第3話 青息吐息

 就寝前の祈りを終えて部屋に戻ったシャルロットは、ベリルに迎え入れられた。


「お疲れさま!」

「こんばんは、ベリル」


 鎧戸を閉め、書き物机に置いた燭台の蝋燭に、素早く火を灯す。

 そうしてシャルロットは、倒れ込むように寝台に腰掛けた。


「どうしたの、シャルロット!」


 ベリルは目を見張って、あたふたとシャルロットを覗き込んだ。


「具合でも悪い? 今日はもう休んだ方がいいんじゃ」

「いえ、大丈夫です。……すみません、少し疲れてしまって」


 シャルロットの弱々しい微笑みに、ベリルは顔を曇らせた。


「なにかあった?」

「……いえ、特には」

「嘘だね」


 ベリルは断言した。


「シャルロットの『大丈夫』は当てにならないって、最近学んだんだよね」


 腕を組んだベリルは、胡乱げな眼差しを寄越してきた。

 大丈夫だと口にした傍から体調不良になったシャルロットを、ベリルは信用しないことにしたらしい。

 気まずくなったシャルロットは、苦笑いを浮かべた。


「……どうしても言いたくないなら、無理にとは言わないけど」


 ベリルは一歩分距離を詰めると、シャルロットの肩にそっと手を触れた。


「なにか悩みごとがあるなら、聞かせて欲しいな。解決策が思い浮かばなかったとしても、話すことですっきりすることってあるし」


 それは一理あるかも知れないと、シャルロットは思った。

 彼女はしばし躊躇したが、やがて心を決めると話し始めた。


「実は――」





 事のあらましを聞いたベリルは、憤懣やるかたないといった風情で拳を握った。


「なにそれ! まさか、その噂を全員信じたの!?」

「全員ではないと思いますが……」


 シャルロットは言葉を濁した。


「一昨日から、夏至祭で販売する蝋燭作りを担当していたんです。ですが、今日の午前中……」


『シスター・シャルロット。あなた、この仕事はもうやらなくていいわ』


 そう、指導役の修道女から宣告されたのだった。

 無論、シャルロットは納得できずに理由を聞いた。

 それに対する返答は、「単純作業である蝋燭作りに、三人も必要ないから」というものだった。

 しかし、それが本心とは思えない。その証拠に、修道女の自分を見る目には、嫌悪と侮蔑が浮かんでいた。

 つまり、シャルロットは厄介払いされたのである。


「午後に仕事を探したのですが、どこも人手が足りていると断られてしまい……。幸い、この前まで働いていた薬草園で受け入れてもらえましたが」

「やっぱり、ほとんどの人間が噂を鵜呑みにしているってことじゃないか! 信じられない!」


 憤慨するベリルに、シャルロットは首を横に振った。


「いえ、本当に人手が足りているところもあったと思います。……思うに、私を敵視するのは、マリユス司教に憧れを持つ方ではないでしょうか」

「どういうこと?」


 ベリルは眉間に皺を寄せた。


「マリユス司教は職務に忠実で、誰に対しても素っ気ない方です。そんな方が、お見舞いとは言え誰かに花束を贈るなど、皆さんにとっては信じがたいことなのでしょう。私が虚言を言っているように聞こえたのかもしれません」

「つまり、皆の憧れの存在であるマリユス司教が、そんなことするわけないだろうって怒ってるの? 嘘をつくならもっとましな嘘をつけって?」

「そういうことです」


 ベリルは突如、自身の真珠のように白い髪をかきむしった。


「あー、もう全然分からない! 人間を観察してきて結構な年数が経つけど、こういう機微はちっとも理解できないなあ!」


 同じ人間ではあるが、それに関してはシャルロットも同感だった。

 共感を込めて頷くと、彼女は話を戻した。

 

「あの発言で、私はマリユス司教の信奉者を敵に回してしまいました。私に悪感情を抱いた彼女たちは、醜聞を積極的に広めようとするでしょう。私を聖女候補から落とすために」


 シャルロットは目を伏せた。


「うかつでした。私が不用意な発言をしなければ、噂を信じる人は少なかったかも知れません」


 ベリルは長いため息をついた。


「だとしても、どうして信じるかなあ。シャルロットと一緒に過ごしていれば、身持ちが悪いだなんて微塵も思わないでしょう、普通」


 そこまで口にして、ベリルははっとした表情になった。


「……もしかして、僕とこうして話しているから噂になったのかな。元凶は僕?」


 ベリルが顔を青くしたので、シャルロットは即座に否定した。


「それは違うと思います。あなたの声は他の方には聞こえませんから、私たちの会話を聞き取るのは不可能です」

「でも、シャルロットの声は聞こえるわけだから、やっぱり誰かと話しているって思うんじゃない?」

「私もその可能性は考えました。ですが、近くを通りかからないと声は聞こえないですよね。この部屋は一番端に位置していますから、用がない限りここまでは誰も来ないんです」

