第7話 星明かりの下で(2)

 就寝前、寝具に潜り込んだシャルロットは、ベリルに夏至祭の様子を聞かせていた。

 日が沈んだのは先ほどだが、鎧戸を閉めているため、室内は真っ暗だ。

 最近の習いで蝋燭は灯していないが、ベリルが傍にいる限り、暗闇を恐ろしく思うことはなかった。


「へえ、そんなものがあったんだ。見てみたかったなあ」


 薔薇の蝋燭について話すと、寝台に腰掛けたベリルは興味深そうに言った。

 ――厳密に言えば、彼は物に触れられないため、寝台からはわずかに浮いているのだが。


「ベリルへのお土産として買えたらよかったのですが」


 いかんせん、先立つものがない。

 しょんぼりするシャルロットに、ベリルはぶんぶんと手を振った――ように見えた。暗がりで見るベリルは輪郭が曖昧になり、挙動もよくわからないのだ。


「いやいや、気にしないで! 僕はシャルロットの話が聞ければそれで十分だよ。それにもしお金を持っていても、手が届かなかったんじゃないかな」

「あ、やっぱり高かったんでしょうか」


 そう言えば、店主に値段を聞かなかった。

 どのみち買えるものではなかったので、値段のことはすっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「その薔薇、蜜蝋でできてるんだよね。蜜蝋蝋燭って今も高いの?」

「ええ。蜜蝋は大量の巣を使っても少ししか採れませんから」

「じゃあ原材料の蜜蝋に、本物の薔薇そっくりに作れる技術料、北方からここまでの運搬料や諸々の経費を足せば、相当な金額になりそうだね。裕福な中産階級か、下手したら王侯貴族にしか買えない代物かも」

「そ、そんなに……」


 シャルロットは青ざめた。

 あの時、値段を聞かなくてよかった。根っからの庶民である自分にとっては、高価な品というだけで気後れしただろう。じっくり観察することもなく、そそくさと立ち去っていたに違いない。


「そう。だから、土産話だけで大満足だよ! こんな風に外の話を聞く機会って、ほとんどないからね。僕にとっては貴重な情報源だよ」

「そうでしたね……」


 ベリルの境遇を忘れたわけではないが、改めて本人の口から聞くとやるせない気持ちになる。

 己の見聞きしたことが少しでもベリルに伝わるように、もっと微に入り細を穿って話そうと、シャルロットは決心した。

 

「なんにせよ、王都を堪能できたみたいでよかったよ。君が楽しそうだと、僕も嬉しい」


 ベリルの優しい声色に落ち着かない心地になり、シャルロットはもぞもぞと体を動かした。


「あなたも一緒にいたら、もっと楽しめたのですが」


 ずっと考えていたことが口から滑り出て、シャルロットは瞬時に後悔した。

 このようなことを言っても、ベリルを困らせるだけだ。決して修道院から離れられない彼に対して、配慮に欠ける発言だった。

 シャルロットが深く反省する一方、ベリルはたいして気にした素振りを見せず「そうだね」と答えた。


「なんらかの方法で、君と夏至祭を楽しめたらいいんだけど……」


 ベリルはうーん、と唸っていたが、ややあって「そうだ!」と叫んだ。


「シャルロット、ダンスをしよう」

「ダンス……ですか」


 突拍子もない発言にシャルロットが困惑していると、ベリルはうきうきとした調子で説明を始めた。


「今はどうか知らないけど、昔は夏至祭と言えば焚き火の周りで踊ったんだよ。それに倣って、ふたりで踊ったらどうかな? さすがに火は焚けないけど」


 ベリルと共に踊る。それはとても魅力的な誘いだが、ひとつ問題点があった。


「あの、踊るのは大歓迎なのですが……この狭い部屋では、少々難しいのでは」

「うん。だから、外でやろう! あ、例の噂があるから心配? 僕が聖女候補と修道女たちの様子を見て回るから大丈夫だよ。全員寝入っていることが確認できたら、外に出ればいい」


