第9話 闇夜の記憶(2)

 ヴァネッサが足を止めたのは、敷地の東側に位置する地下墓地への入り口だった。

 ここは聖堂地下の墓所とは違い、修道女のためのものだ。

 地下へ下りる階段の前で、ヴァネッサはシャルロットに向き合った。


「単刀直入に言うわ。あんた、聖女候補を降りる気ない?」

「なにを言って――」

「あんたが降りるなら、例の噂の火消しを手伝ってあげる」


 思いも寄らない提案に、シャルロットは眉根を寄せた。


「火消しとは……具体的に、なにをするのですか」

「あんたは被害者だって周りに話すのよ。あんたを邪魔に思った聖女候補の誰かが、蹴落とそうとしてやったことだって」


 それはそのまま、ヴァネッサがやったことではないか。

 まさか、自分が犯人だと名乗るつもりはあるまい。


「その首謀者は、誰にするつもりですか」

「マノンよ。かわいそうに、あの子は自分に自信がないから、こんな手段に訴えるしか方法がなかったのね」


 ヴァネッサは、さもマノンが犯人であるかのように言ってのけた。

 哀れむような物言いに反して、やけに抑揚をつけた話し方がこちらの神経を逆撫でする。


「……そうやってマノンを排除するわけですね。その後は、私に同情する様を周囲に見せつけて、心優しい聖女候補を演出するといったところでしょうか」


 シャルロットはそこで言葉を切ると、ヴァネッサを視線で射抜かんばかりに睨み付けた。


「馬鹿にするのも大概にしてください。それを良しとするほど、私は性根が腐っていません」

「……なんですって?」


 ヴァネッサは顔を険しくした。


「ヴァネッサ、あなたはこんな方法で聖女の座を勝ち得たとして、虚しくならないのですか? 人を欺き、貶め、気持ちを踏みにじるような真似をして、それでも平気な顔をしていられると? もしそうなら、私はあなたが<剣の聖女>になることを見過ごすわけにはいきません。あなたのように姑息な手段を使わず、正々堂々と戦って<剣の聖女>になってみせます」


 シャルロットはひと息つくと、憤りにまかせて声を張った。


「あなたは<剣の聖女>どころか、聖女候補としても相応しくありません。恥を知りなさい!」


 ヴァネッサはわなわなと体を震わせた。手に持った燭台が小刻みに揺れ、蝋燭の炎が揺らめく。


「あんたに……あんたなんかに、私のなにがわかるっていうのよ!」


 ヴァネッサは大股でシャルロットの目前まで迫ると、胸ぐらを掴みあげた。


「正々堂々と戦って<剣の聖女>になる? そりゃあ、あんたにはできるでしょうよ! あんたは私よりも美人だし、元々修道院で暮らしてきたから知識も教養もある。善良な性格で、皆から慕われてもいる。その上、マリユス司教から目を掛けられてるんじゃ、私に勝ち目なんてあるはずがないじゃない!」


 ヴァネッサは絶叫した。


「こうでもしなきゃ、あんたに勝てない! <剣の聖女>になれないのよ! あんたがお綺麗な考えを並べ立てられるのは、あんたがなにもかも持っているからよ。なにも持っていない私には、これ以外の道なんてあるはずがないでしょう!?」


 そこまで言うと、ヴァネッサは勢いよくシャルロットを突き放した。

 よろけたシャルロットは、肩で息をするヴァネッサを呆然と見つめた。


(ヴァネッサは私に敵わないと思っていた……? だから、私に対してあれだけ当たりが強かったのでしょうか)