「なるほど、通りすがりにシャルロットの声が聞こえたって線は薄いのか」


 ベリルは納得したように頷いたが、不意に眉をひそめた。


「隣の人間に聞かれたってことはない? まさか、ヴァネッサが隣じゃないよね」

「ええ、ヴァネッサではありません。マノンという聖女候補です」

「その子はヴァネッサと仲が良いの?」

「いえ、特には。人見知りなのか、ひとりでいることが多い子です。私のことを告げ口するようには見えませんが……」

「でも、念のため注意しておいた方がいいんじゃない」


 ベリルが心配そうな顔つきになったため、シャルロットは安心させようと笑みを向けた。


「気をつけます。ですが、ベリル」

「なに?」

「もう私と話すのはやめる、とは言わないでくださいね。この時間は私にとって、かけがえのないものですから」


 後顧の憂いを断ちたいのなら、今後ベリルとは会わない方がいいのだろう。

 ベリルへ向けた話し声が漏れ聞こえていたとしたら、噂の信憑性を高めることに繋がりかねない。

 そして、今まで深く考えていなかったが、ベリルは歴とした男性である。こうして自室に招き入れて談笑するなど、本来であれば許されないことだ。例え、彼が生身の姿でないとしても。


 ――そう頭ではわかっていても、心は頑是がんぜない子供のように嫌だと叫んでいた。

 ベリルと会えなくなることを想像するだけで、胸が切り裂かれるように痛む。

 彼と他愛ない話をする時間は、シャルロットにとって心地よく、手放せないものになっていた。この時間が、永遠に続いて欲しいと思えるほどに。


 シャルロットの言葉に目を丸くしたベリルは、「もちろん!」と嬉しそうに笑った。


「僕だって、君との時間を楽しみにしているんだ。いい加減な作り話のせいで君と会えなくなるなんて絶対嫌だし、噂を流した人間にしてやられたみたいで腹が立つ」

「ベリル……」


 最後は苛立たしげに言い放ったベリルに、シャルロットは場違いとは思いながらも、口元が緩むのを抑えられなかった。


(ベリルも同じ思いだったんですね)


 そのことを噛み締めているシャルロットとは対照的に、ベリルは剣呑な目つきで口の端を上げた。


「今流れている噂よりも大きな出来事が起これば、皆そっちに関心が行くよね」

「ええ」


 なにを言い出すのだろうと不思議に思いながら、シャルロットはベリルを見上げた。


「じゃあ、やろうかな」

「なにをですか?」

「そうだな……。ヴァネッサの部屋を崩壊させるとか、家畜を全部逃がすとか、聖堂の屋根を吹っ飛ばすとか、<白き顔の神>の神像を真っ二つにするとか」

「ええ?」


 シャルロットは唖然とした。

 温厚なベリルらしからぬ、物騒な発言である。いや、それ以前に――。


「ベリル、その……。今の状態で、どうやってそんなことができるんですか?」

「あれ、言ってなかったっけ。僕はヘリオト神から、人間を支配し守護する存在として生み出されたんだ。だから人間と、人間が作り出したものすべてを操ることができる」


 なんてことない調子で告げられた事実に、シャルロットは言葉を失った。


「ベリルは……」


 ややあって、シャルロットは半ば呆然としながら口を開いた。


「神様のような存在なのですね」

「うーん、どうだろう。ヘリオトの考えでは、そうだったのかもしれないね。でも、この世界を創った<白き顔の神>はそれが気にくわなかったらしい。自分が支配する世界を、僕たちに乗っ取られるんじゃないかって。だから、僕たちを反逆者ということにして、怪物という役割を押しつけた」


 ベリルは淡々と語った。


(<白き顔の神>がそのようなことをしていたとは)


 慈悲深い神として信仰してきた身としては、にわかには信じがたい内容だった。

 動揺するシャルロットに、ベリルはしまったと言いたげな顔になった。


「あ、ごめん。余計なことだったね。……えーっととにかく、ご要望とあらば色々騒ぎを起こせるよ」


 強引に話を逸らしたベリルは、最後に「たぶん」と小声で言い足した。シャルロットはその言葉を聞きとがめ、おや、と思う。

 

