第8話 闇夜の記憶(1)
夏至祭二日目、シャルロットはつつがなく店番を終えた。
相方の修道女は親切で目端が利き、慣れないシャルロットを逐一助けてくれた。冷淡な人だったらどうしようかと気を揉んでいたので、シャルロットは彼女と組めた幸運を<白き顔の神>に感謝した。
今夜開催される「宵越しの宴」をもって、夏至祭は終了となる。
宵越しの宴とは、<蝕>を追い払うための風習だ。古来より夜通し火を絶やさず、賑やかに過ごすことで、<蝕>が近寄ってこないと信じられてきた。
夏至が終わろうとする今晩、<白き顔の神>の力は弱まり、反対に<蝕>が力を増す。
<蝕>が住み処から出てきて辺りを闊歩するため、人々は暗くなる前に家に籠もり、日が完全に沈んでから宵越しの宴を始めるのである。
無論、シャルヴェンヌ女子修道院でも宵越しの宴は行われる。
食堂に集まった修道女たちは、滅多にないご馳走を食べながら楽しいひとときを過ごす。普段、食事中は沈黙を守らなければならないが、この時ばかりは会話を許されていた。
現在、食堂の長机には、所狭しと料理が並べられていた。
長机の前に着席したシャルロットは、頬を紅潮させてそれらを順繰りに眺めた。
白パンにポークソテー、魚と豆の煮込みやオムレツにグリーンサラダ。デザートには蜂蜜ケーキやイチジクのタルトなど、普段の慎ましやかな食事ではお目にかかれないようなものばかりだ。
「ポークソテーがありますよ、レリア!」
「……昨日から思ってたけど、シャルロットって肉好きだったのね。意外だわ」
興奮気味にしゃべるシャルロットに、隣に座ったレリアは目を丸くした。
<白き鏡>教では肉食を禁じていないが、肉類は基本的に高価なため、祝宴以外では口にしないのである。
修道院長の挨拶が終わると、普段の粛々とした空気が嘘のように、食堂は騒がしくなった。
通常の食事は席順が決まっているが、こうした祝宴の日は思い思いの場所に座ることができる。シャルロットとレリアは出入り口に近い席に座り、様々な料理を口に運びながら味の感想を言い合った。
「シスター・シャルロット」
レリアが手洗いのために席を外した時、シャルロットは背後から呼び掛けられて振り向いた。
そこに立っていたのは、同じ聖女候補であるシスター・マノンだった。彼女はシャルロットと同じく余所からやって来た修道女であり、隣の部屋の住人でもある。
マノンは十六歳という年の割には小柄で、気弱そうな面差しをしていた。
今も彼女は、おどおどとした目つきでこちらをうかがっている。シャルロットを怖がっているのではなく、万事この調子なのである。
「あの……ちょっといい?」
「はい、なんでしょうか」
「葡萄酒が足りなくなりそうだから持ってくるように言われたんだけど、ひとりだと持ちきれないみたいなの。その……よかったら、手伝ってくれる?」
「ええ、もちろんです」
シャルロットは快く引き受けると、すぐに立ち上がった。
マノンとは親しくしていないので、自分を頼ってくれたのは意外ではあったが、嬉しくもある。シャルロットの噂を気にせず話し掛けてくる若い修道女は、貴重な存在だった。
マノンはほっとしたように頬を緩めると、礼を述べてから回廊へ出た。
左の角を曲がればすぐに酒庫の入り口に辿り着くが、マノンは扉を通り過ぎ、直進した。
「マノン、貯蔵庫はそちらでは……」
「ううん、こっちで大丈夫」
マノンはやけにきっぱりと断言すると、そのまま回廊から外に出た。
シャルロットは不審に思ったが、ひとまず着いていくことにした。マノンの真意を探るには、そうするほかあるまい。
外へ出ると、辺りは暗闇に包まれていた。昨夜とは違い、何台もの枝付き燭台を使った明るい部屋から来たため、目が慣れるまでに時間が掛かりそうだ。
灯りを持たずにどこへ行くのだろうか、とシャルロットが不安を覚えていると、前方にぽつりと灯火が見えた。
家畜小屋の前に、誰かが立っている。
マノンは、その人物の許へ向かっているようだ。彼女はどんどん早歩きになり、仕舞いにはほぼ駆け足になった。
小走りで後を追ったシャルロットは、火明かりに照らされた顔がはっきりとわかると、目を見開いた。
「ヴァネッサ?」
名を呼ばれたヴァネッサは、無表情にシャルロットを見返した。
「これでいいんでしょ……?」
震える声でそう尋ねたマノンに、ヴァネッサは「戻っていいわよ」と告げた。
その一言を聞くや否や、マノンは脱兎のごとくその場から駆け去った。
「……これは一体、どういうことですか」
目の前で交された会話に、シャルロットは顔を強張らせた。
「マノンを使って、私をおびき出したということでしょうか」
「おびき出すだなんて人聞きが悪い。私はただ、あんたと話がしたいだけよ」
ヴァネッサは大仰に肩をすくめた。
「私やノエラが呼んだら、警戒して付いてこないかもしれないじゃない。その点、マノンならあんたも素直に言うことを聞くんじゃないかと思って」
確かに、まんまと騙された。まさか、マノンがヴァネッサに協力するとは思っていなかったのだ。
(あの様子では、脅されて仕方なくやったのかもしれないですね……)
シャルロットのように不名誉な噂をばらまかれたくなかったら、協力しろとでも言われたのだろう。
気弱なマノンを従わせるなど、ヴァネッサにとっては赤子の手を捻るより簡単だったに違いない。
マノンに対して申し訳ない気持ちになると同時に、彼女を巻き込んだヴァネッサに対し、怒りが込みあげてきた。
「それで、話とはなんですか」
「ここは食堂から近すぎるから、場所を変えるわ。人に聞かれたくないし」
「……わかりました」
逡巡したものの、シャルロットは承諾した。
今を逃せば、ヴァネッサと一対一で話す機会などそうそう訪れないだろう。これを機に、シャルロットも聞きたいことがあったのだ。
――なぜ、出会って間もない頃から自分を敵視しているのかと。
「付いてきて」
背を向けて歩き出したヴァネッサに、シャルロットは無言で従った。
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