 そういうことだったのか、と納得すると同時に、シャルロットは気になることがあった。

 ヴァネッサの<剣の聖女>への執心は並大抵のものではない。恐らく、自分と同等か、それ以上のもののように思われる。


「……ヴァネッサは、どうして<剣の聖女>になりたいのですか?」


 シャルロットが静かに尋ねると、ヴァネッサは俯きがちに答えた。


「地位も名声も手に入るし、マリユス司教と同じ職場で働ける。それ以外に、理由なんてあるの?」

「それは、汚い手を使ってでも手に入れなければならないものですか」

「当たり前じゃない! 地位があれば、なんだって手に入る。食事も、住まいも、服も!」


 ヴァネッサは顔を上げると、ぎりぎりと歯を食いしばった。


「そんなことも考えつかないなんて、やっぱりあんたは恵まれていたんだわ。一日一日を生き抜くにも精一杯だった私と違って」


 そこでシャルロットは、ヴァネッサが貧しい家の出だという話を思い出した。

 彼女の言う通り、自分は恵まれているのだろう。父と暮らしていた時も飢えることはなかったし、清貧を掲げる修道院に拾われてからも、やはり食べ物に困ることはなかった。住む場所も、着る服もあった。


(確かに私は、ヴァネッサのことをなにもわかっていませんでした)


 どんな思いで、聖女選定にのぞんでいるのか。なにを思って、自分の悪評を流したのか。

 それを知ろうと努力していれば、彼女に歩み寄ることもできたのだろうか。

 沈痛な面持ちをするシャルロットに、ヴァネッサはせせら笑った。


「なに、同情でもしたの? ずいぶんとお優しいことね。あんたのそういうところ、本当に反吐が出る」


 ヴァネッサは吐き捨てるように言い放つと、シャルロットの許へつかつかと歩を進めた。

 そのままシャルロットの腕を掴むと、ヴァネッサは地下墓地へ向かう階段を下り始めた。


「なにをするんですか」

「ねえ、シャルロット。私に同情するなら、ひとつぐらいくれてもいいじゃない。その顔も、知識も、性格も与えるのが無理なら――聖女の座を、私にちょうだい」


 ヴァネッサは問いかけを無視して、シャルロットを引きずるようにして階段を下りた。


「……離して下さいっ!」


 階段の中ほどでシャルロットが足を踏ん張ると、ヴァネッサは前方を向いたまま「ノエラ」と言った。

 その時、階段の最下部から何者かが上ってきた。

 ヴァネッサの持つ灯りが、その人物の顔を照らし出す。

 こちらへ近づいてくるのは、ヴァネッサと仲の良い聖女候補・ノエラだった。

 まさか他に人がいるとは思っていなかったシャルロットは、唖然として彼女を見つめた。

 ヴァネッサが顎で後方を示すと、ノエラは心得たように頷き、シャルロットの背後に回り込んだ。

 ノエラに両肩を掴まれたシャルロットは、前方へと押し出され、つんのめりながら一段下りた。

 こうなっては、最早階段を下っていくしかない。

 逃げ出すこともできず、シャルロットは墓地の扉の前まで連れて来られた。


(扉が開いている……?)


 灯光に照らされたのは、ぽっかりと口を開けた入り口だった。その奥にあるものは、真っ黒に塗りつぶされたように判然としない。

 シャルロットは背筋の凍る思いでそれを凝視した。


「いくらあんたでも、この中に入れば少しは頭が冷えるんじゃない? よく考えておいて。あんたにとって、どうするのが最適なのか」


 ヴァネッサが腕を離した瞬間、シャルロットは後ろから突き飛ばされて、墓所の中に倒れ込んだ。

 石造りの床に体を打ち付け、痛みに呻いているうちに、眼前の扉が勢いよく閉まった。

 鍵が閉まるがちゃがちゃとした音に、シャルロットは全身から血の気が引いていくのを感じた。


「あんたは体調不良で寝ていることにしておくから、誰も探しに来ないわよ。宵越しの宴が終わったら開けてあげるから、それまでの間、自分の進退について考えておくことね」


 ヴァネッサは冷たくそう言ってから、ノエラと共に階段を上り始めたようだ。彼女たちの足音が、徐々に遠ざかっていく。

 シャルロットは上体を起こしたものの、あまりのことに思考が停止し、身動きできなかった。

 閉じ込められたのだと認識する頃には、既にヴァネッサたちの足音は聞こえず、耳が痛くなるほどの静寂だけが辺りを包み込んでいた。

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