第11話 救い出してくれたのは(1)

 過去の記憶を思い返していたシャルロットは、自身が地下墓地ではなく、あの山中に座り込んでいる錯覚に陥った。


 あの後、シャルロットは修道女たちに助けられた。

 彼女が必死になって叩いた門は、竣工したばかりのエランジェル女子修道院のものだった。まだ修道女が移住する前だったので、建物には誰もいなかったのである。

 引っ越し作業のためやって来た修道女たちに発見されなければ、気力を失ったシャルロットは、山中で野垂れ死んでいたかもしれない。


 あの時は運良く助けが来た。しかし、現状は違う。

 ヴァネッサは、宵越しの宴が終われば扉を開けると言っていた。だが、もしそれが嘘だとしたら? 目障りなシャルロットを片付ける絶好の機会だと、彼女が考えていたとしたら。

 シャルロットは身震いして、一層強く膝を抱え込んだ。

 今彼女が恐ろしく思っているものは、ヴァネッサの悪意でも、墓場に閉じ込められていることでもない。

 この暗闇に、ひとりきりであることだった。


 ここにいると、山中で泣き明かした夜のことがまざまざとよみがえってくる。

 父に捨てられた己は、なんの取り柄もない、無価値な人間なのだと思い知らされた気がした。

 そして身寄りのなくなった自分は、たったひとりで生きていかなければならない。その孤独感に、押し潰されそうになる。


 幼い頃はともかく、長じてからは夜半に目覚めてもじっと耐えてきた。だが本当は、叫び出したいほどに恐ろしかった。誰でもいい、自分以外の人間に寄り添ってもらいたかった。


(ひとりは嫌。ひとりは嫌だ)


 昔のように、身も世もなく泣き喚きたかった。しかし、わずかに残った自尊心が、そうすることを許さない。

 代わりに、シャルロットは声を発した。


「助けて」


 一言口に出すと、堰を切ったように気持ちがほとばしった。


「助けて……。助けて、ベリル!」


 シャルロットの脳裏に過ぎったのは、心優しい<蝕>の姿だった。

 一度思い浮かべてしまうと、彼のことがたまらなく恋しくなってしまった。

 様々な思いが糸のように絡み合い、シャルロットはわけもわからず涙を流した。


「うっ……」


 嗚咽を堪えていたシャルロットは、ふと冷気が頬を撫でたことに気づいた。窓もないのに、隙間風が入り込んできたかのようだった。


「シャルロット?」


 突如、聞き馴染みのある声に名を呼ばれ、シャルロットはまばたいた。

 今のは幻聴だろうか。恐慌状態に陥って、ついに耳までおかしくなったのだろうか。


「そこにいるの、シャルロットだよね?」


 はっきりとした声が、耳に入ってくる。

 こんなに都合の良いことがあるのだろうか。期待と不安がない交ぜになった気持ちで、シャルロットは恐る恐る口を開いた。


「ベリル……?」

「うん、僕だよ。……シャルロット、泣いてたの? あっ、そうか。こんな闇の中だと怖いもんね」


 どうやら正真正銘、ベリルがここに来てくれたようだった。

 彼はあたふたとした様子でそう言うと、しばし無言になった。


「シャルロット、今立てる? 左手の壁掛け棚に、燭台と、火付けの道具が置いてあるみたいなんだ。それでひとまず、灯りをつけよう」


 ベリルはこのような暗闇でも多少は目が見えるらしく、シャルロットを燭台の許まで誘導した。

 ベリルに言われた通り壁に手を這わせると、小さな固い板に手が当たった。その上に、燭台と火打ち石、火打ち金などが乗っているようだった。

 手探りでそれらを下ろしたシャルロットは、蝋燭に灯りを灯した。

 しばらく暗がりにいたために、小さな灯火も太陽のように眩しく感じられる。眼球に突き刺さるような光をまばたきしてやり過ごしていると、次第に目が慣れてきた。


 床に横座りになっていたシャルロットは、しゃがみ込むようにしてこちらの顔を覗き込むベリルの姿を認めた。

 心配そうな面持ちをする彼と目が合った瞬間、シャルロットは衝動的に動いた。


「わっ! シャルロット!?」


 ベリルにぶつかるようにして、シャルロットは彼に抱きついた。

 当然、実体を伴わない彼を本当の意味で抱き締めることはできない。空気を抱えているようなものだ。しかし、それでも構わなかった。


「ベリル……」


 一度は引いた涙が、再びあふれ出てくる。

 シャルロットはしゃくり上げながら、ベリルの肩に顔を埋めた。

 ベリルが傍にいるだけで、石のように強張っていた心身から、力が抜けていくのがわかる。


 うろたえているのか、ベリルは束の間なにも言わなかった。だがほどなくして、背にひんやりとした空気が触れた。


「もう大丈夫だよ」


 ベリルはシャルロットの背を撫でながら、穏やかな口調で言った。


「君はひとりじゃない。……少なくとも今は、僕が傍にいるから」


 乾いた大地に降り注ぐ恵みの雨のように、その言葉はシャルロットの心の隅々にまで染み渡った。


「ずっと……」

「うん?」

「ずっと、傍にいてください。私を、離さないでください」


 嗚咽の合間に、シャルロットは震える声で懇願した。


「……うん、傍にいるよ。君が望む限りは、ずっと」


 自分も彼も、それが叶わないことなど十分に承知している。

 それでも、シャルロットにはその言葉が必要だった。

 彼女は六歳に戻ったかのように、わんわんと泣きじゃくった。

 ベリルが背を優しく撫でるたびに、山中に捨てられた時の自分も、救われていくような気がした。

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