第13話 救い出してくれたのは(3)

 ひとまずシャルロットは、戸口の前に座ることにした。ベリルも彼女に寄り添うようにして、すぐ隣に腰を下ろす。


 灯光が照らし出す範囲では、墓地の様子はほとんどわからない。

 先ほど移動する際、奥にちらっと光が当たったが、そこは細い通路になっているようだった。ベリルが囚われている地下墳墓と同様に、両側の壁に棺を置く穴が空いていた。違いといえば、聖堂地下の墓地が低い位置にしか開口部がなかったのに比べ、こちらは天井近くにまで穴が掘られていることだった。

 どちらにせよ、じっと眺めていたくはない光景である。


 狭い範囲しか照らせない蝋燭に、シャルロットは感謝したい気持ちになった。

 

「それにしても、こんなところに閉じ込めるなんて人の心がないのかな。暗いし、気味が悪いし、空気が籠もってるし、悪臭がするし」


 ベリルは最後の一言を特に強調すると、顔をしかめた。

 遺体の入った棺がずらりと安置されているため、この地下には死臭が染みついている。

 シャルロットですら気分が悪くなるというのに、人間よりも嗅覚が発達している彼にとっては、耐えがたい臭いだろう。


「すみません、私のせいで……。あの、辛いようだったら外に出ていてください」


 ひとりになりたくはないが、ベリルを苦しませたくない気持ちの方が強かった。

 シャルロットが申し訳なく思っていると、ベリルは勢いよく手を振った。


「いやいや、大丈夫! 実体でここにいたら気持ち悪くなっただろうけど、今はそういうこともないし。気にしないで!」

「そうですか……?」

「うん。ええっと……そうだ! なにか気が紛れる話をしよう」


 ベリルは話題を探すように宙を見つめた。


「……僕の兄弟の話ってしたことなかったよね」

「兄弟というと、<蝕>の話ですか? そうですね、なかったと思います」

「じゃあ、僕以外の<蝕>の名前ってわかる?」

「ええ。河馬の姿をしたゴシェ、鳥のラリマー、竜のアデュラですよね」

「その通り。実はね、河馬のゴシェと鳥のラリマーは、今この世界にいないんだ」

「ええっ!」


 シャルロットは目を見張った。

 

「どういうことですか? まさか、お亡くなりに? ……いえ、<蝕>は不死身でしたよね」

「あー、うん。死んだわけじゃなくって、こことは異なる世界へ行ったんだ。えーっとね、創世神話を思い出して欲しいんだけど、<白き顔の神>は柘榴から二柱の女神を創ったでしょう」

「あなたの親であるヘリオト神と、ルネット神ですね」

「そう。ヘリオトは僕たちを創った。だけど、ルネットの方はなにをしたのか言及されていないんだよね」

「言われてみれば……」


 シャルロットは聖典の冒頭に書かれた神話を思い返した。

 自らが創造した世界から、<白き顔の神>は柘榴をもぎ取る。それを半分に割り、それぞれに祝福の口づけを与えると、左半分からヘリオト神、右半分からルネット神が生まれる。

 ルネット神に関する記述はこの箇所のみで、それ以降、この女神は存在が忘れられたかのように話題に上らない。

 今まで深く考えてこなかったが、ルネット神は一体どこへ行ってしまったのだろう?

 シャルロットの疑問を読み取ったように、ベリルはその答えを口にした。


「ヘリオトと同様に、ルネットも創造の力に秀でていたんだ。だから実際には、ヘリオトが死んだ後、ルネットはこの世界――というより<白き顔の神>に愛想が尽きて、別の世界を創造した。だから、今はそっちの世界で暮らしている」


 思いも寄らない神話の裏話を聞き、シャルロットはぽかんとした。


「ルネットは<白き顔の神>に疎まれている僕たちを哀れに思って、自分が創った世界へ移住しないかと誘ってくれたんだ。その誘いに乗ったのが、ゴシェとラリマーというわけ」

「……そうだったんですか」


 驚きから覚めたシャルロットは、やっとの思いで相槌を打った。

 しかし、今の話には腑に落ちない点もある。


「あなたとアデュラは、なぜこの世界に留まったんですか?」

「えーっとね……」


 なぜだか、ベリルは言いづらそうに目を泳がせた。


「ヘリオトがいるから、かな」


 ぼそぼそとした返答に、シャルロットは首を傾げた。


「ヘリオト神は、亡くなったのでは……?」

「そうだね。でも、ヘリオトの魂はまだこの世界にある。死者の国に」


 そこまで聞いたシャルロットは、合点がいった。


「つまり、お母さまの魂を置いて他の世界へは行けなかった、ということでしょうか」

「ま、まあそうなるかな……?」


 ベリルはシャルロットから顔を背け、恥ずかしそうに肯定した。


「アデュラはヘリオトのためというより、『移動が面倒だから』なんてものぐさな理由だったけどね。……でも今にして思えば、僕のことを心配して残ってくれたのかもしれない」

