シスター・マノンは嘘をついています!」


 その瞬間、シャルロットは自身の耳を疑った。

 マリユスから、くつくつと笑い声が聞こえてきたからだ。あの司教でも笑うことがあるのかと、シャルロットは場違いなことを考えた。


「なかなかに愉快なことを言うな、ヴァネッサ。嘘をついているのは、お前だというのに」

「な、なにをおっしゃるのですか!」

「この期に及んで茶番を続けるのか? お前はシスター・シャルロットを自分の許へ連れて来させ、その後地下墓地に閉じ込めただろう」

「なぜそれを知って……!」


 ヴァネッサはしまったと言わんばかりに、口元を押さえた。


「語るに落ちたな」


 マリユスは、嘲るように言った。


「あいにくだが、シスター・シャルロットは私とマザー・オフェリーによって救出された。……シスター・シャルロット、こちらへ」


 呼び出されたシャルロットは、思わずベリルを見上げた。

 彼はにっこりと笑って、「大丈夫」と頭を撫でてくれた。


「行っておいで」


 それだけで、不安がほぐれていくのがわかった。

 シャルロットは頷くと、舞台に出て行くような心地で、食堂に足を踏み入れた。

 いっせいに、皆の視線が自分へと突き刺さる。


「彼女は、先ほどまで地下墓地に閉じ込められていた。……シスター・シャルロット。お前を閉じ込めたのは、ヴァネッサで間違いないな?」


 隣に並んだマリユスは、鋭い目つきでこちらを見やった。誤魔化しは許さないという視線に、シャルロットは観念した。


「……はい、そうです」

「ヴァネッサひとりに閉じ込められたのか」

「いいえ。聖女候補のノエラも一緒にいました。私とヴァネッサが来る前に、地下墓地の鍵を開けて待っていたようです」

「共犯者もいたのか」


 マリユスは眉間に皺を寄せた。


「ヴァネッサ、ノエラ。申し開きはあるか?」


 その言葉には、沈黙だけが返ってきた。

 長机に両手をついたヴァネッサは、がっくりとうなだれた。横に座っていたノエラが立ち上がり、ヴァネッサの背中にそっと手を添えた。


「シスター・シャルロットに関する低俗な噂も、お前たちが流したものだな」


(マリユス司教は、噂の内容を知っていたのですね……)


 彼は聖女選定における監督役だ。ただの噂であっても、すぐ耳に入るのだろう。

 マリユスに決めつけられても、ヴァネッサたちは反論しなかった。

 それを了承とみなし、マリユスはこの場にいる修道女たちの顔を見回した。


「皆、あのくだらない噂は、今後一切口にしないように。そもそも、毎晩部外者を引き入れているなどという噂は、騎士修道士の、ひいては統括聖庁を侮辱するものだ。肝に銘じておけ」


 噂を積極的に流していた修道女たちが、気まずそうに俯いた。


「ヴァネッサ、ノエラ。お前たちから、聖女候補の資格を剥奪する。今夜はまだ、この修道院に留まることを許そう。しかし明朝には、荷物をまとめて立ち去れ」

「そ、そんな……!」


 ヴァネッサはがばっと顔を上げると、マリユスの許に駆け寄った。


「お願いです、剥奪だけはお止めください! もう二度とこのような真似は致しません! ですから、どうか!」


 マリユスは短く息を吐いた。


「これでもずいぶん、温情を掛けているつもりなのだが。……それとも今すぐ、ここから叩き出されたいか?」


 色を失ったヴァネッサに、マリユスは軽蔑の籠もった眼差しを向けた。


「他の聖女候補を嘲弄し、妨害するなど愚かとしか言いようがない。お前のような浅ましい人間が聖女候補を名乗っているだけで、虫唾が走る。即刻、私の視界から消え失せろ」


 マリユスの口調は、身が竦むほど冷ややかだった。

 その場にくずおれたヴァネッサは、近くまでやって来たノエラに体を支えられ、食堂から退出した。

 シャルロットは複雑な思いで彼女たちを見送り、レリアから声を掛けられるまで、その場に佇んでいた。

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