 確かに、シャルロット以外に姿が見えず、壁や扉を物ともしないベリルであれば、偵察などお手の物だろう。

 できることならベリルの提案通りにしたいが、醜聞を撤回しようと努力している今、疑われるような行動は避けたい。

 悩むシャルロットに、ベリルは「やっぱり難しいかな」と気落ちした様子で言った。


「……ごめん、考えなしの提案だったね。今君の置かれている状況を思えば、そんなことできるはずが――」

「いえ、やります」


 ベリルの言葉を遮って、シャルロットは素早く告げた。


「あなたと過ごす夏至祭は、これっきりでしょうから。思い出を作るためにも、踊っておきたいです」


 そう口に出した瞬間、シャルロットの胸はずきりと痛んだ。

 夏至祭をベリルと楽しむには、今をおいて他にはない。聖女選定が終われば、彼とは恐らく、二度と会えないのだから。

 今更のように気づいたその事実に、シャルロットは打ちのめされた。

 だがそれと同時に、外でベリルと踊る踏ん切りも付いた。


「そうか……そうだよね。ありがとう、シャルロット」


 ベリルも同じ気持ちなのか、どこか寂しげな口調で礼を述べてきた。

 湿っぽい空気を払うため、シャルロットは殊更声を弾ませて尋ねた。


「今から外に行きますか? それとも、もう少しお話してからにしましょうか」

「うーん、もう少し時間を置いてからにしようか。外もまだ少し明るいし」


 かくしてシャルロットは、こっそりと館から抜け出すことになった。





 ベリルが皆の様子を念入りに確認した後、シャルロットは彼に先導してもらいながら、すっかり暗くなった戸外に足を踏み出した。

 目立たぬように灯火を持っていない上、今夜は新月だ。夜目の利くベリルがいなければ、周囲になにがあるのかわからず、一歩も動けなかっただろう。

 忍び足でそろそろと歩いていたシャルロットは、「ここにしようか」というベリルの一声に肩の力を抜いた。


 当初より目が慣れたシャルロットは、ぐるりと辺りを見渡した。

 そこは敷地内の南西に位置する、穀物庫の傍だった。客人の館から見ると、聖堂を挟んだ反対側にある。

 左手には家畜小屋、右手には粉ひき所、背後には石壁がある。なるほど、ここならば人目を気にする必要はなさそうだ。


 ふと空を見上げたシャルロットは、感嘆の声を漏らした。

 紺色の布地に金剛石を散りばめたような、見事な星空だった。月が隠れているために、星の光もはっきりと見えるのだろう。

 見渡す限り広がる星空を眺めていると、あまりの広大さに、自身の存在が覚束なくなってくる。

 夢見心地で夜空を眺めていると、ベリルも「綺麗だね」とシャルロットに賛同した。


「ダンスをするのにおあつらえ向きだね」


 嬉しそうに言うベリルに、シャルロットは申し訳なく思いながら打ち明けた。


「あの、ベリル。実は私、ダンスを踊ったことがなくて……」

「大丈夫だよ! 農村で踊ってたやつなら簡単だし、初心者でもすぐに踊れるよ」

「そうでしょうか」


 なおも不安がるシャルロットの手に、突如ひんやりとした空気が触れた。

 ベリルが自分の手を握ったのだと、一拍遅れて気がついた。


「楽しめればそれでいいんだよ。もし失敗したとしても、僕しか見てないんだから、気にする必要はない」

「それもそうですね」


 シャルロットはようやく微笑んだ。

 朧気ではあるが、室内にいた時よりもベリルの姿が視認できる。彼はいったんシャルロットの手を離すと、今度は優雅に手を差し伸べた。


「お手をどうぞ、美しいお嬢さん。僕と踊っていただけますか?」

「……はい」


 ベリルらしからぬ気取った物言いに、お世辞とはわかっていても頬が熱くなってしまう。

 シャルロットははにかみながら、霞のようなベリルの手を取った。





 ベリルが教えてくれた踊りは単純な動きのみで構成されていたので、シャルロットもすぐに覚えることができた。

 ベリルと向かい合わせになって、彼が広げた両手の上に手を載せる。彼が歌う民族音楽に合わせて横に移動したり、足踏みしたり、手拍子を鳴らしたりする。単調な動きの繰り返しだが、シャルロットは段々楽しくなってきた。


「シャルロット、飲み込みが早いね。これなら他の踊りもできそう」

「他にも踊れるんですか?」

「そりゃあ、もちろん。昔は世界中を旅していたから、ありとあらゆる踊りを知っているよ。……まあ見物しただけで、実際に踊ったことはないんだけど」

「ということは、こうして踊るのは、ベリルも初めてだったんですか」

「うん。あっ、どこか不自然だった?」

「いいえ、全く! 動きがなめらかだったので、てっきり慣れているのかと思っていました」

「あはは、そう思ってくれたのならなにより」


 いくら簡単な踊りとはいえ、眺めただけでこれだけ踊れるのは、なかなかできることではない。

 ベリルの意外な特技に感心しつつ、シャルロットは次の踊りを教えてもらった。


「僕の腕に右腕を通して、曲げて。そうしたら、右方向にスキップしながら回るんだ。そうそう、上手上手!」


 ベリルの表情はよく見えないが、彼が心から楽しんでいるであろうことは、声を通して伝わってくる。

 彼の様子に、シャルロットの胸はじんわりと温かくなった。


(ずっとこうしていられたらいいのに)


 修道女たちから反感を買っていることも、ベリルとの別れが迫っていることも忘れ、ただひたすらに踊っていたかった。

 寝静まった修道院には、自分たち以外誰もいないような錯覚を覚える。

 このふたりだけの世界で、誰はばかることもなく一緒に過ごせたら、どんなに幸せだろう。


(私はなにを……)


 ふと我に返ったシャルロットは、己の思考に動揺した。

 この修道院にやって来たのは、<剣の聖女>としての資質があるか見極めてもらうためだ。それ以外のことに心を傾けるなど、あってはならない。

 そう言い聞かせても、弾むように踊るベリルを前にすると、自身を戒める気持ちなど綿毛のようにふわふわと飛んで行ってしまう。


 ――今だけは、自分に許してもいいだろうか。共に踊る麗しい<蝕>のことだけ、考え続けることを。


 胸に湧き起こる様々な思いに蓋をして、シャルロットは間近にいるベリルを見つめながら、彼の指示に耳を澄ませた。

 降るような星空の下、ベリルと踊ったこの夜のことを、自分は生涯忘れないだろう。

 半透明なベリルの両手を握りしめるようにしていたシャルロットは、折り曲げた指にそっと力を込めた。

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