「たぶん、ということは、確実にできるわけではないのですか?」

「体に戻ればできる……と言いたいところだけど、聖堂地下から距離が離れたところだと、できるかどうか怪しいな。視認できる範囲のものにしか、力を使ったことがないし」


 つまり、万能ではないということか。

 だが、見える範囲でしか使えないとしても恐ろしい力だ。

 人間を操り、支配する力――確かに、<白き顔の神>が脅威に思っても無理からぬことだ。


(強大な力を持つがゆえに、ベリルは囚われたのでしょうか)


 考えを巡らせていたシャルロットは、ふとあることに気がついた。


「その力があれば、牢から脱出できるのでは……?」

「そうだね、牢からは出られる。でも、ルテアリディスが刺さっている限り、僕は修道院の敷地から出られないんだ。そしてルテアリディスは、神にしか引き抜くことができない」

「……そうでしたね」

「どのみち修道院の外へ出られないなら、拘束を壊して逃げても意味ないかなって。だからずっと、あの状態のままなんだ」


 苦笑するベリルに、シャルロットは胸が苦しくなった。

 彼はもう、諦めているのだ。この地から解き放たれることは、未来永劫ないのだと。

 沈鬱な面持ちのシャルロットを元気づけるように、ベリルは明るく言った。


「とりあえず、物は試しでやってみるよ。案外広範囲に力を使えるかもしれないし」

「……お気持ちは嬉しいのですが、そこまでしなくても大丈夫ですよ」


 ベリルの発言からして、どうやら本体に戻らなければ力は使えないらしい。

 しかし彼の体には聖剣が刺さっており、戻ろうものなら激痛に苛まれることだろう。

 ベリルが辛い思いをするぐらいなら、悪意ある噂に耐え続けるなど、どうということもなかった。


「その方法だと、ベリルはもちろん、色々な方に迷惑をかけてしまいますから」


 やんわり断ると、ベリルは不服そうに唇を尖らせた。


「シャルロットがそう言うならやらないけど……本当にいいの?」

「はい。ベリルの気持ちだけで十分です。あなたが味方だと思うだけで、力が湧いてきますから」


 シャルロットが笑いかけると、ベリルは複雑そうな面持ちになった。


「君のそういうところは美点だと思うけど、無理だけはしないでね」

「ええ、心得ています。……それに時間が経てば、皆の口の端にのぼることもなくなるでしょう」


 生きていれば、日々、なにかしらの変化がある。修道女たちの興味も、そのうち別のものへと移るだろう。


「でも、すぐに噂が消えるわけではないでしょう? このままでは、君の評判が落ちてしまう。聖女選定に影響するよね。今のうちに、皆の前で弁明してみたらどうかな」

「そうしたいのは山々ですが……徒労に終わる可能性が高いですね」

「どうして? 騎士修道士が警固しているから、部外者が侵入できるはずないって言えば、納得しないかな」


 腑に落ちない様子のベリルに、シャルロットは頷いた。


「私も最初、そう考えました。ですが、あのような醜聞が流れていますから……騎士修道士も誘惑し、籠絡したのでは、と疑われるかもしれません」

「ああ、そういうことか」

 

 ベリルはげんなりとした表情で肩を落とした。


「シャルロットがなにを言おうが、今の状況ではまるで聞き入れてもらえないんだ」

「ええ、恐らくは」

「はあ……」


 ベリルは額に手をやって、深々と嘆息した。


「なんというか、八方塞がりだね」

「いえ、そうでもないです。……年配の修道女は、私に対して同情的な方が多いんです。薬草園で働く修道女たちも、親切にしてくださいます。決して、全員が敵に回ったわけではないのですよ」


 レリアを筆頭に、心配してくれる修道女は確かに存在する。そのことを思い返し、シャルロットの心は日だまりのように温かくなった。

 ベリルはたちまち顔を明るくすると、うんうんと頷いた。


「やっぱり、見ている人はちゃんと見ているんだね。シャルロットの日頃の行いが実を結んだんだよ」

「そうだといいのですが」


 いくらか面映ゆい気持ちで、シャルロットは控えめに微笑んだ。


「今までと同じように、自分ができることを地道にやっていこうと思います。時間は掛かるかも知れませんが、真面目に勤めを果たすことが、結果的に噂の払拭に繋がると信じたいです」

「うん、絶対にできるよ。シャルロットなら」


 目を細めてそう言ったベリルに、シャルロットは勇気づけられた。


 ――ベリルが味方である限り、きっと自分はどんな苦境にも耐えられるだろう。


 目の前に浮かぶ少年と笑みを交したシャルロットは、くじけずに頑張ろうと気持ちを新たにした。

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