「そうなんですか。素敵なご兄弟ですね」


 シャルロットが優しく微笑むと、ベリルも嬉しそうに笑い返した。


「うん。まあ、本人に言っても認めようとはしないだろうけど。……それにしても、今なにしてるんだろうあいつ。まだ寝てるのかな」

「寝ているのですか? 一体どこで?」

「たぶん、どこかの海中で。アデュラは水陸どちらでも暮らせるんだけど、さすがに地上だと目立つでしょう、竜だし。だから、目立たない深海辺りで眠っているはず」

「そうでしたか……」


 どこで眠っているにしろ、アデュラが起き出したら大騒ぎになることだろう。

 人類にとっての災厄とされる<蝕>が姿を現わせば、攻撃の的になることは必須だ。もしかすると、アデュラはそれを避けるために海中で眠っているのかもしれない。

 シャルロットが表情を暗くすると、ベリルは焦ったように言い添えた。


「あっ、アデュラは別に仕方なく眠っているわけじゃないからね! 好きなんだ、惰眠をむさぼるのが。生まれた時から眠ることしか頭にないような奴だから、今の状況には全く不満がないと思う」


 シャルロットは目をしばたたいたが、やがてくすっと笑みをこぼした。


「……竜の姿をしたアデュラは、<蝕>の中でも荒々しく恐ろしげな存在なのだと思っていました」

「ぜんっぜん! アデュラから最もほど遠い言葉だよ、それ」


 ベリルの物言いに、シャルロットは声を立てて笑った。

 彼がこんな風に遠慮のない言い方をするのは、それほどアデュラに心を開いているということだろう。

 心なしかいつもより楽しげなベリルの姿に、シャルロットはぽろりと本音を漏らした。


「……あなたがこの世界に残ってくれて、本当によかった」

「えっ」


 瞠目したベリルに、シャルロットははっと口許に手をやった。


「あっ、すみません。今あなたが置かれている状況を考えれば、手放しで喜ぶべきではないのですが……」

「ううん」


 ベリルはかぶりを振った。


「確かに、ここ四百年ほどは退屈していたけど……。でも、後悔はしてないよ。この世界を選んでいなければ、君に出会えなかったしね」


 目許を綻ばせたベリルに、鼓動がひときわ強く、胸を打った気がした。


「……私も同じことを思いました。あなたと出会えたことは、私にとってなによりの宝物です」

「そう? 僕はこうして君が閉じ込められていても、なんにもできない役立たずだよ?」


 自虐的なことを言うベリルに、シャルロットは「そんなことありません!」と声を大にした。


「ベリルがこうして駆けつけてくれて、どんなに心強いか。もしあなたがいなかったら、私は今でもひとり、絶望と恐怖に打ちひしがれていました。……あなたの存在そのものが、私を救ってくれたんです」


 ですから、とシャルロットはか細い声で続けた。


「そんな悲しいことを言わないでください。あなたは役立たずなんかじゃありません。あなたは私にとって――なくてはならない、かけがえのない存在なのですから」

「シャルロット……」


 こちらをまじまじと見つめるベリルに、シャルロットは自身の発言を思い返して赤面した。


(わ、私はなにを言っているのでしょう)


 友人としては、特に不自然な発言ではないはずだ。

 にもかかわらず、自分はなぜ、これほど動揺しているのだろう。

 おたおたするシャルロットに、ベリルはそっと手を伸ばした。


「ありがとう、シャルロット。そんな風に思ってくれて」


 ベリルの掌に、両頬を包まれる。

 生身であれば息が掛かるほどの距離に、シャルロットの鼓動はうるさく主張を始めた。


「僕たち、全く同じことを考えていたんだね。……ふふっ、両思いだ」

「りょ……」


 目を細めるベリルに、シャルロットはますます顔が熱くなるのを感じた。

 ベリルが本気でそう思っているのか、冗談で口にしたのか、判断が付かない。

 酒に酔ったように頭がくらくらしてきたところで、眼前のベリルがはっとした表情になった。


「……シャルロット」

「は、はい」

「外から、微かに足音が聞こえる。誰かこちらに来たのかもしれない」


 シャルロットは目を見開くと、背後の扉を振り返った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る